寝ようと思って布団に入ったのだが、眠れないからブログを書く。
寂しい人というのは、大体が人を粗末に扱う人だ。
人を粗末に扱うから、相手が距離を置いて離れていくのに、それがわからない。
自分が相手にとって居心地のいい人間になれば、相手は自分からよってくるのにそれがわからないのだから憐れなものだ。
そして自分の人と人とを思わない振る舞いに表面だって文句を言えない気の弱いやつにしがみつき、相手の恨みを買う。
テレパシーだかなんだか知らないが、相手が自分をいやがっているのは気配でわかる。
故に相手を縛り付けるためにいらぬお節介を焼いて、さらに相手の心証を悪くするのだから、これは一種の病気であろう。
昔ある女性占い師が、こんなことをホームページに書いていた。
1また来たわね
2そろそろ来る頃だと思っていたわ
3またいつものパターンね
4一体何回同じ答えを聞けば目が覚めるのかしら?
5あなたはこの結果がわかっていたはず。それがわからないのがあなたの盲点なのよ。
6早く目を覚ましなさい。いくらお金をもらっても、私は困ったちゃんのおもりはごめんよ。
7それじゃ、気をつけてかえってね。
これがリピーターに対する心の叫びだそうだ。
カウンセラーも似たようなものだろう。
心の平安や喜びを得るためには、抜本的に生き方や人間関係を変えなければならない。
が、それには摩擦が伴う。
いやなやつをぶった切るためには、相手の恨みを買わなければいけないし、甘い汁を吸うためには、いやなやつに頭を下げなければならない。
それに徹しきれなくて、人は不満足な人生を送らねばならないのだ。
それはクライエントにもわかっている。
が、クライエントは生き方、いや、人間関係を変える勇気がなくて、背中を押してもらいたくてカウンセラーのところに来るわけだ。
自己責任で生き方を変えることを躊躇するのは、洋の東西を問わずおんなじらしい。
健常者、あるいはメンタルに問題のある人のカウンセリングというものは、大体こんなものだ。
誰かの涙と引き換えにしない限り、望む幸せは得られないのが、この世の理なのかもしれない。
そんなことを思ったいけもとだった。