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万葉集を編集させた平城天皇の歌

2020-01-01 09:55:19 | 81令和元年万葉集を読む

万葉集を編集させたのは平城(へいぜい)天皇です。桓武天皇が病に倒れた時、二十年前に除名されていた(家持は死亡して二十日も経っていたのに大伴氏の罪に連座して除名された)大伴家持の官位を復したのです。そして、万葉集を召し上げ、自分の近臣に選ばせ(編集させ)ました。

万葉集は日本最古の歌集として重要視されてはいますが、古今集が国文学の中でも重要な位置にあり、和歌史上の最高峰と考えてもいい、とも言われています。その評価は人によってさまざまだと思いますが。では、古今和歌集はどんな編集をしているのでしょうね。気になりますね。

勅撰和歌集は二十一集ありますが、古今集が勅撰集のさきがけです。万葉集は勅撰和歌集ではありません。
古今和歌集は紀貫之が醍醐天皇の勅で、長い年月をかけて精選し編集されたものです。それは、世に出た直後から世間の注目を浴び絶賛され、手本とされ、人々はこぞって暗唱しました。万葉集とは、まったく違うのです。
古今集で、「万葉集は平城天皇の御世に編集されたものだ」と紹介されています。
平城天皇の御製が90番歌です。

平城天皇こそ、大伴家持の官位を復し、万葉集を召し上げ侍臣に編集させた人、なのです。
平城天皇はどこどこまでも奈良の都を愛した方でしたね。都を平安京から平城京に戻すようにと要求し、譲位していたのに「薬子の変」まで起こして、嵯峨天皇と対立されました。御子の阿保(あぼ)親王は本来なら皇太子となったのでしょうが、平城天皇の敗北と出家により大宰府に左遷されたのです。阿保親王の子供たちは臣籍に下り在原という姓になったのです。在原行平・業平の兄弟です。

そこで面白いことに、在原元方の歌が「古今集」の冒頭歌なのです。なぜ、この人なのでしょうね。

貫之は何故この歌を選び、冒頭に持ってきたのでしょうね。
そこには、貫之の歌人としての教養と政治的な意図があったはずです。
考えてみると面白いですね。
令和二年、お正月を桜で飾りました。では、今年もよろしくお願いします。