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万葉集は不思議と謎の宝庫。万葉集を片手に、時空を超えて古代へ旅しよう。歴史の迷路に迷いながら、希代のミステリー解こう。

2すぎにし人の形見ぞと…藤白坂に

2017-01-31 13:32:51 | 2すぎにし人の形見とぞ

すぎにし人の形見ぞと……藤白坂に行きました。

持統天皇の紀伊國への旅は、なんだか変です。万葉集を読むたびにそう思いました。だって、持統天皇は大宝2年(702)の崩御ですが、その前年の大宝元年(701)に紀伊国行幸をしているのです。死ぬ前に見ておきたかった。死ぬ前に、孫の文武天皇に伝えておきたかった。死ぬ前に「有間皇子」の霊魂を再度鎮め慰めておきたかったと。それが持統天皇の(正確にはこの行幸の時は太上天皇ですが)切なる願いであったと、私は思うのです。

持統天皇は冷酷な女帝だったという大方の見方もあるようですが、果たしてそうでしょうか。

万葉集を読むと、持統天皇が何者なのか、きっと知りたくなりますよ。

藤白神社の境内に有間皇子神社が在りました。

 

正面の奥が有間皇子神社です。昭和になってこの地に祀られたそうです。この神社の前の道は熊野古道で、人々は藤白坂を越える時、この神社に手を合わせ皇子の運命に心寄せたことでしょう。この神社の裏に細い坂道を登っていくと、有間皇子の墓と呼ばれる地があり、石碑が建てられています。

藤白の 三坂を越ゆと 白妙の 吾が衣では ぬれにけるかも 

藤白坂はあの有間皇子が命を落とされたところだが、その御坂を越える時、皇子を思い出して私の衣の袖は濡れてしまう。わたしは皇子を忘れることはできない。 

 この人は、藤白坂を越える時に泣いているのです。その時濡れたのは、着物の裾ではありません。さらに、衣の袖を濡らしたのは、それは草露ではなく涙なのです。有間皇子事件を知っていて、しかも深く嘆いている、この人は誰か。

それは、持統天皇です。その人が、藤白坂で泣いているのです。

わたしにはこの涙が不思議でした。持統天皇が涙を流す意味が分からず、長い間不思議でした。

 有間皇子と持統天皇の接点は何でしょう。