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グダグダと書いています

こんな休日もある

2017年01月27日 14時45分54秒 | つれづれに
朝、孫を保育園に送ったあとに、接骨院へ通院した後は引きこもり。(^^)

今日はカミさんが休みだけど、自宅で引きこもるのもアリだよね~。(^o^)



…毎日、出歩き過ぎ…!? (*^^*)
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「貧乏に近づく発想」と「お金持ちに近づく発想」の違い

2017年01月27日 11時44分05秒 | コラム・ルポ

「貧乏に近づく発想」と「お金持ちに近づく発想」の違い

「貧乏に近づく発想」と「お金持ちに近づく発想」の違い

どうやら最近の日本では、お金持ちから遠ざかる発想をする人が増えているようです。お金持ちに近づくための発想とは何なのでしょうか?

(All About)

■お金持ちから遠ざかる発想をする人が増えている?
私は最近、日本人の社会風潮に対する世論や正義感とは逆に考えた方が、よりお金持ちに近づくのではないかと感じています。

たとえば給食費の未納問題に端を発し、給食無償化という議論が進んでいます。奨学金返済苦による貧困や破産の問題に端を発し、こちらも給付型奨学金へと議論が進んでいます。

前者は低モラルの人に合わせ、後者はファイナンシャルリテラシーの低い人に合わせようとするなど、発想はより安易な方向へ進んでいる印象があるからです。

■給食費は無償化すべきか?
たとえば給食費未納問題は、口座振替かカード決済を必須にすることで解決できるでしょう(実際、そういう自治体も増えています)。それが嫌だという人は、毎年1年分の一括前払いしかできないようにする。それも嫌なら給食制度がない別の学校に行ってください、というふうにオプションを提示して選んでもらえばいい。学校側も、親への督促など教育とは無関係な雑務に煩わされることもなくなります。

そもそも給食のおかげで、親は栄養バランスを考えながら買い物をし、毎日弁当を作り、夜は弁当箱を洗うという労力から解放され、他のことをできる自由を得ているわけだから、そのくらいの強制力はあっていいと思います。値段も弁当を作るより安上がりだし。食育も教育の一環だから無償にすべきだとか、マズいとか食べ残すから払わないなどという主張は、もはや子の教育を放棄して学校に丸投げした無責任親か、学校の存在意義を否定しながら子を通わせる矛盾親の発想としか思えません。

むろん自治体の財政に余裕があるなら無償化するのも自由ですが、財政の厳しい地方では、そのしわ寄せが医療や介護やほかのことに来る可能性もあるわけです。にもかかわらず、給食を食べておきながら払わない一部の無銭飲食の親へ配慮する形で税金を投入し、多くの善意の家庭の将来の税負担が増えるという不公平さのほうが望ましいという論調は、いったい何を守ろうとしているのでしょうか。

■奨学金は給付型にすべきか?
奨学金も、名称や実質的な借金かどうかよりは、仕組みを理解して利用しているかどうか、利用する側の問題が大きいと思います。

「貸す側の問題もある」ということで制度を改善する取り組みを否定はしませんが、学校でのファイナンシャル教育を強化していこうという議論にならないのはなぜでしょうか。奨学金を借りるだけ借りて返済できないで破たんするのと、カードで買い物しまくりキャッシングもして延滞・破たんするのも、用途や名称が異なるだけで、まるで同じ構図です。

これもひとえに金融や経済の仕組みをまるで教わらないで社会に放り出されたからか、あるいは何も考えずに欲求のまま安易に利用しただけではないでしょうか。

私も高校と大学を旧・日本育英会からの奨学金で進学しましたが、親からも一種と二種の違いを教えてもらいましたし、「奨学金をもらう」という表現ではなく「奨学金を借りる」という言葉を聞いて自分なりに納得した記憶があります。

「お前だから言えるんだろ」という指摘があるかもしれませんが、私も大学卒業後は就職が決まらずフリーターをしていて極貧のため返済できませんでした。そこで返還期限猶予制度を利用して、返済開始を数年間先延ばしにしてもらいました。私が借りたのは総額300万円強で、15年ほどかけての返済なので毎月1万6000円ちょっと、それほど苦しい金額ではありません。

しかしもっと多くの金額を借りた人もいるようで、仮に600万円だと返済は月3万円を超え、これは確かに苦しいかもしれません。その場合、日本学生支援機構に相談すれば、杓子定規ではなく何か助言をもらえる可能性もあります。

【参考】日本学生支援機構
(http://www.jasso.go.jp/shogakukin/henkan_konnan/index.html)

それに、返済原資を捻出しようと思えば、方法はたくさんあります。たとえばもっと家賃の安い物件に引っ越す。礼金敷金ゼロ物件もあるし、赤帽を使えば引っ越し代も安い。外食をやめて弁当+おうちごはん。コンビニに行くのをやめる。テレビを売ってお金に換える。

あるいはスマホを解約する。そもそも昔はなかったものだから、不便にはなっても死ぬことはない。営業職でもなければ服装は毎日同じでも構わない。休日にアルバイトをしたっていい。終業後は会社の空き会議室などを使って図書館で借りてきた本を読み、帰宅してすぐ寝れば水道光熱費も浮く。

極論だと感じますか? しかし「払えない」という人は、結局「そこまでしたくない」というだけで、単に優先順位が低いのです。本気で本気なら、いくらでもアイデアや方法を思いつくはずですから。それでも「ムリ」という人は、社会的弱者というよりも、怠惰なだけでしょう。

もちろん、超絶に優秀で、でも貧しい人の進学を支えることは大変意義があります。とはいえ、優秀な人のための給付型奨学金は、昔からたいていの学校に存在していて珍しいものではありません。私が通った学校にもありましたが、私はそこまで優秀ではなかったのでもらえなかっただけです。にもかかわらず、それほど勉学に熱心でない人を税金を使ってまで進学させることが、本当に大切なことなのかどうか……。

個人に対し努力を求めるよりも、社会や仕組みのせいにするほうが簡単だし大衆に受け入れられやすい。学校でのいじめを原因とする子どもの自殺問題も、本来なら真っ先に子の異変に気づくはずの親ではなく、学校と教師だけを責めるのも同じ構図です。

■IR法可決はギャンブル依存症患者を増やす?
IR法の議論も、ギャンブル依存症問題が取り沙汰されています。しかし世界のIR(統合型リゾート)を見渡してみると、そのほとんどは高級ですから、もし日本のIRもそれら海外事例を参考に作られるとしたら、依存症になるような属性の人が繰り返し近づくような場所とはならない可能性があります。

私もラスベガスやシンガポールの高級カジノリゾートに行ったことがありますが、客はみな服装や表情もどこか余裕があり、節度を持ってカジノを「楽しんで」いるように見えました(平日に行ったからかもしれませんが、みな「カネ持ってそう」という雰囲気の客ばかりでした)。これは差別でもなんでもなく、現実問題として自己の欲求を制御できない人が高級カジノに「何度も」来られるとは思えません。

もちろんたまにニュースに流れるようにそういう人もいるのでしょうが、そんな人はたいていお金持ちですから、彼らの余裕資金を日本のために落としてくれるのはむしろ望ましいことですし、そもそもの目論見通りでしょう。

それよりも、親がパチンコに夢中で車中に子供を置きっぱなしにする熱中症事故が毎年のように起きていますから、庶民の世界のギャンブルの方が根が深いように思います。ギャンブル依存症問題は、高級とは反対の世界で起きていることには気づかないのでしょうか。

というのは私の勝手な独断と偏見ですが、何が言いたいかというと、日本人の正義感は、深く考えなくてよい、安易な方向へと解決方法を求めてるということ。給食費や奨学金のように「お金がないなら配ってしまえば万事解決」というのは、思考停止と同じです。自分で何とかしようと考えない人が、投資やビジネスで成功するでしょうか。

そこで冒頭に戻るわけですが、日本のメディアが誘導する世論や正義感のほとんどは、ますます私たちを思考停止させ、発想がより貧困へ向かっている。だから世間の正義とは逆方向へと思考を振り向けたほうが、より豊かになれるだろうというのが私の提案です。もっとも、思考のトレーニングやブログなどの炎上ネタとしては結構オツですが。

午堂 登紀雄


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ギャンブル依存経験者がハマるFXのリスク

2017年01月27日 11時34分51秒 | コラム・ルポ

ギャンブル依存経験者がハマるFXのリスク

ギャンブル依存経験者がハマるFXのリスク

実は意外なところにもギャンブル依存の落とし穴はある。(※イメージ)

(dot.)

 アルコール依存、薬物依存などの依存症は、生活習慣などではなく、病気だ。個人の意志や心がけなどで対応できるものではなく、治療が必要なもの。近年、医療現場ではさまざまな試みが行われている。AERA 2017年1月30日号では、依存症治療の最前線を大特集。ギャンブル依存というと、パチンコや競馬などの賭け事を想像する人も多いだろう。だが実は意外なところにもギャンブル依存の落とし穴はある――。

*  *  *
「初心者でも簡単」「すぐ稼げる」。1998年ごろから広がるFX(外国為替証拠金取引)のリスクがギャンブル依存経験者や医師の間で注目されている。

 自助グループ、GA(ギャンブラーズ・アノニマス)に参加する男性(46)は、高校で競馬や競艇をはじめ、大学では留年を機にパチンコ、競艇、競馬とギャンブル漬けの日々を送った。就職後も一番の関心事はギャンブル。数年に一度、借金がふくらみ、両親や妻に泣きついた。

「毎日苦しかった。負けを取り返したい。ここで勝てば、借金も返せるし、面目も立つ。そう思うと抜け出せなかった」

 何度目かの破綻で、「病気じゃないの」となじる妻に「そうかもしれない」と漏らし、医療機関を受診。「ギャンブル依存症」と診断された。

 自助グループに参加して13年。

「経済的なストレスがかかると、スイッチが入ってしまう。これまで2回、スリップしました。そのうちの1回はFXでした」(男性)

 少しの時間我を忘れても、FXはできる借金の桁が違う。会社運営にあてるつもりの資金はみるみる減り、400万円の負債になった。

「すぐに気づけたのですが、肝も冷えた。GAでも、FXにのめり込んだという若い人は増えています」(同)

 久里浜医療センターの河本泰信医師によると、ギャンブル依存の特徴的な心情は「負けを取り返せると思う」ことだという。

「勝てると信じ、負けを取り返そうと賭ける額が増えているなら、危険信号と考えてほしい。FXは運用や投資のつもりで始めるため、負けを取り返す心情を正当化しやすい。退職金などを元手に手を出し、取り返しのつかないケースが増えるのではと案じています」(河本医師)

(編集部・熊澤志保)

※AERA 2017年1月30日号


オレもギャンブル依存症的な生活をしているなぁ、…というか既にギャンブル依存症かも。

株の取り引きをやってみようかと思うのも、病気だからだろうか…。 

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親権裁判、逆転敗訴の父「私が先に連れ去れば良かったのか」苦悩語る、母側は安堵の声

2017年01月27日 00時26分15秒 | コラム・ルポ

親権裁判、逆転敗訴の父「私が先に連れ去れば良かったのか」苦悩語る、母側は安堵の声

両親が子どもの親権をめぐって争っていた裁判で、東京高裁(菊池洋一裁判長)は1月26日、母親を親権者と判断した。一審の千葉家裁松戸支部は昨年3月、長女(当時8歳)と6年近くも会っていない父親に親権を認め、母側が控訴していた。

高裁は、親子がどれだけ多く会えるかという「寛容性」を重視した一審判決を退け、従来通り、同居している親に親権を認める「継続性」重視の判断を下した。

判決後、司法記者クラブで両者がそれぞれ会見。母親は代理人を通じ、「子どもにとって、どちらが親権者にふさわしいか的確に判断していただいた」とコメントした。対する父親は、「私が先に連れ去ったら良かったのか」と険しい表情で語り、最高裁に上告することを明かした。

●父側「両親の愛情を感じて育ってほしい」

一審では、母親が父側に月1回の面会しか認めなかったのに対し、母子が年間100日面会することなどを認めた父親の提案を評価。長女が「両親の愛情を受けて健全に成長することを可能とするため」に、父親に親権を認めた。判決は「フレンドリーペアレントルールを採用した判決」として、注目された。

しかし、今回の高裁判決では、両家の距離の遠さや長女の心身の負担などが考慮され、面会が多いことが「必ずしも長女の健全な生育にとって利益になるとは限らない」と、改めて継続性が重視された。

判決に対し、父側代理人の上野晃弁護士は、「子どもを連れ去って、そのまま生活しているから、というだけの結論だ。夫婦喧嘩が起きたら、仲直りするより、先手を打つようになってしまう」と語り、「連れ去り別居」の増加を懸念した。

父側が母親に対し、面会などで寛容な条件を提示したのは、「娘に両親の愛情を感じて育ってほしい」という思いからだという。

敗訴した父親は、上告する意思を明かし、「最高裁は迅速に審議してほしい。子どもの成長は1年1年がものすごく大切。娘は父親を知らないまま、どんどん大人になってしまう」と思いを語った。

長女は今年4月から小学4年生。最高裁の判断が出るまでは、1〜2年程度かかる見通しで、仮に父親が親権者になっても、長女はより「難しい年頃」になってしまう。最後に会ったのが2歳のころなのだから、なおさらだ。

それでも、父親は、「最初は怖がるかもしれないが、数カ月すれば、分かってくれると信じている。『子の意思』というと、美しい言葉で正しいように思うけれど、『学校行きたくない』という子の意思を尊重するのか。子の健全な成長を考えるのが親の責務」と話した。

●母側は「親の利益ではなく、子どもの利益に立った判決」と評価

一方、勝訴した母親側弁護団は、安堵の表情で記者会見に臨んだ。判決について、斉藤秀樹弁護士は、「親の権利とか利益ではなく、子どもの利益に立って、親権者や面会を考えるべきだという裁判所の判断が示された」と評価した。

また、母側代理人の萩原得誉弁護士は、父親側が主張する、「連れ去り」について、育児はほぼ母親が行なっていたことから、置いていけば「置き去り」になる、と母親の思いを代弁した。

母親は弁護士を通じて、「夫にも穏やかな気持ちで娘に再会してほしいと願っています」とコメント。条件が折り合わず実現しなかったが、もともと母側は父親に対し、複数回、面会交流を提案していた。

今後は、東京家裁で続いている面会交流審判の中で、父側と面会条件の協議を進めたい考え。父子が何年も会っていないことから、第三者機関の力を借りながら、徐々に父子の信頼関係を築いてもらいたいとしている。

ただし、父側は「これまで『甘い罠』に釣られて、引き離されてきた親が何人もいる」として、最高裁の決定が出るまで、長女と面会しない考えを示している。

(弁護士ドットコムニュース)


自分の娘のこともあり、一審の判決が出たときはショックを受けたけど、二審の判決で少しホッとしたよ。

それにしてもこの父親、「子どもの成長は1年1年がものすごく大切」と言いながら、最高裁の決定が出るまで長女と面会しない考えを示しているって矛盾してないかな?

せっかくの面会交流なんだから、少しでも会うべきだし、会うことで父子の信頼関係も築けるのでは? 

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