たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

広島原爆の日

2016年08月06日 | 日記

原爆の子像 借用先 http://bibouroku.eshizuoka.jp/e516352.html

今日は被爆71年となる原爆の日、8時15分に黙とうしなければと、テレビをONした。式典は始まったばかりで、両手を空に向けた「原爆の子」のモデルになった佐々木禎子さん(当時12歳)の紹介場面だった。佐々木さんは2歳で白血病を発病し、病気快復と平和を願い折り鶴を1700羽も折って亡くなり、以来折り鶴は平和の象徴になったそうだ。
8時15分にはテレビ中継の司会者に従い、起立し西に向かって1分間の黙とうをしました。
5月にはオバマ大統領の広島訪問もあり、核のない平和への願いがいっそう思われる。
式典は子供代表の「平和の誓い」を二人の小学6年生が朗読した。
広島へもどこへも私は行ったことがありません。1989年夏、二男がAFS派遣高校生交換留学でアメリカから帰ったばかりだった。ロータリークラブ招待の短期ホームステイで、来日していたアメリカの女子高生(ニューヨーク州の公安委員長の娘さんだった)を市内の篤志家が引受られ、一晩、わが家で夏なのにスキ焼パーティで招待した。
ちょうど二男がアメリカオレゴンでお世話になった、級友の娘さんの父親が韓国へ商用へ来て、一晩韓国~日本を往復されわが家で一泊された晩に合せた。宴が終わって鵜飼を河畔から見て貰った。
前置きが長くなったが、そのニューヨーク州から来た、女子高生の祖父が広島へ行って来るように言われているので、同伴したホストマザーと、原爆ドームを見に行くと言ったことなどを思い出した。

もう28年も前の思い出です。