○二大政党制というが、これまたアメリカのものまねではラチがアカンよ。
二大政党制というなら、病んだアメリカの保守二大政党制などに学ぶことはないのである。むしろ、イギリスの保守党と労働党のあり方をより洗練させる必要性があるのではなかろうか。そもそも、日本には、保守と革新(曖昧な定義だが)の二大潮流がかつてはあった。しかし、自民党に対抗するべき社会党は、保守政党の連合政権の中に組み込まれ、巧妙に潰されたのである。当時はマスコミも社会党批判に明け暮れた。政策がないだの、空理空論しか出来ないだの、反対のための反対しか出来ないなどといった批判だったと記憶する。また、そのような風潮によって、社会党内の右派の若手の連中が、保守主義にすり寄った。このような情勢の中で、当時の自民党、新党さきがけ、社会党の連立政権が出来たのである。1994年の悪夢の出来事だった。当時の社会党党首の村山富市が首相指名を受けた。村山はそれがいったい何を意味するのかを深く考えもせずに、流れのままに首相になった。社会党党首が首相になるのは、1947年の片山内閣以来の、実に47年ぶりのことだった。多くの方が知り得ないことだが、村山は社会党内の左派だという認識をお持ちの方が多いと思う。当時のマスコミも村山の政治家デビュー当時のことばかり報道していたので、そのような錯覚を持たれたのも当然なのかも知れない。しかし、村山富市は、歴然たる社会党内の右派であった。彼は、右派勢力が主催する「政権構想研究会」、及び水曜会に所属する、社会主義からはかなりかけ離れたところにいた人物だったのである。
1994年に村山富市が首相指名を受けて、その時の首相就任表明演説は、まさに保守党右派、タカ派たちが小躍りして喜んだ内実だった。長きに渡って社会党の党是としてきた、反安保・反米・国家、国旗反対という社会党の旗を全てドブに捨てた調本人が村山富市なのである。村山は、首相就任表明演説の中で、自衛隊合憲を声高に言い放ち、同時に日米安保条約堅持の確約さえした。自衛隊合憲といいながら、翌年の1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災において、村山は、情報を受けながらも、自衛隊派遣を渋った。その結果があの悲惨な被害者の数として現れた。村山の大罪とは、日本における保守・革新二大政党制という可能性を完全に潰したことだ。当然のことだが、その後社会党は雪崩を打ったように総崩れを起した。社会党は解体されざるを得ないところまで追い詰められた。社会党左派の流れを組む党として、いまは細々と社会民主党があるが、この党が、保守・革新の二大政党制度を担うだけの力はない。福島党首が鳩山内閣に入閣し、その理念ゆえに罷免されたのが、いまの社会民主党の実力である。1994年の村山富市の首相就任をひとつのターニングポイントとして、日本の労働市場に大きな変化が起きている。企業業績が悪化すれば、アメリカのように簡単に人を切り捨てるような国になった。派遣社員が当然のようにまかり通ることになった。国家財政が厳しくなると、景気浮揚策もロクに考えないで、すぐに消費税の引き上げが論議の対象になる。いまや、政治家、高級官僚のやりたい放題。それが、まじかに迫っている参議院選挙に投票しなければならない我々が置かれた状況である。自民党から離脱した人々によってつくられた新党もすべて保守。選挙を前に言っていることに微妙な差異はあるにせよ、本質は変わらない。民主党は惨敗するだろう。現在のマスコミの出口調査よりも結果ははるかに悪く出ると思われる。民主党も含めて、保守政権を創ってしまえば、国民生活はアメリカ並みに落ち込むことは目に見えている。
社民党は、すでに福島党首の存在自体が危ない。共産党は金太郎飴だ。誰もが同じことを言うだけだ。それに軍事費を削減すると言っているが、防衛戦略に関してはなかなか公にしないが、彼らの主張は、ゲリラ戦だと言う。陸続きの国ならばともかく、日本の地勢でゲリラ戦を強いられたときは、もはや他国に占領されている中でしかないだろう。その後防衛戦略が変わっているかも知れないが、大した違いはないだろう。公明党は自民党にくっ付いてまで大臣の椅子を欲しがった。それになにより、政教分離も出来ていない政党は信用に値しない。迫りくる参院選は、国民にとって、出口なき選択を迫られる。蒸し暑い梅雨が、ますます息苦しくなる選挙選だ。どこに投票したところで、光は見えないのだろう。それにしても、善人顔の村山富市は、いまだ健在だ。人生なんて、どこまでいっても不公平に出来ている。今日の観想である。
推薦図書:「フリーフォール」ジョセフ・E・スティグリッツ著。徳間書店。ノーベル賞経済学者の説得力あるアメリカ論と言えます。日本が丁稚のようにアメリカのものまねをしたがりますが、その当のアメリカがいかに一部の富裕層のためだけの政治をしているかがよくわかります。その理由に関しても説得力がある書です。ぜひ選挙前にどうぞ。一般書として書かれていますから読みやすいのです。
京都カウンセリングルーム(http://www.counselor-nagano.jp/)
アラカルト京都カウンセリングルーム(http://www.sodan119.jp/) 長野安晃
二大政党制というなら、病んだアメリカの保守二大政党制などに学ぶことはないのである。むしろ、イギリスの保守党と労働党のあり方をより洗練させる必要性があるのではなかろうか。そもそも、日本には、保守と革新(曖昧な定義だが)の二大潮流がかつてはあった。しかし、自民党に対抗するべき社会党は、保守政党の連合政権の中に組み込まれ、巧妙に潰されたのである。当時はマスコミも社会党批判に明け暮れた。政策がないだの、空理空論しか出来ないだの、反対のための反対しか出来ないなどといった批判だったと記憶する。また、そのような風潮によって、社会党内の右派の若手の連中が、保守主義にすり寄った。このような情勢の中で、当時の自民党、新党さきがけ、社会党の連立政権が出来たのである。1994年の悪夢の出来事だった。当時の社会党党首の村山富市が首相指名を受けた。村山はそれがいったい何を意味するのかを深く考えもせずに、流れのままに首相になった。社会党党首が首相になるのは、1947年の片山内閣以来の、実に47年ぶりのことだった。多くの方が知り得ないことだが、村山は社会党内の左派だという認識をお持ちの方が多いと思う。当時のマスコミも村山の政治家デビュー当時のことばかり報道していたので、そのような錯覚を持たれたのも当然なのかも知れない。しかし、村山富市は、歴然たる社会党内の右派であった。彼は、右派勢力が主催する「政権構想研究会」、及び水曜会に所属する、社会主義からはかなりかけ離れたところにいた人物だったのである。
1994年に村山富市が首相指名を受けて、その時の首相就任表明演説は、まさに保守党右派、タカ派たちが小躍りして喜んだ内実だった。長きに渡って社会党の党是としてきた、反安保・反米・国家、国旗反対という社会党の旗を全てドブに捨てた調本人が村山富市なのである。村山は、首相就任表明演説の中で、自衛隊合憲を声高に言い放ち、同時に日米安保条約堅持の確約さえした。自衛隊合憲といいながら、翌年の1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災において、村山は、情報を受けながらも、自衛隊派遣を渋った。その結果があの悲惨な被害者の数として現れた。村山の大罪とは、日本における保守・革新二大政党制という可能性を完全に潰したことだ。当然のことだが、その後社会党は雪崩を打ったように総崩れを起した。社会党は解体されざるを得ないところまで追い詰められた。社会党左派の流れを組む党として、いまは細々と社会民主党があるが、この党が、保守・革新の二大政党制度を担うだけの力はない。福島党首が鳩山内閣に入閣し、その理念ゆえに罷免されたのが、いまの社会民主党の実力である。1994年の村山富市の首相就任をひとつのターニングポイントとして、日本の労働市場に大きな変化が起きている。企業業績が悪化すれば、アメリカのように簡単に人を切り捨てるような国になった。派遣社員が当然のようにまかり通ることになった。国家財政が厳しくなると、景気浮揚策もロクに考えないで、すぐに消費税の引き上げが論議の対象になる。いまや、政治家、高級官僚のやりたい放題。それが、まじかに迫っている参議院選挙に投票しなければならない我々が置かれた状況である。自民党から離脱した人々によってつくられた新党もすべて保守。選挙を前に言っていることに微妙な差異はあるにせよ、本質は変わらない。民主党は惨敗するだろう。現在のマスコミの出口調査よりも結果ははるかに悪く出ると思われる。民主党も含めて、保守政権を創ってしまえば、国民生活はアメリカ並みに落ち込むことは目に見えている。
社民党は、すでに福島党首の存在自体が危ない。共産党は金太郎飴だ。誰もが同じことを言うだけだ。それに軍事費を削減すると言っているが、防衛戦略に関してはなかなか公にしないが、彼らの主張は、ゲリラ戦だと言う。陸続きの国ならばともかく、日本の地勢でゲリラ戦を強いられたときは、もはや他国に占領されている中でしかないだろう。その後防衛戦略が変わっているかも知れないが、大した違いはないだろう。公明党は自民党にくっ付いてまで大臣の椅子を欲しがった。それになにより、政教分離も出来ていない政党は信用に値しない。迫りくる参院選は、国民にとって、出口なき選択を迫られる。蒸し暑い梅雨が、ますます息苦しくなる選挙選だ。どこに投票したところで、光は見えないのだろう。それにしても、善人顔の村山富市は、いまだ健在だ。人生なんて、どこまでいっても不公平に出来ている。今日の観想である。
推薦図書:「フリーフォール」ジョセフ・E・スティグリッツ著。徳間書店。ノーベル賞経済学者の説得力あるアメリカ論と言えます。日本が丁稚のようにアメリカのものまねをしたがりますが、その当のアメリカがいかに一部の富裕層のためだけの政治をしているかがよくわかります。その理由に関しても説得力がある書です。ぜひ選挙前にどうぞ。一般書として書かれていますから読みやすいのです。
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