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倭は国のまほろば・古事記・倭建命の国偲び歌

2017-07-26 13:10:53 | 64木梨軽皇子の周辺に万葉集

平群を詠んだ古代の英雄・倭建命

平群で少し寄り道しましょう。奈良県平群町には長屋王墓だけでなく、様々な伝承があります。聖徳太子ゆかりの信貴山や、松永久秀の信貴山城もありますね。

倭建の国偲び歌ヤマトは国のまほろば

父の都は纏向の日代の宮です。命尽きる時、偲んだのはヤマトです。

そして、平群の熊白樫の葉をよみました。

なぜ平群の熊白樫なのでしょう。この人は、如何なる星の下に生れたのでしょう。

まず、小碓命は少年なのに西に熊襲建二人を討ちに行きました。女性に化けて兄を殺し、次に弟を殺します。その時、熊襲建の弟から「倭建御子」の名をもらうのです。上のものが誅殺される者から名をもらいました。名付け親とかは、ほとんどが目上の人ですが、不思議です。
この時の武器は剣です。

山の神、川の神、穴戸の神を言向け和し、帰りに出雲国で出雲建の友になり、だまして殺します。
この時の武器は大刀です。

大刀と剣は違いますね。弥生時代の初期は剣が威信財でしたが、後期には五尺刀などの大刀が移入しています。
さて、倭建命は九州の熊襲建、出雲の出雲建を倒したことになります。

では、古事記にある歌謡ですが、東西に遠征し疲れた倭建命の歌です。

 

「古事記」の倭建が詠んだ歌は、国偲び歌と呼ばれていますが、5・7・5・7・7の短歌の形式とは違います。もちろん短歌の形式の歌もありますが、様々ですね。

 

倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(こも)れる 倭しうるわし

やまとは国で最も優れた所 青垣のように山々に取り囲まれた所、 倭こそうるわしい

命の全(また)けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白樫の葉を 髻華に挿せ その子
わたしの命はやがて終わるが、無事なものは、薦を畳のように広げた平群の神山の熊白樫の葉を髻(もとどり)に挿して、神に感謝をするように、なあお前たち。

 倭建命は、続いて詠みました。


愛しけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も

ああ懐かしいなあ、吾家の方から雲が立ち、祖先霊が迎えに来た

 

嬢子(おとめ)の床の辺に我が置きし つるぎの大刀 その大刀はや

あの子の(ミヤズ姫)の枕元に置いて来た剣 あの刀剣があったならなあ。 こんな目に合わなかったかも ああ

 そうして、倭建命は亡くなりました。「かむあがりましき」と崩の漢字が使われています。

「崩」は、天皇の死去に使われる漢字ですね

倭建命は白鳥となって飛び立ちました。妃や子供たちは竹の切り株の足を破られながらも必死で追いかけました。道々歌った四歌(ようた)は御葬(みはふり)の歌として、その後、天皇の大御葬に歌うというのです。

白鳥は河内の志幾に留まったので御陵を作りました。白鳥の御陵です。しかし、またそこを飛び去ったのでした。

と古事記には書かれています。

いったいどこへ? 平群の神を尊んだのに、倭にも帰らず…何処へ行ってしまったのでしょう。先祖の霊雲がお迎えに来ていましたよね。

 

古事記は意味深な歌が多いですね。