目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

鉛であることを嘆くな。鉛には鉛の持ち味と使い道がある。

2022-11-05 15:07:42 | いけてつ独り言
彼女さんのお父様からいただいた本に、鉛のくせに金をかぶせて金の面をするなと書いてあった。

若い頃は自分が金であるとうぬぼれていて、お説ごもっともと思って喜んでいたのであるが、四十代の頃、自分が鉛であることに気づき、痛いところを突かれるなあと思って腹が立ったが、アラ還になって、考えが変わった。

金には金の持ち味があり、鉄には鉄の持ち味があり、鉛には鉛の持ち味があるのである。

むしろ、私が鉛であるからこそ、必要とされる場面もあるのだ。
そんな場面では、金や鉄は何の役にもたたない。
むしろ有害無益だ。

キリスト教学で、我々被造物は、なぜ私をこのような物に作った! などと、神にいちゃもんをつけてはならないとあるが、その意味が最近わかるようになってきた。

神の計画上、私はこのように作られたのだ。

が、ヨブの受難のように、その作られた意味と現象の意味は、我々に隠されて見えることはない。

そういえば、神様は私にとって最善となるように人生の計画を練って、それを実行されておられると聞く。

ならば私をこのように作り、このような目に遭わせるのは、将来の私の幸せのためなのであろう。

一応いっておくが、私はちまたでいうところの受苦礼賛者ではないし、負け惜しみを言っているわけではない。

それに神様だって、むやみに私に苦しみを与えて喜ぶ、変態親父ではないであろう。

ちまたでいうところの、子供を虐待する変態親父では決してないのであるから。

最近親交はないが、畏友Зуккийさんなら、「よいかなικμτさん。」と、そう言ってくれることだろう。

そんなことを思ったικμτであった。
以上、ικμτ。

パートナー考

2022-11-05 00:13:58 | いけてつ独り言
バイブルではパートナーのことを「ふさわしい助け手」と呼ぶそうだ。
ふさわしい助け手。
パートナーの呼称でこの呼称が一番美しい呼称に私は感じる。

そう。
神様が私のために生まれる前から作ってくださった、ふさわしい助け手。

一人では生きられないから、補え合えるように神様が作ってくださった、私だけのパートナー。

そう考えると、今まで以上にパートナーを大切にしたいという気持ちがわいてくる。

パートナーはDVやモラハラなどでいじめる相手では決してないのだ。
なぜなら我々のふさわしい助け手なのであるから。

どんな因縁かわからない二世の縁の連れ合いより、神様が私のためにこしらえてくれたふさわしき助け手の方が、よりパートナーに対するありがたみがわいてくる。

そんなことを思ったIKMTであった。