目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

社会的ダーウィニズム 生き方の適応型

2022-11-23 22:46:42 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
内心、自分が社会的ダーウィニズムによって淘汰される個体であると強く感じている。
その不吉な感じ方から逃れるために、自分の選んだ世俗的な価値を実現しようと、それこそキチガイじみた努力をするのだ。
本当に世俗的な価値の実現が目的ならば、ある程度価値が実現したところで満足する。
が、真の動機は社会から抹殺されることを恐れているのであるから、努力が強迫的なものになるのは当然だ。
自分の無能さをも確信した人々は信仰の世界、すなわち世俗的な価値の否定に入る。
元々無常観や罪悪感が信仰の動機でないから、自分の選んだ団体の本尊や教義など信じちゃいないし、献金や活動の必要も感じてはいない。
ただ、特殊な世界観を持ったグループに加入し、社会から脱落したという傷をなめ合う仲間たちと世俗的価値を追求する連中の悪口を言っていればそれで楽しいのだ。
内心はそうであっても、いや、内心がそうであるから、かつて学生運動が盛んであった頃、活動家が革命性を競い合ったように、信者は信仰の強盛性を競い合う。
そして現実での位階はどうでもよく、所属団体という第二現実での位階上昇で、自己満足するのだ。
驚くべきことに、路上生活者の中にも位階がある。
その位階によって、空き缶がたくさん落ちている地域の分配や、風雨にさらされない寝場所を分配しているのが実相だ。
群れられる能力のあるやつはそれでいい。
感受性の高い人々は、群れそのものが順位制と縄張りのある社会であることを嗅ぎ分けているから、はぐれ猿のような生き方をする。
時々社会にリンクしては、餌とパートナーを獲得し、そしてふらりと社会から去って行く人々だ。
これらのことを悲惨な生き方だと思ってはいけない。
それが彼らのギリギリの適応型なのだ。
非現実的な世俗的価値はいつの間にか甘い逃げ場所になり、政党や教団に搾取されながらもそこは居心地のいい居場所になり、路上生活やはぐれざるのような生き方でやっと安定した生活ができる人々もいるのだ。
それらの人に別な生き方をしろというのは、鳥に魚のように水の中で生きろ!魚に空を飛んで生きろ!と言っているのと全く同じで、実にありがた迷惑な話なのだ。
さて、優生保護法、今は母体保護法下の日本で障害者の数は減少しただろうか?
T4作戦後のドイツで、障害者の数は激減しただろうか?
否である。
これらのことは、確率論的なものなのだ。
隣のキーサンは、実は自分だったのかもしれないし、障害のある兄弟姉妹は、確率の問題で自分だったかもしれないのだ。
それを考えると、私はそれらの人々の辛辣な口撃を口にしたくないし、する人々からは距離を置きたい。
何やらある世界観の話から、話題は盛大にずれたが、これがいけもと節である。
許されよ。

恋愛初心者の恋

2022-11-23 10:12:15 | いけてつ独り言
昨日は20221122。
すなわち語呂では、夫婦いい夫婦の日。
その日を記念して、彼女さんとお互いの地元の駅で、切符を買いました。

今度あったときに、種を交換して育てたオシロイバナの種などと一緒に、切符を交換します。

切符の写真をアップしたいのですが、身バレするのでやめておきます。

皆さんや彼女さんにしてみれば、おままごとみたいなことをして喜んでいるやつと思われるかもしれませんが、思春期に恋愛を我慢してきた私にとって、こんな風にステップバイステップで相手と仲良くなっていかないと、駄目なのです。

そう。
自然数の定義がわからないと、高校数学の数列の学習で躓くように。

そんなわけでございます。
以上、ИКМТ

管理通貨制度の本質は商品本位制経済社会である

2022-11-23 09:04:31 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
管理通貨制度の財源は、租税でもなく国債でもなく商品である。
なぜならいくらお金を刷っても購入できる商品が皆無ならば、暴動が起きるからだ。

それなのになぜ租税を取るか?
人民を労働させるためにある。

とにかく人民を労働させて商品を作らない限り、国家は運営できない。

が、共産主義国家のように、人民を強制労働に就かせれば、これまた暴動が起きる。

それでやりがいや報酬という飴や、租税や労働の義務なんて言う鞭で国民をこき使うのだ。

すなわち管理通貨制度下において、租税というのはたかだか鞭としての役割しか果たさないのである。

国債。
管理通貨制度において、人民に国債を買わせて何の意味があるのであろう?
分配すべき商品はいくらでもあるのだから。

これまた奴隷人民をこき使うための鞭である。
それに上級国民富裕層の不労所得への引換券になる。

さて、管理通貨制度において、通貨の意味は、購買能力のバロメータにある。
単に決済センターにおける、決済口座のゼロの数にしか過ぎない。

そして決済センターにおけるゼロの数に一喜一憂し、自分は一般国民より偉いだの、自分は仲間の落ちこぼれだのと、うぬぼれたり嘆いたりするのであるから、これは事の本質を知った人たちにとっては、笑い話のネタ以外の何物でもない。

さて、前には日本の政治がおかしいの、企業統治がおかしいだのと書いていたが、結局日本の富は何であろう?

言い換えれば、日本の商品で諸外国が喜ぶものである。
結局それは、文化しかない。

日本ファンの外人が喜ぶ、ハラキリゲイシャフジヤマ。
それに最近の漫画家が描く、擬人化や萌え、そしてヘンタイなどのコンテンツである。

暴言王麻生太郎氏が提唱した、国立漫画センター。
そして参議院議員の赤松健氏が運営している漫画図書館などは、切れ者の官僚が考えた、外人が喜ぶ日本文化であり商品である。

そのうち、コミケで外国人観光客を呼び、外貨を稼ぐ時代が来るであろう。

何やら管理通貨制度の財源や報酬の話から、近未来の日本の特産品について書いてみたが、寝起きの寝ぼけた頭で書いた記事である。

許されよ。