ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○保守主義者?に言いたきことがある。

2010-10-31 22:17:22 | 政治・経済
○保守主義者?に言いきことがある。

まずは、保守主義者という存在の定義をしなければならないだろう。私がここで問いかけたいと思うのは、かつての正統派?の保守主義者のことではない。少なくとも彼らには、保守すべき、長年に渡って生き延びてきた伝統的な価値観という実体を、明確に規定出来る能力があったと思う。しかし、現代という時代性の中で、保守主義という言葉はまことに便利、勝手気儘に使われているので、真正の保守主義者にとっても、迷惑千万なのではなかろうか、と思う。たとえば、ジャーナリズムの良心などというが、思想的に右から左まで、論調は違えども、一応にエセ保守主義の大合唱である。エセものであることの意味は、思想性のなさゆえである。一般に、現代におけるジャーナリズム保守主義とは、生活言語、もっと砕いて言えば、己れの生活を何とか維持していくだけの現状を阻止すべきものを、エセ保守主義者たちは、サヨクといい、批判するだけのことなのである。つまりは、現代ほど、思想というものと解離した時代性はないと言っても過言ではないのではなかろうか。

真正の保守主義者を標榜する論客の一人である、西部邁が、エセ保守主義たる大衆の生活感覚を、また、そういう大衆におもねるようなニュースの垂れ流しのごときジャーナリズム、一般書の類に対してしばしば牙をむくのも、ある程度頷ける。もともと資本主義という名の論理は、底に思想などという高邁な論理はなく、敢えてそれに似たものを探せば、経済の論理くらいのものである。換言すれば、資本主義などというものに、思想などはない。社会通念としても、不景気になれば、最も弱いところから、金の回収をやるものなのである。銭金が最も大事な思想、言葉を換えれば、単なる拝金主義という唾棄すべき思想がその根っ子にある。それが現代資本主義の本質である。貧富の差をなくそうという思想、誰もが平和に暮らせる思想がなければ、あるいは、そのために闘う意思がなければ、社会は、腐り果てるだけである。

社会主義や共産主義における革命の過程で、その刹那に、革命によって勝ち取られるべき理想、人間の尊厳が守られるはずの思想が見えたはずなのである。しかし、現代に残った名前だけの社会主義国、あるいは共産主義国と言っても同様だが、それらの国々の、権力者たちの利権、権益を保守しようとする厭らしさには、ほとほと辟易させられる。しかし、その一方で、幻想としての世界同時革命を目指したかつての革命家たちもことごとく、その末路は悲惨である。

しかし、社会変革に、テロリズムを含む暴力革命なくして、社会の転覆はあり得ない。こんなことを書くと、危険思想だという批判が返ってくるのだろうが、平和的な権力委譲など歴史上かつてなかったはずである。平和こそ、闘いによって勝ちとらねばならない最大の目標だ。黙して待つだけでは、平和は、経済的勝者たちのご都合主義のために利用されるだけではないか。私が言いたいのは、平和主義を標榜するならば、低次元の政治的で、つまらない駆け引きなどやめて、現在世界中に溢れている武器も全て捨て去って、大国も小国も、喧々諤々の議論のための外交をやればよい。そのために、世界経済が沈滞したとて、何がダメなのか?ヘタな利権獲得のためのやり取りが長引けば、世界中が不況になるのである。それが平等というものである。大衆が、もしも、力を発揮するとすれば、こういうところからしかない。持てる者の都合でリストラに晒されて、自分の生活を守るのに躍起になっているだけの守りの姿勢を保守とは言えないのである。大国の利権のための金融資本主義がすでに破綻している。この時代に、老後がどうの、こうの、と言っていてもはじまらないのである。小さな生活を守ることに汲々とすることなかれ、とも言いたいのである。

現代において、ヒューマニストであることを己れの思想の土台にする論者は、すべからく偽モノである。なぜなら、彼らこそ、時代の寵児であり、銭金に関して鋭敏であり、セコイ金銭的成功をおさめている輩だからである。彼らの主張することは、確かに舌ざわりはよかろうが、そこに何らの真実もない。さて、思想的な構えを持った真正の保守主義者、エセモノのヒューマニストを気どった括弧つきの保守主義者、あなた方は、いったい、何を保守しようとしているのか?チャチな自分の世間的名声と、それに伴う金銭的見返りを保守するために、大衆を騙してはいけない。大衆が賢明でないことは、よく理解しているが、保守的扇動は、罪深い。大衆の思想の広がりの可能性を根こそぎ奪ってしまうからである。ちっぽけな目の前の、計算したところで、その銭金の計算自体が幻想的未来であるに過ぎないのに、あたかもそれが確実に手に入るべきものだという錯誤を抱かせるという意味で、詐欺的行為である。保守主義者よ、君たちは、この世界のありようを肯定しているのではなかろう?拝金主義を排せよ。そうすれば、君たちがなすべきことが漠然とでも見えてくるはずである。それなら、おまえの構えは、どうなのか?という質問に対しては、自分は敢えて時代遅れの、世界同時革命論者である、と主張しておくことにする。ただし、力なき、孤独な革命論者である。力なきがゆえに、世界で孤立してもいる。恥じることなく、告白しておくことにする。

推薦図書:「エウスカディ」馳星周著。上・下巻。角川書店。1970年代初期に、日本赤軍であった、一人の青年と、スペイン内乱後のフランコ独裁政権によって、抑圧されていた、バスク民族主義のテロリズムとの相克との合一の物語である。青年の暗殺に至るまでの物語と、青年がバスク女性の間にこの世に送り出した、21世紀の世界とが交錯する読み応えのある物語です。ぜひとものお薦めです。

文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃