ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

僕は癒されてきたか?

2006-12-14 23:51:28 | Weblog
21世紀の幕開けと共に僕は天職と思っていた教師という座から理事会や管理職たちの卑劣な画策によって引きずり降ろされた。そして彼らが乞食にでも恵み銭を与えるように、懲戒免職ではなく、依願退職として、退職金を辛うじて手渡してみせた。(詳しくは「ちょっと長いプロフィールを参照) そして僕は6月20日の給与を最後にばったりとお金の入り処がなくなった。息子の学校の授業料をどうする? 家のローンの残りをどうして支払う? いままで繋がっていたと思っていた人間関係は殆ど幻影だった。女房さえ、愛想を尽かした。離婚し、何をするにも中途半端な小額の金を持って僕は家を出た。いったい教師として積み上げてきた23年間は何だったのか? 英語教師として、研究してきた教授法の研究発表は何のためにやってきたことなのか? 家を出るとき、僕は絶望のどん底にいた、と思う。どのような希望も持てなかった。
家を出るまでの間、僕は何とか新しい就職先を探そうとして、何枚も履歴書を書いた。僕は何を思ったか、就職誌を見て一番最初に履歴書を持って訪れたのは、味噌屋さんであった。仕事の内容は味噌を家を一件ずつ廻って売り歩く仕事のようだった。味噌屋さんのご主人はまず僕の履歴書を見て驚き、何故知っていたのかは分からぬが、僕が当時もらっていた給与の額を大体言い当てた。そして、彼は僕にこう言った。一応仕事の内容は説明するが、あなたがもらっていた給与に相当するようなお金は絶対に稼げないよ、これは覚悟しているんだね、と。その方は落ち込んだ様子の僕に、あくまで優しかった。彼は履歴書は預かって置くけれど、もう一度じっくりと考えてからいらっしゃい、と僕に優しく言って送り出してくれた。僕には何も見えていなかったのである。47歳という年齢のことも焦りに繋がっていた。教員募集もあったので受験はしたが、考えてみれば、どこの学校が47歳の中年教師を新人教師として雇うだろうか。若い人を僕の給与で何人雇えることだろうか。そんなことを考えていたら、しっかりと僕は試験に失敗した。当然の結果だっただろう。
僕は心の状態が完全に回復する間もなく、世界の只なかに放り出されたのである。なにがどうなって、いまカウンセラーになって生業を立てているか、と人から問われれば、答えようがないことが多いのである。恥ずかしいことなのだが、それが事実なのである。だから、教師を追放されてからのまる6年間というも、僕は心を癒されたことがない、と思う。いつもどん底である。僕が何とかカウンセラーとして仕事が出来るのは、どん底にいることに大きく関わっている。どん底にいることによってクライアントの哀しみや、苦悩を共有することが出来るのである。その力だけでいま何とか頑張れているだけである。ある意味で僕はまだまだ弱い素質しか持てないカウンセラーであると言える。ただ、確かに言えることは人には見えない微妙なことが見えるのは確かである。これは負の側からしか見えない要素ではあるが、意外にこれが他のカウンセラーの方には困難であるらしい。カウンセラーを変えて、僕のところはわざわざやって来てくださる方々もいらっしゃるからである。
しかし、僕はまだカウンセラーとしては、本物にはなりきれていない人間である。これは認めなければ誠実ではない。いま僕には僕なりの癒しが必要であり、その癒しがなされて、僕が人間として完全に自立したとき、僕は本物のカウンセラーになっていることだろう。まだ少しかかる。それまでの間、僕のところを訪れてくださる方々には、完全とは言い難いが、僕の現在の全人格を賭けて、命懸けで立ち向かうことを約束したい、と思っている。たぶんそれでほぼ全員のクライアントの方々は癒されるはずである。僕自身の癒しは少し時間をかけて実行していこう、といま考えている最中です。

〇推薦図書「「思い」と「実現」」の法則」ウォレス D. ワトリズ著。イースト・プレス刊。少し疑いながらの推薦です。「思い」が運命を変える、という著者の意図がくみ取れる方にとっては、生きる力になり得る本です。読んではみましたが、僕はこの本によって大きな癒しを受けたか、というと、それほどでもありません。でも名著であることには違いありませんからここに推薦書として掲げておきます。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。