横浜、みなとみらい地区にポタってきました。普段は整骨院への往復という超短距離での運航が多かったので、久しぶりの50km越えは如何かな、という感じです。
ちょっと出発に手惑いましたが、それでも氏神様にご挨拶。今回はトラフィックの多いルートなので、この参拝は欠かせません。
「安航を祈る」。
さて今回の横浜ですが、目的は2つ。ひとつはクルマ仲間で企画しているポタリングの実踏査。集合地点に車で集まり、そこからポタります。なるべく安く停められて、目的地まで「ポタった」と実感できる無理の無い距離にある駐車場を探すのは、なかなか至難のワザ。
「本牧海釣り公園」が"5時間以上は500円"なので、そこを起点にします。その駐車場は大きなトレーラーが頻繁に行き交うコンテナターミナルの果てにあります。
…尤も、ポタ当日は週末なので、物流はお休みしてますが。
本牧埠頭の突端にあるシンボルタワー。このブログでは2回目の登場。
そこから山下公園・マリンタワー正面まで、5.5km。コースとしては山手異人館にするか中華街にするか(本来の)横浜の中心でうろうろすれば、あっという間に解散時間になりそう。
そんな山下公園前の銀杏。
続いて横浜の紅葉状況など。
大桟橋入口の食堂
と、その隣にあった看板。
横浜開港資料館、通称"ジャックの塔"
日本一高い、あのビル。
今日、横浜に行ったもひとつの目的。
"白鳥"との謁見。
撮影した足元には…
w
本当は、コレを見に来たのでした。
客船全盛期のポスター、当初は写実的なデザインが多かったのですが、アール・デコが流行してくると、グラフィカルなポスターが増えてきます。日本郵船株式会社のポスターのうちのお気に入りの1枚は、ピアニストであるフジコ・ヘミングの父親がデザインしたものだったことを知りました。
そんなグラフィカルなポスターが船旅への郷愁を誘い出す頃、世界の歪みのお陰で豪華客船の時代は終止符を打たれ、(展示はもちろんありませんが)グラフィカルなポスターは戦後の新しいサービスである航空会社が引き継ぎます。まぁ、そんな印象を受けました。
当時、8万トンの超豪華客船が時速60kmで疾走する(!)ような時代でしたが、日本の客船も排水量こそ及ばない(橿原丸で2万トン)ものの、本場の客船に負けず劣らずの内装やサービスを提供していたことは、ちょっと誇らしく感じます。
(因に日本郵船はキュナード・ラインと提携して、同社の太平洋航路部門を担当していたとか)
ドイツの巡洋戦艦2隻に立ち向かった(そして当然のことながら撃沈された)仮装巡洋艦(と言っても客船にちょっとした大砲を乗っけただけ)ラワルピンディが横浜港の常連だった話などは、当時の海事史を学んだ経験から、展示にかじりつきっぱなしでした。近くにある日本郵船歴史博物館とは、ちょっとベクトルの異なる展示内容だったので、興味ある人は両方回ると面白いでしょう。
トータルで80kmほど走りましたが、なんとか無事に帰って来れた、と感じちゃう辺りは、運動不足を自覚させられます。月末に予定しているSHCCの大磯ミーティングを見に行けるか(早めに出て箱根湯本の上湯温泉で暖まろうか、なんて無謀な企画付き)、とか来月に考えている奥多摩-多摩川CR(下り)とか、無事に走れるんだろうか。
今回は珍しく、中華街にも山下公園にも大桟橋にも寄らなかったです。日が短いので横浜での滞在時間も短いため、こっち方面はしばらくはお預けになるかなぁ。
今日の走行データ;
走行距離・85km
平均速度・22km/h
最高速度・41km/h
ちょっと出発に手惑いましたが、それでも氏神様にご挨拶。今回はトラフィックの多いルートなので、この参拝は欠かせません。
「安航を祈る」。
さて今回の横浜ですが、目的は2つ。ひとつはクルマ仲間で企画しているポタリングの実踏査。集合地点に車で集まり、そこからポタります。なるべく安く停められて、目的地まで「ポタった」と実感できる無理の無い距離にある駐車場を探すのは、なかなか至難のワザ。
「本牧海釣り公園」が"5時間以上は500円"なので、そこを起点にします。その駐車場は大きなトレーラーが頻繁に行き交うコンテナターミナルの果てにあります。
…尤も、ポタ当日は週末なので、物流はお休みしてますが。
本牧埠頭の突端にあるシンボルタワー。このブログでは2回目の登場。
そこから山下公園・マリンタワー正面まで、5.5km。コースとしては山手異人館にするか中華街にするか(本来の)横浜の中心でうろうろすれば、あっという間に解散時間になりそう。
そんな山下公園前の銀杏。
続いて横浜の紅葉状況など。
大桟橋入口の食堂
と、その隣にあった看板。
横浜開港資料館、通称"ジャックの塔"
日本一高い、あのビル。
今日、横浜に行ったもひとつの目的。
"白鳥"との謁見。
撮影した足元には…
w
本当は、コレを見に来たのでした。
客船全盛期のポスター、当初は写実的なデザインが多かったのですが、アール・デコが流行してくると、グラフィカルなポスターが増えてきます。日本郵船株式会社のポスターのうちのお気に入りの1枚は、ピアニストであるフジコ・ヘミングの父親がデザインしたものだったことを知りました。
そんなグラフィカルなポスターが船旅への郷愁を誘い出す頃、世界の歪みのお陰で豪華客船の時代は終止符を打たれ、(展示はもちろんありませんが)グラフィカルなポスターは戦後の新しいサービスである航空会社が引き継ぎます。まぁ、そんな印象を受けました。
当時、8万トンの超豪華客船が時速60kmで疾走する(!)ような時代でしたが、日本の客船も排水量こそ及ばない(橿原丸で2万トン)ものの、本場の客船に負けず劣らずの内装やサービスを提供していたことは、ちょっと誇らしく感じます。
(因に日本郵船はキュナード・ラインと提携して、同社の太平洋航路部門を担当していたとか)
ドイツの巡洋戦艦2隻に立ち向かった(そして当然のことながら撃沈された)仮装巡洋艦(と言っても客船にちょっとした大砲を乗っけただけ)ラワルピンディが横浜港の常連だった話などは、当時の海事史を学んだ経験から、展示にかじりつきっぱなしでした。近くにある日本郵船歴史博物館とは、ちょっとベクトルの異なる展示内容だったので、興味ある人は両方回ると面白いでしょう。
トータルで80kmほど走りましたが、なんとか無事に帰って来れた、と感じちゃう辺りは、運動不足を自覚させられます。月末に予定しているSHCCの大磯ミーティングを見に行けるか(早めに出て箱根湯本の上湯温泉で暖まろうか、なんて無謀な企画付き)、とか来月に考えている奥多摩-多摩川CR(下り)とか、無事に走れるんだろうか。
今回は珍しく、中華街にも山下公園にも大桟橋にも寄らなかったです。日が短いので横浜での滞在時間も短いため、こっち方面はしばらくはお預けになるかなぁ。
今日の走行データ;
走行距離・85km
平均速度・22km/h
最高速度・41km/h
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