33 天智天皇と鏡王女
鏡王女の墓は、舒明天皇のすぐそばに在ります。
舒明天皇の陵墓の前を通り抜けると、
目の前にこんもりした塚(円墳)が見えます。
鏡女王と名が見えます。
そこにあの有名な天智天皇との相聞歌の説明板があります。
中大兄皇子の時代に賜った歌です。
91 妹が家も継ぎて見ましを やまとなる大嶋の嶺に家もあらましを
愛しい貴女の家を続けてずっと見ていたい。やまとの大嶋の嶺にわたしの家があったらいいのに。あなたの家をずっと見続けられるから。
92 秋山の樹の下隠りゆく水の吾こそ益さめおもほすよりは
秋の山のふり積もった落ち葉の下を隠れるように流れていく水のように、水はだんだん流れとなり大きくなっていくのですが、その流れのようにわたくしの思いの方が大きくまさっております。殿下が思って下さるよりも。
二人の蜜月はどのくらいあったのでしょう。中大兄は額田王に心惹かれていきました。
額田王の「488我がやどの簾動かし」の歌があります。続いて、鏡王女の歌、
489 風をだに恋ふるはともし 風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
おいでになったと思ったのが風だったのですね。でも、風だったにしてもお出でになるかも知れないと思って待っているのですもの、とても幸せなことではありませんか。わたくしは風が吹いてもあの方が来られたと思う事は、ありませんから。
そうして、中大兄は鏡王女を藤原鎌足に賜うのです。その時の王女の思いが万葉集に残されています。
489番の王女の歌は、「鏡王女の作る歌」となっていますが、92番歌は、「鏡王女和して奉る御歌一首」とあり「御歌」です。これは、鏡王女が皇族だった可能性を示唆しています。
王女の陵墓が舒明天皇の横ですから、舒明天皇の皇女だったのかも知れません。中大兄皇子の異母兄弟として妃になっていたのかも知れません。
皇女であったからこそ、臣下の鎌足に嫁ぐことは意に沿わないことだったのでしょう。
しかし、鎌足の室となった王女は藤原氏に尽くしたのでした。
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