13 巻九の冒頭歌は雄略天皇の歌
雄略天皇は陰謀による木梨狩皇子の死を知った
万葉集・巻九 「雑歌」*雑歌とは、雑でどうでもいい歌ではない。公の歌、儀式歌、皇族に関わる歌などを云う
泊瀬朝倉宮御宇(はつせのあさくらのみやにあめのしたしろしめしし)大泊瀬幼武天皇御製歌
1664 ゆうされば小掠の山に伏す鹿は今夜(こよい)は鳴かずい寝にけらしも
夕闇が迫って来たので小掠の山に伏して隠れている鹿は、今夜は鳴かないで寝てしまったのだろうなあ(「伏す」は、狩人の目を逃れるために身をひくくする意味で使われる事が多い)
小掠山の鹿は誰かに狙われているので隠れていたが、今夜は寝てしまったのかという、意味深な歌なのです。これは、雄略天皇の歌です。隠れているのは、長兄の皇太子・木梨軽皇子です。同母妹の軽大郎子皇女との密通を疑われて、人臣が離れたというあの事件の最中の歌です。
今夜は鹿が鳴かなかった! 実は、鹿は既に殺されていたので鳴かなかったのです。
ここには、陰謀で兄を失った時の雄略天皇の喪失感があるのです。
わたしは兄上をお慕いしている。お姿も心映えも素晴らしい方だからだ。それなのに今は、陰謀のために身を隠す事態となってしまわれた。今夜は兄上のご様子が何も伝わってこないが、お体を休めておられるのだろうか。何事もなければいいのだが。
しかし、ついに木梨軽皇子は命を奪われてしまった。
陰謀によって失った高貴な人への思慕を雄略天皇の歌として、人麻呂が巻九の冒頭に置いたのです。
そして、よく似た歌が巻八の「秋雑歌」の冒頭に置かれています。
「鳴く鹿」と「臥す鹿」が違っているだけで、ほとんど同じです。
菟餓野の鹿の物語には、心慰めていたものを突然奪われた人の嘆きと喪失感があふれています。「鹿の声が突然聞けなくなった」話は、当時の人々にかならず「菟餓野の鹿の悲話」を思い出させ、「あの話は、あの事件のことだ」と結びつけさせたのです。
巻八の1511番歌は、なんと岡本天皇の歌です。斉明天皇か、舒明天皇か、どちらでしょう。斉明天皇なら一つの事件が浮かび上がりますね。
初期万葉集は、繰り返し「或る事件」を引き出していますね。
それは、ついに巻九の「紀伊国行幸十三首」に集約されていくのですが…
また明日。