ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

観察と洞察

2006-12-14 00:15:16 | Weblog
今日はカウンセラーらしく、書いてみようと思う。たとえば、新しいクライアントから予約の電話が入ったとしよう。こちらはうれしいのと同時に、どのような症状であるのかがとても気になる。そんなことを考えながら、当のクライアントを迎えることになる。僕よりは確実にクライアントの方が緊張しているのは当たり前の話である。だから、最初は名刺を手渡しながら自己紹介をして、向かい合ったソファーに座るように指示する。僕はすぐに少しでも和やかな雰囲気を創るように最大の努力をする。そして、最初にカウンセリングカルテというものに簡単に、必要事項を埋めていってもらう。その間も僕の頭の中は、この人の相談内容はどのようなもので、どう対処すべきかを考えている。クライアントがカルテを書き終わった頃、カルテに書かれた内容を見ながら、クライアントを観察する。クライアントによっては落ち着きがなかったり、いらいらしていたり、疲れた様子をしていたり、あるいは喋りだすのをいまかいまかと待っていたりする。それらの様子から、だいたいの目安をつけるのである。半分は当たっている場合が多い。これはあくまで表からのカウンセラーの観察の目である。

さて、あなたのお悩みは? という言葉がはじまると同時に、ゆっくり喋り始めるクライアントもいれば、せきをきったように話しはじめるクライアントもいれば、おもむろに構えて話始めるクライアントもいる。内容は具体的には書けないが、それぞれの相談内容の深さによって、カウンセラーは言葉によって語られた出来事の様子や感情の奥に隠されたクライアントの心の底に隠れている心理を探り出す洞察の行為をクライアントの言葉を聞きながら、頭の中はフル回転をしているのである。特に気をつけているのは、突然クライアントの言葉の調子が低くなり出したり、早口になり出したり、声が一段階高くなり出したり、声の調子がひっくりかえったりしたときの、彼らの言葉の内容を深く探る場合である。このときにはかならず、彼らクライアントはとても正直に話している。隠したりする気配はないのである。しかし、その言葉そのままには受け取ってはならないのであって、その言葉の裏に隠されたクライアントの苦悩をカウンセラーは言葉を継ぎ足しながら、クライアントに聞いてみるのである。最低限の言葉でよい。そうすると、クライアントは長く心の中に留めていた苦悩と苦痛の本質を喋り始める。カウンセラーは彼らの心の叫びを余るところなくノートに書き留める。書き留めながら、クライアントに再度、あなたはいま、このようなことを言ったのだが、それは違う言葉で表現すると、こうも言えるのですね、と違う角度から、問いなおす。そうすることで、クライアントの言葉の真意の確かさを確認するのである。ここは、カウンセラーの洞察の力がなければ出来ないことである。まず、僕らカウンセラーはこの部分で飯を食べさせて頂いている、ということを念頭において、頭をフルに回転させるのである。これが出来ないカウンセリングは大体において聞くだけに重点をおいているだけであり、クライアントは喋ったことによって解放感を味わえないという結果に終わる。つまり、このようなカウンセリングは失敗だと思って差し支えないのである。

カウンセラーは脳味噌だけが疲れる感じの疲労感を覚える。これが職業病だと言えば、言えなくもない。困難なクライアントの場合は終わった後の短時間の睡眠が必要な場合もある。そして、僕は以前に「精神科回り」というブログでも紹介したように、クライアントが精神科に通いながら、カウンセリングにやってくることはかなり多いのだが、彼らの呑んでいる薬の効用を実際に身体をはって知っているので、服用中の薬の名前は必ず書いてもらうようにしている。

精神科といえば、これはカウンセラーの愚痴になるが、なぜ、クライアントの悩みを表層的に、しかもごく短時間にしか聞いてくれないのであろうか。彼らは薬を処方することだけが自分の仕事だと思ってしまっているのであろうか? それでは医師としての資質を問われても致し方ないであろう。最近、あるクライアントが2年もかかっている精神科の薬を書いてもらったら、いかにも合っていない薬を出し続けているので、この精神科医はどんな人だろう、と驚いたことがあった。それで、僕は身体をはったカウンセラーとして、クライアントに適度なごくポピュラーな薬に変えてもらうように指示をだした。勿論精神科医はプライドだけは高いので、直接に僕が書いた薬の名前を出したらいけないよ、と注意してかえしたのであった。明くる日、そのクライアントのかかりつけの精神科医から電話があった。いかにも偉そうな感じで僕に余計なことをするな、という趣旨の電話だった。どうもクライアントは僕の書いた薬名をそのまま見せたのだと推察された。そのクライアントが次にやって来たとき、そういう電話があったよ、と軽く伝えて、彼の新しい処方箋を見せてもらうと、薬は変わっていたが、見事なまでに僕が書いた薬をはずして処方していた。何とも底意地の悪い医者である。こんな医者にかかりたくはないなあ、と僕は思い、ちょっとした怒りの感情を抑えて、クライアントの話を聞き始めた。カウンセラーの日常である。

〇推薦図書「薬でうつは治るのか?」片田珠美著。洋泉社刊。近頃うつ症状に陥る人たちが増えています。耳学問も悪いとは言いませんが、少し調子が悪いと思ったら、最低限の知識を入れておくのも悪くはない、という類の本です。よろしければどうぞ。

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

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