25年4月29日 23年3月11日の地震の後の津波の被災地、東松島、石巻、女川を訪れましたが、その後どうなったかも気になり機会ができたので、巡ってみました。 石巻に入りました。 石巻市には、被害を受け操業不能になった日本製紙の工場があり、八代市は八代の日本製紙とともに被災者救済、畳などの支援物資を送りました。 今は、石巻の日本製紙の工場は、可動している様子で少し安堵しました。 「がんばろう 石巻」の付近 石巻市立門脇小学校跡 多くの家が建っていたであろう小学校の回りの住宅街は、片付けてあり、小学校跡だけが残されていました。 震災のあと、少し落ち着いた頃女川を支援している関東の方からミシンの支援が欲しいと打診があったので、JUKIのシュプール他ロックミシン、資材などを被災地へ送りました。 その後一度訪れたのですが、まだまだがれきだらけで手の施しようもなく、道もなく、あえなくたどり着くことができずに引き返してきました。 今回再度訪れましたが、道も出来、がれきはほとんど片付けてありました。 土台ごと倒れて悲惨な状態になった女川交番跡が、このまま残すかどうかで立て看板が設置してありました。 雄勝中学校跡 雄勝小学校跡 4月30日 山田町袴田第一地割付近 山田湾で養殖いかだを多数発見 カキ養殖らしい 田老地区のスーパー堤防の内側も被害に 北リアス線 堀内駅付近 野田町へ 「過去の津波浸水区間 ここまで」の看板 つづく |
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