6 斉明(皇極)天皇は、幾度も地獄を見た
斉明天皇は美しい人だったのでしょうね。若くして高向王に嫁ぎ漢皇子を生んでいますが、舒明天皇に望まれて妃となり、舒明二年に皇后に立ちました。
一度目は夫・舒明天皇の崩御、その後の皇位継承者が決まらず即位したが、「乙巳の変」に遭遇し、天皇の目の前で入鹿が殺されたこと、です。俗説では、入鹿は皇極女帝の恋人だったとか言いますが、どうでしょうね。
飛鳥寺の西の広場は、公共の場所でした。鎌足と中大兄は蹴鞠をしていて、ここで会いました。地方の、まだ国に取り込まれていない民の服属儀礼をする場所でもありました。
蘇我入鹿の首塚はここにあります。ということは、皇極天皇の大極殿(この頃は、まだ大極殿はない)、儀式の館はここにあったのでしょうか。または、この近くに。
日本書紀によると
中大兄は長槍を執って殿の傍に隠れました。鎌足たちは弓ををもって中大兄を守護します。佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田(かつらぎのわかいぬかいのむらじあみた)に剣を授け「ゆめゆめ油断するな。不意を突いて斬るのだ」と言いました。子麻呂は恐怖のために嘔吐し、鎌足が励まします。蘇我倉山田麻呂(蘇我赤兄の兄妹)も上表文を読み終わろうとしても、古麻呂らが来ないので、声を乱し手を震わせました。鞍作臣(蘇我入鹿)は不審に思って「どうしたのか」と尋ねました。
その時、中大兄は子麻呂が委縮しているので、「やあ」と声をあげ子麻呂を叱咤し、共に入鹿の不意を突いて頭と肩を切り裂きました。
入鹿が驚いて立ち上がったところに、子麻呂が片足を斬りました。
入鹿は転がりながら玉座にたどり着き「皇位に座すべきは天の御子です。わたくしには罪はありません。どうぞ調べてください」入鹿は血だらけだったでしょう。皇極天皇は「こんなことをするなんて、何事があったのか」と驚くばかり。
中大兄が地に伏して「鞍作は天子の宗室をことごとく滅して皇位を傾けようとしました。どうして、天孫を鞍作に代えられましょうか」というと、天皇は殿中にお入りになられました。
入鹿は子麻呂と網田に切り殺され、降り出した雨にその遺体は水浸しになりました。遺体には席(むしろ・敷物)、障子(しとみ・屏風)がかけられた、というむごたらしい事件。
皇極天皇は クーデターの現場を見たのです。
二度目は溺愛した孫の死と、その後に起こった有間皇子事件
これほど愛した孫の死でした。この半年後に有間皇子事件は起こりました。
建王の死が有間皇子事件の引き金になったのでしょうか。
三度目は百済救援の戦いへの参加、結果、崩御となるのです。