聖教新聞(2015/ 7/ 2)
子どもの貧困を考える ㉘ 大阪子どもの貧困アクショングループ代表・徳丸ゆき子
「ぼくなんて、血がいっぱい出て死んでもいいんだ……」
私たちが現在、週に2回行っている、子どもたちとの食事会の準備の最中、一緒にサラダのキュウリを切っていた2年生の男の子が、うっかり手を切ってしまい、「大丈夫?」と聞くと、小さい声で身体を揺らしながら答えました。
彼が私の反応を上目づかいで見ているのを感じながら、「そんなこと言わないで、ばんそうこう貼ろう。自分を大事にしようね」と言うと、「うん」と小さくうなずき、手を引いて洗面所に向かい、手を洗って貼ってあげると、「もう痛くない」とシャイな彼は目を合わせず、にっこり笑顔を見せながら走って台所に戻っていきました。
自分を大切にしてほしい。自分を傷つける人から、身を守ってほしい、との思いが湧きました。
私たちが関わっている子どもたちの中には、常に周りのスタッフやボランティアの方に「抱っこして」「私を見て」「自分のそばに来て」といった欲求を全力で伝えてくる子どもたちがいます。それが小学校高学年の子どもたちだと、ボランティアの方々は「こんなに大きい子が?」と驚かれることがあります。でも年齢は関係ないのです。
大切にされ、愛され、認めてもらった経験がほとんどないだろう子どもたち。傷つけられ、失われた「自分を大切にする気持ち」を取り戻すには、長い時間がかかるでしょう。
「あの子、生活保護らしいで。親に付き合うなって言われた」とクラスメートが自分のことをうわさしているのを聞いたと話してくれた子がいました。子どもたちには何ら責任がないにもかかわらず、地域で、学校でどれだけ厳しい目にさらされ排除されているか。
危なっかしくて、近寄るとヒリヒリするような子どもたち。私たちには足りないことだらけで、できることが少なすぎて、無力さが募ります。
どうかすべての子どもが、多様なたくさんの大人に見守られながら、のびのびと育ってほしい。
人生、お金だけではありません。自分の人生に満足し、幸せだと思って生きるすべを得てもらいたい。そう強く願いながら、できることは、できるだけ長く、できればずっと、出会った子どもたちと関係を築き続けることだけだと思い活動しています。
このコラムは、ずっと関心を持って読んでいましたが、この団体に寄付をするきっかけになったのが、上記の記事です。