夢中人

sura@cosmic_a

飛鳥時代

2008年08月28日 | Weblog
読めるがどうかもわからず、なんとなく図書館にて借りて読んでみた「聖徳太子の仏法」。
これがおもしろい。意外にもおもしろい。時代は飛鳥時代。
この本を読んでいると、(神話をちょっとかじっていたせいもあるのか)
聞いたことのあるような名前が出でくる。
ヤマトタケルノミコトはこの時代の方なんですね。日本武尊と書いてヤマトタケルノミコト。
すごい名前だなぁと思いつつ、そのヤマトタケルノミコトの叔母が倭姫の命(ヤマトヒメノミコト)。
倭姫と言ったら、伊勢神宮にアマテラスを祀ったお方。
へ~。。。叔母さんなんだぁと思いつつ、そういえば、推古天皇の甥にあたるのが
聖徳太子だったよなぁと思って、もしかしたらその時代の貴族社会というか、
「朝廷」というところは人間関係が狭かったのかなぁと思った。

あと、四天王というのも出てくる。
「四天王とは、東の持国天・南の増長天・西の広目天・北の多聞天の4人の仏法の
〈たま〉神をいう。釈迦仏を従者として、釈迦仏および釈迦仏を尊崇する
生きとし生けるものを守護する仏法の〈たま〉神である」ということです。
この四天王のお名前をじっくりみてみれば、みなさんそれぞれに意味があるんですね。

そしてまた、この中には「『日本書紀』の記述によれば、推古天皇十年(602)、
百済からの観勒が渡来した。観勒は、暦法や天文・地理の書物や陰陽道、道教の医療や
卜占にかかわる書物を携えていた。観勒を師として、陽胡玉陳(コヤノタマフル)・
大友高聡・山背日立らの官人が暦法や天文、陰陽道、道教などを学んだ、という」とあった。
へ~。。。陰陽道といえば、あの陰陽師の陰陽道ですね。この時代に日本に入ってきたんだ。
とすると、安倍清明のころには、もう確立されていたのかな。。。
などなど、自分がなんとなく知っていることと繋がりを持ちながら読んでみる。

そういえばだよ、聖徳太子というお方は、どうも、醒めた感じの人だったみたいですね。
そして、この中には、「呪的」という言葉がでてくる。「呪的な力」とか「呪的な知」など。
それって「霊能力」ってことかな。よくよく読んでみるとそれっぽいんですけど。
太子の有名な話で、10人の人が同時に話したことに対して、太子はきちんと
一人一人に答えたというのがあるじゃないですか。
それって、つまり無意識の部分で聞いて、それに答えてるということじゃないのかな。
今でもそうことが出来る方はいらしゃるし。
あの辺りの時代は、霊能力を持っている人が多かったと聞いたことがある。
そのなかでも聖徳太子は飛びぬけてすごかったということだろうなぁ。
で、思ったんですけど、聖徳太子は安倍清明みたいな感じの人だったのかなぁって。
勝手に想像してるんですけど、そんな感じがするんです。
霊能力があって、それで、なんか醒めていて。。。
でも、聖徳太子にはお妃様が4人。。。しかもお子様14人。
そうすると、聖徳太子は安倍清明と光源氏をたして2で割ったような人??
(安倍清明+光源氏)÷2=聖徳太子
。。。わからんが、なんとなくなんとなく。。。。
って、どうでもいいんですけど、とにかく聖徳太子は推古天皇にイチ押しされていたんでよ。
そういう人だったんです。
それでですよ、この推古天皇にも興味ひかれる感じです。
いろんなことに興味があった人なんだろうなぁって感じ。。。なんかいい感じなんです。

日本にはいろんな時代があるけど、この飛鳥時代は非常に興味がひかれました。
戦国時代とかいろんな有名な人が出てるけど、正直あんまり興味なかった。。。
あんまりにも「オトコオトコ」してるというか、なんというか「華」がない感じ。
それに引き換えこの飛鳥時代には「華」がある。っていうか「華」を感じる。
この時代を知るということは、仏教も知るということになってくるのかなぁ。
お釈迦様のこととか、あと「絶対知」なんて言葉もよくでてくる。

この本の中で、不思議と何度も読み返しているところがあるんですよ。
それは「仏舎利」を祀る意味が書かれてあるところなんですが、この「舎利」と言う言葉は、
萬斎様つながりで言葉だけは知ってはいた。
この本を読んでいたら「舎利」と言う言葉が何度もでてきて、その意味が書いてあった。
「仏舎利を祀ること、つまり〈たま〉神としての釈迦仏を祀ることは、
国家の構成者である人々の日常の安穏を祈ることである。
それとともにひとびとがいつの日か絶対知を体得することを祈ることでもある。
生きとし生けるものは、さまざまな他界を含む広大な空間である六道四生と数多くの
前世を含遠な時間である過去七世とから成る世界に生き死にしている存在として観念されていたのである」
。。。なんかここを何度も読み返しているんですよ。
非常にすばらしいなとはわかるんですが、なんでこんなに気になるのかはわかりません。
なんでかなぁ。。。

わからないといえば他にもあって、それは「漢字」。
本当にいろんな漢字、そして読み方があるもんだなぁと思いました。
わからないこともありましたが、非常に興味がひかれた飛鳥時代。
もうちょっと掘り下げて行きたいなと思っています。
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ホテル・ルワンダ

2008年08月28日 | 映画
ホテル・ルワンダを観た。
1994年、アフリカのルワンダで長年続いていた民族間の諍いが大虐殺に発展し、
100日で100万もの罪なき人々が惨殺された。
アメリカ、ヨーロッパ、そして国連までもが「第三国の出来事」としてこの悲劇を黙殺するなか、
ひとりの男性の良心と勇気が殺されゆく運命にあった1200人もの命を救う。

・・・1994年。今から14年前の話だ。
何百年も昔の話ではない。つい最近の話。事実あった話だ。
正直、全然知らなかった。知らずに今まですごしてきた。
民族間での紛争。
今は、そのことについてはなにも言えない。わからない。

映画の中で、アメリカやヨーロッパがこの紛争から身を引くのですが、
その時に「この国に価値がないからだ」なんて言っていたけど、
それ以前の紛争の手助けでアメリカは大変なめにあっていたみたいですね。
それはそれで攻められない部分もあるんじゃないかと思いました。
この時思ったんですけど、こういう時、日本は手助けできないんですね。
憲法によってそれはできないことになっているんだ。
本来ならば、自分達で和解したり、近隣諸国が抑えたりするのが一番いい解決方法なんだろうけど、
そうじゃなくて、どんどんふくれ上がり罪のない市民達の命が落とされていくんだ。
もし、命があったとしても、難民となってしまって、生活を奪われてしまう。

映画の中で争っている兵隊達を観ていると「信念のために戦う」とかそんな風な雰囲気ではなく、
強奪をしたり、賄賂をもらったり、女性を痛めつけたりで、ただ有利に立つために存在するようでした。
兵隊じゃなくとも、その兵隊の上に立つ人もそんな感じでした。
これじゃ、何の目的に争っているのかと思ってしまう。
戦争という状況はどんな人の心も蝕んでしまうものだ。
兵隊達は病んでしまう。そして、人じゃなくなってしまう。
指揮を取る人までもがそうなってしまうと、その争いは本当に意味がなくなってしまう。
そして、大変な被害にあうのは一般市民なんだ。

ここのところ、2冊の本を持ち歩いていて時間があったらちょこちょこと読んでいました。
1冊は「難民キャンプの子どもたち」という本。写真がたくさん載っています。
今回観た映画の舞台となったルワンダのことも書かれてありました。
もう1冊は「聖徳太子の仏法」。
この2冊がセットでした。
最近では、すべての出来事は偶然ではなく、すべて必然というのを強く感じるこの頃。
この2冊はなにか繋がりがあるのかなぁ?と思っていたけど、自分の中で繋がる部分がありました。
聖徳太子が作ったといわれる「憲法十七条」。1千年以上も前に作られた憲法。
読む前は、難しくて読めないかもと思っていたんですが、そんなことは全然なく、
非常に興味深く読むことができました。
本全体を読んでいても、面白く読むことができ、なんというか。。。意外に固くないなと思いました。
この「憲法十七条」は「和」なんですね。
ちょっと前に聖徳太子は実在しないとかなんとか言われてましてが、この「憲法十七条」は実際にあるんです。
今回映画で観た出来事とこと、この「憲法十七条」が、私の中で関係あることのように思えました。
そしてまた、聖徳太子が首相みたいな(と言っていいのでしょうか?)お仕事をしている時の天皇は、
推古天皇という女性の天皇。
ここでも思ったんですけど、いろんな国で女性の政治家さんが活躍していますが、
アフリカこそ、女性の政治家さんが国をまとめるということができればなと思いました。
いろいろな状況があるのかもしれませんが、女性の要素が入ってもいいような気がするんです。
男性だけでまとめていくと、かたよりがあるんじゃないかな。
権力者の影の女でそこで政治を動かすとかじゃなくて、ちゃんと前に出て、国創りをされていかれる方。
そんな女性はすでにどこかにいるんじゃないかな。。。
そんなことを思いながら、この2冊の本の繋がりを感じていました。
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憲法十七条

2008年08月28日 | Weblog
聖徳太子が、今から千年以上前にお創りになられた「憲法十七条」。
すでに知っておられる方もいらっしゃるかと思いますが、自分の為に書いてみました。



一の曰く、和を似ちて貴しとし、忤うこと無きを宗とせよ。
「為政にかかわる事柄をめぐる議論において、官人は、自身より下の者に対して和らぎ、
打ちとは、自身より上にたつ者に対しては逆らい、背むくことのないように心がけよ」
世人は、為政にかかわる事柄をめぐる論議において、自己と見解を同じくするものと党類を組んで事態に対応しようとする。事物や事象の真にして実なる在りようを知る世人は稀である。そのために君主や家父にそむき、近隣のひとと争うなどのいささかを起こす。為政にかかわる事柄をめぐる論議において、上に立つ者が下の者の論議に和やかに対し、下の者が上に立つ者の論議に親しみを似て対するならば、事物や事象の真にして実なる在りょうはおのずからあきらなになり、事柄への対応は十全になるであろう。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。
「官人は、もっぱら仏法を尊崇せよ」
仏法は、仏宝・法宝・僧宝の三宝から成る。仏法は、一切の生きとし生けるものの究極の拠りどころであり、すべての国家の根拠である。どのような時代であれ、どのような人であれ、仏法を尊崇しない時代も人もない。悪ばかりのひとは世俗世界には少ない。時間をかけて丁寧に教えるのならば、人は善に従うであろう。仏法をよりどころとしないのであれば、何を拠りどころとして悪を善に変えることができようか。

三に曰く、詔を承りては必ず謹め。
「官人はつつしんで天皇の詔に耳を傾け、間違いなく詔に従え」
国家の統括者である天皇は天であり、皇臣である官人は地である。天が地を覆い、地は天を載せるとき、四季は正しくめぐり、もろもろの生成力はあまねくゆきたわる。地が天を覆おうとするとき、四季の運行は不順となり、生成力ははたらきを失う。天皇が命令を発するとき、皇臣はつつしんで耳を傾け、天皇が行うとき、皇臣は従う。詔に耳を傾けず、
詔に従わないならば、為政にかかわる事柄への対応は不適切になるであろう。

四に曰く、郡卿百寮、礼を似ちとて本とせよ。
「官人はすべて、朝廷儀礼をはじめ儀礼の実修を基本とせよ」
民を整序し、導く基本は、朝廷礼儀をはじめとするさまざまな儀礼の実修にある。上に立つ者が儀礼の実修に欠けるところがあれば、下の者の足並みが乱れ、下の者が儀礼の実修に欠けるところがあれば、為政にかかわる事柄に対応すに乱れが生ずる。官人のよる儀礼の実修に欠けるところがなければ、官位の序列は整い、民による儀礼への参与に欠けるところがなければ、国家はおのずから整序されるであろう」


五に曰く、餮を絶ち、欲を棄てて、明に訴訟を弁めよ。

「飲食を貧らず、物品への欲を棄てて、民の訴えを偏頗なくみわけよ」
「民の訴えは1日に千件ある。1日でもこの多さであるから、月日を重ねると手に負えない多さになる。近頃、民の訴えを裁く官人は、利益を得るのがあたりまえになり、賄賂を手にしてから申し立てを聞いている。財ある民の訴えは、石を水に投げ込むようにたやすく受け入れられるが、貧しい民の訴えは、水をいしに投げかけるようなものものであって、ほとんど受け入れられない。貧しい民は為すすべがない。これな皇臣として失格である。


六に曰く、懲悪勧善は古の良典なり。是を似ちて、人の善を匿すこと无く、悪を見ては悪をみては必ず匡せ。

「為政にかかわる事柄に対する不適切な対応を戒め、適切な対応を励まし、すすめることは、手本とすべき旧くからのやりかたである。他の官人の適切な対応をば称場し、不適切な対応をみたならば必ず正せ」
おもねり偽る官人は、国家を覆し、民を滅ぼす鋭い鋒や件のような存在である。またこびへつらう官人は、上に立つ者に向かっては好んで下の者の過失を告げ、下の者に向かっては上に立つ者の失策を誹謗する。このような官人は、天皇に対する誠実さに欠け、民の福利に対する思いやりがなく国家の大乱の原因となる。


七に曰く、人各任有り、挙ること濫れざるべし。

「為政にかかわる事柄をめぐって、官人にはそれぞれ為すべき職務がある。為すべき職務を過不足なく、間違いなく遂行しなければならない」
官人が為政にかかわる事柄についての知をもつときには称賛の声がおこるが、知をもたない時には災いや混乱が頻繁に起こる。しかし生まれつき事物や事象についての十分な知をもっている人はすくない。


八に曰く、郡卿百寮、早く朝りて晏く退でよ。

「官人は朝早く朝廷に出し、遅く退出せよ」
権能の行使は、ゆるがせにできず、終日実対応しても終わらない
遅い出仕は緊急の事柄に対応できないし、早い退出は対応すべき事柄を残すことになるからである。


九に曰く、信は是義の本なり。事毎に信有べし。

「官人相互の信頼は、官人共同体の秩序を支える根本である。職務の遂行にあたっては、すべての事柄について官人相互の信頼がなければならない」
為政にかかわる事柄に対する対応が適切であるか否かは、官人相互の信頼の奴何にかかわっている。官人に相互の信頼があるならば、遂行されない事柄はないであろう。官人に相互の信頼が欠けているならば、対応は不十分なままに終わるであろう。


十に曰く、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違うところを怒らざかれ。

「為政にかかわる事柄をめぐる論議において、対手の会見が自己の解見と違っていても怒ってはならない」
世人はみな、自己の見解にこだわる心をもっている。そのために、対手の見解が正しければ自己の見解は誤っており、自己の見解が五正しければ対手の見解は誤っていると論断しがちである。しかし、自己が事柄についての知をもっているのではないし、また、対手がもっているものでもない。自己も対手もともに絶対知をもたない凡常な存在である。事物や事象の真にして実なる在りょうは、自己も対手も捉えることはできない。事物や事象について十全な知をもっているか否かの区別は凡常な存在にはつけられない。為政にかかわる事柄をめぐる論議においては、対手が怒ったときも、自己の知の不十分さを省みよ、また自己の見解が正しいとおもうときも、対手が怒ったときも、さしあたっては多くのひとびとの見解に従って事態に対処せよ。


十一に曰く、功過を明察して、賞罰は必ず当てよ。

「為政にかかわる事柄に対する官人の対応の適切、不適切を明確に見分けて、適切な対応を賞し、また不適切な対応を罰せよ」
近頃、適切な対応が賞されず、不適切な対応が罰せられていない。官人は、為政にかかわる事柄に対する対応の適・不適への賞罰を明確におこなわなけらばならない。


一二に曰く、国司・国造、百姓に歛ること勿れ。

「国司や国造らの官人は、民からむやみに租税を取り立ててはならない」
「国家に二人の天皇はなく、民に二人の支配者はいない。全ての民にとって天皇のみが支配者である。官人は皇臣である。朝廷に仕えていながら、民からむやみに租税を取り立ててよいのであろうか」


十三に曰く、諸の官に任る者、同じく職挙を知れ。

「官人ひはそれぞれに職務がある。しかし、職務が異なっていても、官人であるかぎり、だれもが同じく為すすべき職務についての知をもたねばならない」
当事者である官人が病気であるために、または使者となって出ていてその場にいないために職務が果たせないことがある。
しかし、代わりの官人がその職務についての知をもっているならば、当事者である官人が不在であっても、職務は和らぎをもって遂行されるであろう。その職務に関与するところではないとして、職務の遂行を遅滞させてはならない。


十四に曰く、群居百寮、嫉妬有ること無かれ。

「官人は対手に嫉妬してはならない」
自己が対手に嫉妬するならば、対手もまた自己を嫉妬するであろう。為政にかかわる事柄をめぐる議論において、嫉妬のもたらす災いは際限がない。世人は、対手の知が自己より優っているならば、嫉妬せずにはいらればい。そのために五百年にようやく一人の賢者が出現し千年に一人の聖者が辛うじて出現する、という不幸な事態になる。だが、賢者や聖者なしでは、為政は行えない。



十五に曰く、私を背むきて、公に向くは、是臣の道なり。

「為政にかかわる事柄については、自己の見解に固執せず、他の多くの官人の見解に従う
ことが、皇臣である官人の踏むべき道筋である」
自己の見解に固執するならば、必ず他の官人への恨みを抱くことになろう。恨みをだくならば、他の官人と和らぎ、親しむことがない。他の官人と和らぎ、親しむことがないならば、自己の不十分な見解だけによって、為政についての事柄に対応することになる。恨みを抱くならば、官人共同体の模範を破ることになろう。第一条において『上に立つ者は和らぎ、下の者は逆らうな』と説いたのも同様の意味合いであろ。


十六に曰く、民を使ふに時を似ちてするは、古の良典なり。故、冬の月には間有りて、民を使ふべし。春より秋に至りては、農桑の節なり。民を使ふべからず。

「民を使役するに際し、時節を撰ぶことは、手本とすべき旧くからのやりかたである。冬は、時間の余裕があり、民を使役するによい時節である。春から秋にかけては、農耕や養蚕の季節であるから、民を使役してはならない」
「農耕がなされなかったならば、何を食べればよいのか、養蚕がされなくなったならば、何を着ればよいのは。食物も衣服も手にはいらないであろう」


十七に曰く、夫れ事は独断すべからず、必ず衆と論ふべし。

「為政にかかわる事柄の議論においては、自己の見解によってのみ事を定めてはならない。
必ず他の多くの官人とよく議論すべきである」
些末な事柄であればともかく、為政の重要な事柄をめぐる論議に際しては、自己の見解に誤りがないか、落度がないか、くりかえし吟味しなければならない。事物や事象についての自己の知は不十分である。他の多くの官人の見解に耳を傾け、論議を重ねるならば、事柄への十全な対応を見出すことができるであろう。
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