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さあ、これから実働!
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1996年2月11日。戸田第2代会長の生誕日に、池田SGI会長は「戸田記念国際平和研究所」を創立した。今月、その20周年を記念する国際会議が都内で開かれた▼参加したのは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム、仏教など、異なる宗教的背景を持つ有識者。それぞれの宗教の思想と伝統、平和創出への挑戦を分かち合う会議となった▼思い起こすのは、戸田会長がよく語っていたという話。もし仮に釈尊、キリスト、マホメットなどの宗教の創始者が一堂に会して話し合ったら――。戸田会長は語った。「大きい慈愛の心の語り合いは、譲り合い、尊重し合い、反省し合うであろう」「人間の真の平和と真の繁栄の目標へと、完全な一致を見いだすことに、必ずや結論するであろう」▼「人間のため」「平和のため」。宗教には本来、この共通の土台があるはずだ。方法論は違っても、目的は同じであり、その一点で協力できる。事実、国際会議では、耳を傾け合うことで、議論が深まっていく場面を目の当たりにした。「私たちには、どれほど“共通点”が多いかに気付いた」と、ある参加者は語った▼互いの差異にこだわるよりも、共通点を確認し、協力できる道を探し出す。この「開かれた対話」こそ、平和への第一歩である。(蹴)
以前の自分らしく、勇気を出して対話をしていかないとなぁ。
鉄道ファンならずとも、あこがれる列車がある。それは天皇・皇后両陛下など皇族が乗車される「お召し列車」だ。
この列車、鉄道各社が管理している。たとえば、JR東日本にはE655系「なごみ(和)」がある。これは、2007年に2代目の「お召し列車」として完成した。列車中間には、両陛下や国賓が乗る「特別車両」がある。ここには、高さ95センチ、幅220センチという大きな窓ガラスには防弾加工が施されている。
それ以外の車両の内装は、明るい木目調で統一され、全席に電動のリクライニングシートが備えられ、タッチパネル式のモニターもある。モニターではテレビや前面展望などの映像が見ることができる。これは、東北新幹線や北陸新幹線にある最上級の車両「グランクラス」にもなく、まさにお召し列車だけの“特別仕様”だ。
このE655系、皇室とその関係者しか乗車できないと思われているが、実は一般人でも乗ることができる。JR東日本・広報担当者はこう話す。
「E655系はツアーなどの団体専用列車としても運用されています。この場合、『特別車両』や菊の御紋は外されます。弊社が運営するツアーでは、2015年11月29日に房総半島を日帰りで一周するものがありました」
なるほど、われわれでも“インペリアル”な恩恵にあずかれるというわけである。ツアーの概要はこんな感じだ。
午前8時8分に東京駅を出発。車内で房総の食材を使った特別弁当を食べ、千葉県いすみ市にある大原駅に到着。そこから二手に分かれて観光して、大原駅に再集合。そこから東京に戻り、東京駅に午後6時11分に到着する。
日帰り旅行にもかかわらず、費用は2万8800円〜とかなり高額だ。同区間の往復の運賃とグリーン料金はあわせて9910円なので、食事代や観光料金が含まれるとはいえ、“破格”である。
このほか、国内の各旅行代理店を通じて、年何度かE655系に乗れるツアーが組まれている。2016年1月23日には、日本旅行のツアーで「那須塩原市制10周年記念 JRハイグレード車両『なごみ』で訪ねる『なすしお玉手箱号』那須塩原の旅」があった。
このツアーは上野駅で集合し、栃木県の那須塩原駅で現地解散するというもの。片道料金にもかかわらずそのお値段は1万4800円だった。
ぜひ、「お召し列車」に乗ってみたい……そう思って、いくつかの旅行代理店に問い合わせてみた。
だが、現在、ツアー募集はなかった(2016年2月12日時点)。旅行代理店によれば、当然ではあるが、お召し列車は皇室の利用が優先されるため、ツアーが実施される、およそ1カ月前にならないと募集要項は明らかにならないという。憧れの列車を体験するにはこまめな情報収集が必要になるようだ。
(ライター・河嶌太郎)
ツアーに参加するほどの金銭的な余裕はないけど、車体の美しいフォルムに惚れた!
選ぶことのできる選択肢が多く、自由度が高まるほど、幸福感は増す。この「幸福」と「選択」の関係を論じた好著に、米コロンビア大学・アイエンガー教授の『選択の科学』(櫻井祐子訳、文芸春秋)がある▼同書に、高齢者介護施設での心理学実験が紹介されていた。ある階では、職員が選んだ鉢植えを入居者に配り、水やりも職員が行う。施設で見る映画の予定も職員が組んだ。別の階では、入居者が好きな鉢植えを選び、水やりもした。映画を見る曜日も、入居者自身で決めた▼驚いたことに、3週間後の調査では「選択権なし」のグループの70%以上に健康状態の悪化が見られた一方、「選択権あり」のグループの90%以上に改善が見られた▼人生全般にも同じ見方ができよう。“運命は決められている”と考えるより、“自分の運命は自分で変えられる”と考えるほうが、前向きに生きられる。海外の新会員に入会動機を聞くと、特に、運命は変えられないとする宗教文化圏において、一つの傾向がある。日蓮仏法の「宿命転換」の法理が、新鮮で魅力的だったという人が多いのだ▼幸福は与えられるものではなく、自分でつかむもの。選択権は全て、自分にある――この「限りない希望」の哲学を、地域で世界で、語り広げよう。(敬)
幸福は自分でつかむもの…以前の自分らしく、ポジティブに行こう!
今日の定期検診の結果は、医師の説明によると、とにかく『肥満』さえ改善できれば完璧だとか。
…と言われていながら、夕飯のシメは焼きおにぎりってねぇ。
左手のケーキ?
カミさんと娘が食の陣で買いすぎたものなんですなぁ。
PRESIDENT Online スペシャル 掲載
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お悩みファイル21■虚言癖のある人と一緒に働いています----------
これは、困った人の存在にみんな気づいていているけれども指摘しにくい空気があって、なんとなく放置してきてしまったという問題ですね。
今回もいきなり体育会系の話で恐縮ですが、体育会の現場では、言動のおかしな人間がいると早い段階で先輩が詰めるんです。「お前が言ってること、なんか違うよね」とかストレートに言います。あごがしゃくれてたら「しゃくれ」がそのままあだ名になるような、よくいえばざっくばらん、悪く言えばデリカシーのない世界です。でも、気づいているけど触れにくいものをあえてドンと表に出すことで、かえってもやもやしたものがなくなるという作用もあるんです。虚言癖の人に「なんか妄想入ってない?」と突っ込んでみるというのはどうでしょうか。
ただ、この方法が成功するにはひとつ条件があります。それは「早めにやる」ということです。今まで周囲がなんとなく触らないようにしてきたのであれば、突然それを指摘するとおかしな雰囲気になってしまうリスクもあります。そもそもこの問題は、周囲の慮りや遠慮がこの人を増長させてしまった可能性が大きいと思います。見て見ぬふりを続けていると、「王様は裸だ」というひと言で解決するような話が高度な神経戦のようにまでなってしまうことがあります。
こういう困った人をたらい回しにするというのはいかにも日本的ですが、ここまで放置してしまった以上、根本的な解決というのは難しそうです。虚言癖がある一方で「権力がある人には媚びる」というのは、状況を見て行動しているということですよね。頭は悪くない人なのでしょう。それだけに、その人の話の整合性に切り込むとか、虚言を証明して白黒はっきりさせるという正面からのアプローチは蟻地獄的なものになっていく可能性が高い。泥沼的にやり合うのではなく、この人との付き合い方について、自分のなかでルールを決めるというのが大事な気がします。
相手を責めるときって、往々にしてその人に「悪かった」と反省してほしいという気持ちが湧いてきてしまうものですが、いくら詰めてもこういう人は反省しないでしょう。逆に自分は被害者だとも言いだしかねません。そもそも嘘をつくことに罪の意識がないわけですから。人は他人を見るときに、どうしても自分のなかにあるものを投影してしまうものですが、自分の価値観とはまったくずれたところで生きている人がいるということをまず認識しましょう。
虚言癖のある人間は厄介ですが、その人の虚言がまかりとおってしまうことを防ぐための最強の防御策は、日常の自分の信用度を高めるということだと思います。周囲に信用されている人なら、おかしなうわさを流されたりしても、聞く人が真に受けることはないでしょう。日ごろから、自分の信用を高めておいて、つまらないことを言いふらされても「また言ってるな」くらいの感じでドーンと構えている。慌てふためいて、火のないところで火消をしようとするとかえって相手のウソの信用度を高めてしまいかねません。そうすると泥沼です。
どうしても誰かに聞いてもらいたいのなら「この人なら信じてくれそうだな」という人に限定して、事実を切々と伝えることだと思います。人は「意見を言う人」と「事実を言う人」のどちらを信じるかといえば「事実を言う人」です。腹が立っているとどうしても事実に意見を混ぜてしまいがちですが、それをがまんして淡々と事実の世界で生きる。そういう修行だと思うしかないですね。
結論としては、しかるべき立場の人間には極力事実だけを伝え、あとは追わず、絡まずでいくのがいいんじゃないでしょうか。何かされたときに「こんなことされてたんですよ!」と感情的になって上司にいいつけたり周囲にぶつけたりするのではなく「こういうことがあったんだけど、あの人どうしちゃったのかな」くらいの感じでいく。メールなど、証拠として残っているものがあれば、自分が自分の弁護士になったつもりでそれを淡々とコレクションしておく。本人や第三者に見せるというより、いざというときに自分を守るためです。
いずれにしても、相手と同じレベルでやり合うのがいちばん損をするのではないかと思います。
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為末 大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)、Xiborg(2014年設立)などを通じ、スポーツ、社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている。http://tamesue.jp
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(答える人=為末大 撮影=鈴木愛子)
そうか、アレは虚言癖だったわけか。
虚言癖に自分は追い詰められたんだなぁ。
…というより、虚言癖に振り回されている人たちを見ていると、ある意味で滑稽だよね。
妻の友人が来たので、誘われるまま今日も食の陣へ。
仕事をしている本社のメンバーへ差し入れをしてから歩いていくと、岩の原ワインブースの隣りに空席を発見し即キープ。
気分も良くて、岩の原ワインもボトルで購入!
…明日は健康診断なんだけどねぇ。