統合失調症の中核心理は、怒りと恐れだという。
患者は外界に対して怒りを抱き、かつ恐れている。
つまり患者にとって、外界は敵である。
怒りは恥の意識と密接な関係があり、
恐れは罪の意識と密接な関係がある。
自分を辱めた相手に対して害意を持つのは当然であり、罪を犯せば制裁を恐れるのは当然である。
怒りが先か、恐れが先かそれは私はあなたでないから知らない。
が、あなたは外界に怒りを抱き、かつ恐れている。
外界が敵であるならば、敵に囲まれて生きているのであるから、そんな世界に味方は存在せず、安心して眠れるわけがない。
孤立感と疲労。
これがメンタル疾患へのハイウェイである。
精神疾患、心的疾患を問わず、主観的にいえば、症状という形であなたは苦しんでいる。
私もこんなに私を苦しめるなら、「私を殺せ。」と思った。
そしてそんな目に遭わせる頭目野郎(女郎?)である、神を憎んだ。
そう、神を憎むからこそ、神の敵であるサタンの手にあなたは引き渡され、サタンがあなたの主になる。
そしてこれはループする。
そうか。
いつの間にか私の主はサタンにすり替わっていた。
が、サタンの管領下にあると、世俗的な成功が待っているというが、そんなことは全くこの私にはなかった。
なぜなら賛美歌にあるがごとく、すべての恵みの元なる方は神だからであり、恵みの元から離れて、恵まれるわけがないではないか!
だったら、サタンの管領下を離れ、神の元に帰ろうではないか。
さて、バイブルにあるがごとく、キリスト教の名の下に、セックス問題を云々するのは、最初の異端であるニコライ宗の流れをくむものである。
そして反セックスや乱交とニコライ宗は仲がいい。
ニコライ宗の幹部の正体は、お金をむさぼるシロサギと、セックスで縛るアカサギである。
それを覚えておくとよいよ。
以上いけもと。