20 紅の玉裙すそ引き、ゆくは誰妻
その人に何があったのか。
紅の裳(もすそ)を身に付けたその人は、何も言わず歩いて行く…
紅の裳は身分の高い女性が身につけたスカートでした。黒牛方の見える海岸を歩いて行くその人は、紅の裳を裾引きずっているのです。美しいその人が歩いているのは、黒牛方が見える海岸でした。
1672 くろうしがた しおひのうらを くれないの たまもすそびき ゆくはたがつま
満ちていた潮が引いてしまって濡れた砂の先に黒牛方が現れて来た。潮が引いた浜はますます広く見え、その広い海岸をひとり歩いて行く人がいる。放心したように紅の裳裾を引きずりながら歩いて行くあの人は誰だろう。いったい誰の妻なのか。あの人に何があったのだろう。あんなに憔悴して…
黒牛方は黒江湾の海岸近くから見えた岩場だったようです。潮が引くと黒い岩場が現れて、それが黒牛のように見えたのでした。引き潮と共に徐々に見えて来る黒牛を古代の人々は愛でたのでしょう。それにしても、何があったのか。
それを1673番歌が、そっと教えます。
1672 かぜなしの浜の白波いたづらに ここによせ来る 見る人なしに
風もない静かな浜に波が繰り返し寄せて来る。この白波を共に見たいと思って待っていたのに、あの人はいない…それでも白波は空しく繰り返し寄せて来る。
美しい人妻が待っていた人は帰って来なかった。待っていた人が来なかった理由を紅の裳裾を引きずっている女性は分かっていました。待っていた人は既にこの世にいない。その衝撃に心が体から遊離したように、彷徨うように海岸を歩いて行くのです。
忘れてならないのは、これは持統太上天皇と若い文武天皇の行幸です。高貴な人の旅なのです。それも、1672番歌は、詔に応えて詠んだものです。
太上天皇の詔なのです。「あの方が逝かれたことを知った時の心情を歌に詠むように」
長忌寸意吉麻呂は、見事に40年前の出来事を詠みました。その悲劇を絶唱したのです。持統帝は涙を流したでしょう。
黒牛方は今は見えないそうです。埋め立てられたのでしょう。
黒牛方は、有間皇子の終焉の地のそばに在りました。
また、明日