ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○思い出してしまった!

2010-10-13 16:03:19 | Weblog
○思い出してしまった!

 ずっと、ずっと自分の中でわだかまっていた出来事がある。忘れようとしたこともない。ある意味で、自分の卑劣で唾棄すべき行為を戒めとして生きてきた。何故敢えてここに書こうと思ったのかというと、先日の神戸の青年の刺殺事件がきっかけである。歪曲した精神性を持って、自分と自分のガールフレンドにひたひたと迫ってくる異常者に気づいて、ガールフレンドにひと言、「逃げろ!」と叫び、自分は狂気の刃に倒れた青年の姿が、40年近く前の、あの忌々しい事件を思い起こさせたのである。
 命知らずだった10代後半から、生きることもままならない東京の電気屋の丁稚時代を通り抜けて、どうにか大学というところにもぐり込んで、いっときの生の安らぎに似た感情をとりもどした頃のこと。無論、大学生と言っても誰の経済的援助もなく生きていたわけだから、どこまで大学を続けられるのかという不安感に苛まれてはいた。とは言え、どう控えめに見ても、僕の青年期としては平穏な時期だったと思う。どこでどう知ったのか、そんな僕のもとにかつての畏友であるSと、おそらくはSを慕っていた高校の同級生の彼女。僕は少なからぬ関心を彼女に抱いていたと記憶する。3人だけの、不定期の文学研究会を、神戸のSの安アパートで開くことになった。当時、大学の講義のアホらしさに呆れはてて、アルバイトの空いた時間も殆ど大学には出ない日が続いていた。自分の3畳一間の下宿にこもって文庫本を貪るように読み暮らしていた。だから二人の誘いは、自分の中に澱のように沈殿した文学と哲学の知識が雑多に入り乱れ、どうにも収拾不能状態に陥っていた思考を、他者の前で吐き出し、相互批判し、そのことによって新たな知の地平が開ければ、どんなにすばらしいか、という開放感で僕の頭の中をいっぱいにさせた。しかし、実際にはじめてみると、Sの思考の到達点の高さに唸り、彼女の感性の鋭さに感嘆し、さらに悪いことに、僕の裡には、Sへの彼女の気持ちと彼女のSへの想いが透けて見えるようで、時折息苦しくなった。余計者としての自分を常に意識していた感がある。議論は真夜中にまで及ぶことしばしばで、お開きになると、僕たちは3人で新開地に繰り出して、安酒を酌み交わすというのが、定番だった。
 あれは、研究会が10回くらい続いた後の新開地での出来事だった。僕たちは、さて、うまくて安い店を探さんとして、ぶらぶらと新開地の裏通りを歩いていたとき、やつらが現れた!すでに出来上がってしまった詰襟の学生服に身を包んだ20人くらいの、たぶんチンピラまがいの応援団だったろう。突然、僕らの方に走り出して来た。有無を言わせず、ウォーという雄叫びをあげて、奴らは襲いかかって来た。機動隊よりもずっとタチが悪い。前後関係を考えない、空手だの柔道だのをかじったがっちりした体躯から繰り出される回し蹴りを腕で受けた瞬間、これはヤバいと思った。頭の中で、うまく行って病院送りだろうな、と覚悟を決めた瞬間、Sの、長野―!走れ!という言葉に身体が反応した。陸上競技の短距離走者あがりだ。猛然と奴らを振り切り、走り出した。言い訳に聞こえるだろうが、その時の僕の頭の中に、逃げている自分というイメージはなかった。ただただ、全力疾走する自分がいただけだった。相当に走って、走りながら後ろをふと見ると、少し離れてSがついて来る。その後にやつらの姿はなかった。が、走りながら、僕は、Sに、おい、彼女はどうした?と問いかけていた。Sにも余裕などなかったのだろう。二人は顔を見合わせて、自分たちが、彼女を置き去りにしてきてしまったことを思い知った。その刹那、僕たちはそこからとってかえして、走り出した場所へまたもどった。全身汗まみれだった。その汗は疾走したから出た汗というよりも、自分たちが仕出かした、世にも恥ずかしい行為に対する冷や汗とあぶら汗の混じった、嫌な感覚のそれだった。
 現場に着いた。誰も居なかった。事の重大さに足が萎えた。自分の卑劣さに頭を搔き毟った。やつらが待ち構えていて、殴られ、蹴りを入れられ、肋骨の何本かを折られた方がよほどましだった。しかし、僕らを待ち構えていたのは、夜の闇と静寂だけだった。僕はSと彼女との関係性を何となく察していたので、敢えて彼女の連絡先の電話番号を知ることもなく月に一度、切ない想いで彼女と邂逅していたのだ。もし、彼女の連絡先を知っていたとしても、僕には彼女の家に電話など出来るはずがなかった。たぶん、あのときだけだ、僕が神にすがる想いを感得したのは。Sは自分の手帳を取り出して、彼女の家に電話した。彼女はタクシーで何事もなく帰宅したのだそうだ。それを聞いてホッとして、僕は膝をついて頭を垂れた。卑怯者になるくらいなら、命など要らないと思っていた自分が、走れ!という声に内心の怖れが共鳴して、自分の信念を投げ出した。ひとりの女性を危険な場に置き去りにした。こうして当時のことを書きながら、胃の腑からは苦い味の胃酸がせり上がって来るのを禁じ得ない。その後、彼ら二人には、会っていない。会えなかったという方が正確だ。たとえ凶器を持っていたとしても、二人ならば、当時の僕なら、悪くしても合い打ちくらいには持っていけただろう。亡くなった青年は、凶器を持った人間などと立ち向かったことがなかったのだろう。しかし、死しても名誉は残った。この事件を知って、過去の自分の卑劣さを恥じ入るばかりである。この気持ちから解放されたいが、たぶん、生涯消えない汚点として残り続けるだろう。また、それでよいのだろうとも思う。死した青年の冥福を心より祈る。安らかに眠ってほしい。

今日は推薦図書はありません。そういう気分ではありませんので。すみません。

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