○世の中、不公平に決まっているではないか
この世の中に生を受けたその瞬間から、人生の選択肢の大まかな枠組みは出来上がっているものだろう。富裕層に生まれた人のお育ちは、まるでわからないが、貧乏人の家に生まれてから気の遠くなるような時間が過ぎると、よほどの強運の持ち主か、才能があるか、時代が味方したかくらいの要素が整わなければ、まずは貧しさの形態は違えども、貧しさに慣れ親しんだ人間は、やはり冴えない人生に身を晒しているというのが、通例の姿ではなかろうか。特に恵まれた才能もなく、高度経済成長時代を経て、名義だけの持家を何とか持てたと思ったら、平成の、わけのわからぬ経済不況という名のもとになされ続けている人員削減によって、ローンが払えずに、銀行に抵当権を盾に我が家を乗っ取られたも同然のサラリーマン諸氏たちが、取り返しのつかない年齢のもとで、雇用する気もない企業に応募しては落とされて、その度に自分の生きている価値にすら疑問を持ち始める。気の弱い人々は、この会社に骨を埋めるつもりで頑張るぞ!という意気込みもむなしく、ビルの屋上から身を投げる。家のローンや子どもたちの教育資金を生命保険で確保するためだ。もっと内的には、自己の人生を振り返って、何もなかったことに気づいての、絶望感がその主な原因なのかも知れない。我が自殺者大国に異変が起こっている。それは社会的中心であるべき30代の自殺者の割合が最も大きいという。<希望を与えられない国、日本>というスローガンが最もぴったりとする。
こういうことだろうか。人は、金があり、それ相応の家柄があり、金にものを言わせて幼い頃から勉強し、いまの大学入試なんて、勉強の環境と、勉強量と、熾烈だろうが成績のたゆまぬ点検を怠らねば、たいていの有名大学には入学できる。たとえば東大の合格者の親の年収などは、かなりなハイソに属していなければ、教育にかける金など出せる額ではない。最後にものをいうのは歯に衣を着せねば金の力であることを否定できる人はいないのではなかろうか。
全般的に言って、日本は金余りの国である。タンス貯金や財布代わりに貯蓄している金の量たるや、たぶん世界一ではないかと思う。それでももっと儲けてやろうとしている人々は、株式の世界に手を出しているのである。平凡な庶民は、リストラの嵐の中でひたすらサービス残業もなんのその、岩壁にへばりついているような生活を強いられている。いつ、家のローンが支払えなくなるかも知れない危惧を抱えて怯えている。「成り上がりのエーチャン」こと、矢沢永吉が到底社会的成功者とは言えない若者とも中年とも規定し難い年齢層に絶大な人気があるのも、やはり、現実に成り上がったエーチャンに嫉妬するのでなく、ある種の偶像崇拝のごとき存在として彼らファンの心を支配しているのではないか、と推察する。全国のあちらこちらで、エーチャンもどきの服装に身を固めたエセエーチャンが集うのだそうだ。政治家が聞いたらどれほどうらやましがることだろうか。さて、この不公平極まる世の中で、小さくなって生きることなく、あくまで自尊心を捨てず、身勝手な自己満足をすることなく、それでも金には縁のない人間が生き抜く道など果たしてあるのや、ないのやら。今日の観想とする。
○推薦図書「トーキョー・バビロン」(上)(下)馳星周著。双葉文庫。若くして人生の敗者だった主人公3人が、起死回生の大ばくちを悪玉たちに対して打ちます。爽快。そういう気分も大切でしょうから、今日はこの書を推薦します。ぜひ、どうぞ。
文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃
この世の中に生を受けたその瞬間から、人生の選択肢の大まかな枠組みは出来上がっているものだろう。富裕層に生まれた人のお育ちは、まるでわからないが、貧乏人の家に生まれてから気の遠くなるような時間が過ぎると、よほどの強運の持ち主か、才能があるか、時代が味方したかくらいの要素が整わなければ、まずは貧しさの形態は違えども、貧しさに慣れ親しんだ人間は、やはり冴えない人生に身を晒しているというのが、通例の姿ではなかろうか。特に恵まれた才能もなく、高度経済成長時代を経て、名義だけの持家を何とか持てたと思ったら、平成の、わけのわからぬ経済不況という名のもとになされ続けている人員削減によって、ローンが払えずに、銀行に抵当権を盾に我が家を乗っ取られたも同然のサラリーマン諸氏たちが、取り返しのつかない年齢のもとで、雇用する気もない企業に応募しては落とされて、その度に自分の生きている価値にすら疑問を持ち始める。気の弱い人々は、この会社に骨を埋めるつもりで頑張るぞ!という意気込みもむなしく、ビルの屋上から身を投げる。家のローンや子どもたちの教育資金を生命保険で確保するためだ。もっと内的には、自己の人生を振り返って、何もなかったことに気づいての、絶望感がその主な原因なのかも知れない。我が自殺者大国に異変が起こっている。それは社会的中心であるべき30代の自殺者の割合が最も大きいという。<希望を与えられない国、日本>というスローガンが最もぴったりとする。
こういうことだろうか。人は、金があり、それ相応の家柄があり、金にものを言わせて幼い頃から勉強し、いまの大学入試なんて、勉強の環境と、勉強量と、熾烈だろうが成績のたゆまぬ点検を怠らねば、たいていの有名大学には入学できる。たとえば東大の合格者の親の年収などは、かなりなハイソに属していなければ、教育にかける金など出せる額ではない。最後にものをいうのは歯に衣を着せねば金の力であることを否定できる人はいないのではなかろうか。
全般的に言って、日本は金余りの国である。タンス貯金や財布代わりに貯蓄している金の量たるや、たぶん世界一ではないかと思う。それでももっと儲けてやろうとしている人々は、株式の世界に手を出しているのである。平凡な庶民は、リストラの嵐の中でひたすらサービス残業もなんのその、岩壁にへばりついているような生活を強いられている。いつ、家のローンが支払えなくなるかも知れない危惧を抱えて怯えている。「成り上がりのエーチャン」こと、矢沢永吉が到底社会的成功者とは言えない若者とも中年とも規定し難い年齢層に絶大な人気があるのも、やはり、現実に成り上がったエーチャンに嫉妬するのでなく、ある種の偶像崇拝のごとき存在として彼らファンの心を支配しているのではないか、と推察する。全国のあちらこちらで、エーチャンもどきの服装に身を固めたエセエーチャンが集うのだそうだ。政治家が聞いたらどれほどうらやましがることだろうか。さて、この不公平極まる世の中で、小さくなって生きることなく、あくまで自尊心を捨てず、身勝手な自己満足をすることなく、それでも金には縁のない人間が生き抜く道など果たしてあるのや、ないのやら。今日の観想とする。
○推薦図書「トーキョー・バビロン」(上)(下)馳星周著。双葉文庫。若くして人生の敗者だった主人公3人が、起死回生の大ばくちを悪玉たちに対して打ちます。爽快。そういう気分も大切でしょうから、今日はこの書を推薦します。ぜひ、どうぞ。
文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃