夢中人

sura@cosmic_a

シャイニングから40年後のテレビドラマ「微笑む人」は迷宮の重症化なのか?

2020年03月27日 | Weblog
こんにちは。suraです。
最近、日本の女性の睡眠時間は世界で一番短いと聞きました。
ずっと以前は7時間とか8時間睡眠時間を取らなければいけない体だったのですが、いつのまにか6時間とか、4時間睡眠時間を切らなけらばなんとかいけると思ってやっていましたが、最近では、7時間とか8時間に戻しました。
そうしましたら、肌の調子が良くなってきたような気がします。独りよがりかもしれませんが。。。

先日テレビドラマを視聴しました。それは「微笑む人」
主演は松坂桃李さん。そして尾野真千子さん。
お話の内容は、誰もがうらやむエリート人生を送ってきた男性が、ある日妻子を殺害してしまうんです。その理由が「本の置き場種が欲しかったから」。
先日から書いているシャイニングシリーズも、父親が妻子を斧を振りかざし襲い掛かっていく話になるのですが、話をみていく過程で、父親の苦悩が垣間見られるんですね。
1980年代の作品ではあるんですけど、生きていく像というかモデルが出来ていて、そこにある理想の父親像的なものに苦しめられているといところも感じられる。
たまに聞きますけど、小さいお子さんをお持ちのお母さん達が、メディアが描く理想の母親像に苦しめられるというのがあったり、子供は子供で、いい子というか親や学校が持っている理想像をクリアしていかなければならないのかなという感じもあったりします。
そんなシャイニングでは、心の不安というか、それが妄想なのか亡霊が現れて、鬼の形相で妻子に襲いかかっていく。斧を持ったりして明らかな鬼状態なんですよ。
それから40年たった2020年に放送されたドラマの主人公は、世間の理想像以上の存在。おそらく、子供の頃からすごくいい子で、親や学校の理想もクリアだっただろうのイメージ。一流大学を卒業し、大手都市銀行に就職している誰もが羨む存在なんですね。だけれども妻子を殺めた。それもシャイニングの時のような鬼の形相でもなく、斧などを持って襲うスタイルでもない。なにか、フッと思いついて表情も変えずに殺害してしまったのです。
シャイニングの場合は、テレビ版では最終的には父親が妻子を守ったんですけど、「微笑む人」の場合は殺害してしまったんですね。
しかも、「微笑む人」の場合、父親のサインがどこにもなかったのか、妻でさえそれを感じることができなかったのか、ディックのような手を差し伸べてくれる人もいないんです。
それは淡々と粛々とという感じでした。
シャイニングで描かれていた迷路。人の心は、あの時くらいからなのでしょうか、出口のない迷路に迷い込み、未だに抜け出せない。それより、その迷路の中でなんとか生きていくが、サインさえ出せず生き方が迷宮入りなのか。
「微笑む人」はホラーでもなくサイコサスペンスでもない。だから亡霊や怪物がでてくるわけでもなく、狂気にみちた人物もでてこない。
今や日常のドラマなのかもしれない。
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シャイニングの続編ドクター・スリープの世界観に引き込まれた

2020年03月27日 | 映画
こんにちは。suraです。
今日は引き続き昨日からの雨が激しく降っていて雷までなっています。
どうやら今週いっぱいは雨のようです

今日は、前回に書きました「シャイニング(TheShining)」の続編「ドクター・スリープ」の感想を書きたいと思います。
「ドクター・スリープ」は「シャイニング」の40年後のストーリー。
シャイニングでまだ子供だったダニー坊やは、すっかり大人になっていました。
大人になったダニーは、アルコール中毒で不健康、荒んだ大人になっていた
この感じからすると、映画版「シャイニング」からの続編なんだろうなと感じます。
テレビ版のラストからすると、未来が荒む感じはしない。シャイニング(特別な力)を持ちながらも普通に生きていくんだろうな的な、ハッピーエンドの終わり方だった印象です。
映画だから映画版からの続編だとは思うのですが、所々テレビ版からの繋がりを感じる所もありました。
例えば、ディックという存在がいるんですけど、ディックもシャイニング(特別な力)持ちで、ダニーとテレパシーで交信できるんですね。それだけにお話の中ではストーリー展開をさせていく重要な人物と思えるのですが、映画版ではちょっと存在感があっけなかった印象でした。けれどもテレビ版の方では、ディックの存在が濃くて、一筋の光のような未来へと繋げてくれるんですよ。
そのディックはテレビ版からの繋がりだと思いました。ダニーの心の闇を解きほぐしてくれるような、他人なんだけど親戚のおじさんみたいな存在。
あと、バスルームに女性がいるんですけど、テレビ版からの印象が強かったような気がします。
だから、「ドクター・スリープ」を「シャイニング」の続編として見るにあたっては、テレビ版も映画版もどちらも見た方がよいのではないのかなと思います。



「ドクター・スリープ」の中ではジプシー達が登場してくるんですよ。そのジプシー達は人ではない存在。
その存在していく為には、人の魂というか生気が必要で、ドラキュラでもなく、あの存在をなんと言えばいいのか?ドラキュラといったら今では少々高級感がなければドラキュラじゃないというかドラキュラ「伯爵」とつくぐらいだから貴族っぽくて、しかも美しくなければドラキュラじゃないぐらいのポジションですけど、あのジプシー達は庶民的というかジプシーであって、取り分け美しいというわけでもなく、、、やジプシーの女性リーダーは美しい方でしたけれども、そのコミュニティ事態はそうでもなく、その特別感が無い所がリアルさを感じるというか、もしかしたらこういう存在いるかもねみたいな感じは受けました。
映画の中では、それぞれの頭の中というか意識が舞台になってることもあって、仮想現実っぽいところもあって、映画の中の出来事を体感している感じではあったけれども、あのジプシー達の存在がリアルに掛かってくるというか今っぽさもあるかと思う。
ラストの植え込みの迷路のシーンは印象深く、人の深層心理に迷い込んだようでした。
この植え込みの迷路はシャイニングの映画版の方で登場するのですが、どこか心の闇を表している感じもあります。
シャイニングができた1980年頃は、心の闇みたいなのがあきらかに全面に出てるというか、それが映画版の狂気という所で表されたというか、そんな感じだったのかもしれませんが、最近では、心の闇というかそれがあきらかに表現されないというか、あのジプシー達のように存在しているのかもしれませんね。
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映画版シャイニング(TheShining)はスタンリー・キューブリック監督がつくった生き物のようだった

2020年03月27日 | 映画
こんばんは。suraです。
今、雨が降っています今の時期の雨を育花雨ともいい、自分が暮らしている地域の桜は、まだ蕾で、この雨で蕾が膨らみ開花へといくのだと思います。
今年は、桜の下で花見弁当などを飲食することは出来ませんが、マスクをつけて、静かにゆっくりとウォーキングついでに眺めたいと思います。

前回、「シャイニング テレビ版」の感想を書きましたが、今回は「シャイニング 映画版」の感想を書きたいと思います。
テレビ版のDVDを見た時に、解説があったんですね。原作者のステーブンキングをはじめ、映画スタッフの方々が座談会のようにして解説されていました。
その中で、ステーブン・キングが映画版の方に対して、不満的な事を言われていたんですよ。それも結構な感じで言っていて、公にしかもDVDで保存されている状態でここまで言うかという感じで少々驚いたんです。



テレビ版を見て、すごく感動した後で、映画版はどのようなものなのかと、そこの所の興味もありつつ映画版を視聴しました。
そうしましたら、映画版は、テレビ版の後半部分がメインとなってストーリー展開している感じなんですね。
有名な場面である、斧を振りかざしているような狂気の部分が中心に描かれてあるかと思いました。
テレビ版を見ていると「シャイニング(The Shining)」は狂気が中心にくるストーリーではないというのは分かります。
テレビ版の解説を聞いていると、シャイニングの原作は非常に長い小説らしく、あれを映画の時間内で全てを表現するのは難しいとは分かる。
。。。けれどもという感じで少々ご立腹な感じでステーブンキングは言っていた。一つ一つの作品が自分の子供のような思い入れがあるのだなというのも感じました。

その反面、映画版のスタンリー・キューブリック監督の1シーンに対する物凄いこだわりの事も言われてました。
そのこだわりの話を聞いていると、物凄いというか少々異常じゃないかと思えるくらいのこだわりで、子役さんが出てくるんですけど、あの子役さんもやったのかと思うと「信じられない」という範囲。
しかし、映画版を見てみると、1シーン1シーンに強い気が吹き込まれているのか、1シーン1シーンが呼吸しているように感じました。
1シーン1シーンが独立して生きている。キューブリック監督は映画なんだけど生き物をつくったのかなという印象です。
そんなキューブリック監督のこだわりにジャック・ニコルソンはじめ出演されている役者さん達も応えられている。
舞台である山の中のホテルも外観とホテル内は別々のホテルだったということで、そこの所も凄いこだわりがあったのだなと思いました

テレビ版と映画版どちらも見ていると、テレビ版はステーブンキングのシャイニングで、映画版はスタンリーキューブリックのシャイニングで自分の中では分かれています。
ステーブンキング作品ファンとしてはテレビ版を押したいところもありますが、映画版のジャックニコルソンのとり憑かれっぷりには圧倒され見応えはやはりあるという感じで、どちらも自分の中に書留られています。
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