前回のドルフィン・コレクティブのエントリでもネガティビティに関する話題が随分と出てきていましたが、時を同じくして、今日取り上げるブログ記事が William LePar - The Council に掲載されていました。
内容的に関連しそうだと思ったので訳すことにしました。
(この間の翻訳では評議会の口調をお堅くしたのですが、今回は質問者と同様にしました。)
個人的にも、ネガティビティとお友達になってしまっている面があるので、もっとポジティブになれるように、以下の本文にあるように自分を保護していきたいと思います。
<追記>
同日夜、上手く訳せていないと感じた数箇所を手入れし、一箇所訳し忘れていた文を追加しました。一度読まれた方にも、再び目を通して頂けたら幸いです。
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http://www.williamlepar.blogspot.jp/2012/08/how-to-avoid-negativity.html
THURSDAY, AUGUST 16, 2012
2012年8月16日(木曜日)
ネガティビティを回避する方法
私達の調査研究グループが William LePar の精神的な源である評議会からの祈りに関する情報を検討している最中、私は次のような情報に出会いました。皆さんとシェアしたいと思います。
質問者:どうしたらネガティビティ(訳注:ここでは否定性・消極性といった意味)を避けられますか?
評議会:あなた自身の内側で、スピリチュアリティを発達させなさい。マインドのポジティブな枠内にあなたの全存在を置きなさい・・・まさに一日の始まりにおいて、その日のために、単純にあなたの休日を祈りと信心深い(敬虔な)在り方に自分自身を捧げることで始めるのです。それが防護の最初の方法です。しかしそこから、あなたが弛まずに注意深く一つ一つ、及び生じる全てを見ることが必要です。最初の内はそれは簡単な作業ではありませんが、ひとたびあなたがそのような一日に同調するならば、一定期間に亘ってそれは完全に自然なものとなり、あなたが自覚的でいる限り、自分自身を自動的に保護します。いいですか、それはまず最初にあなたの内面の変化と態度を通してやってくるのです。あなたの各行為を、祈りの行為のような、無限の父なる神に捧げる行為へと作り変えなさい。それから、あなた自身が関与していると気づく各行為が、信心深い行為であるかどうか、それが神に捧げたいと思うことなのかそうでないのかを、チェックし確認するのです。分かりますか? そのようにとても単純で些細なことが、あなたの一日を丸ごと信心深い表現にし続ける助けになるのです。このようにして、少なくともあなたに弊害をもたらしそうなネガティビティの幾らかの影響を取り除くのです。
質問者:ネガティビティから私達自身を防御するための最善の方法とは何ですか?
評議会:多くの方法がありますが、その話をするならば、言ってしまえば、ちょっとした仕掛け(little gimmicks)なのです。そのための色々なやり方があります。しかし基本的にはそれらもやはり、非常に強い形の白い光であなた自身を保護するような、現さなければならない心的態度の増幅器に過ぎないのです・・・なぜなら、それは強力なツールである視覚化を必要とするからです。以前、私達があなた方に与えた原石(加工前の宝石)は守護の形態を取ることができますが、お分かりのように、これらは全て、言ってしまえば、ちょっとした仕掛け――ちょっとした増幅器(little amplifiers)なのです。本当の防御は、何よりもあなた自身の心的態度が優先します。
あなた方それぞれの存在と、あなた自身を護っている間、信心深い慣わしに同調し続けなさい。そしてそれがあなたの最も安全な防御手段なのです。キリストと彼の守護を象徴する光の視覚化プロセスを用いなさい。それらは最も単純で最も有意義なものでしょう。敬虔なことと、知識が及ばない範囲における優れた基礎は非常に有益です。一定量の知識は良いものです。ひいてはその知識から、あなた方の神が与えし智恵を認めて実践に入り、その智恵を拡張することで、あなた方のその日暮らしの生活の様々な領域で役立つようになります。
To read the complete file - Prayer Part one go to the "What's New" page - http://www.WilliamLePar.com/#!siteupdates and click on the first entry.
Posted by WilliamLePar at 6:11 AM
-Translated by CI
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後記:
内容的に、キリスト教的な信仰を思わせる印象を受けますが、あまりそういうことは気にしなくてもいいと思います。
というのは、このメッセージは主にキリスト教圏内に向けられているため、そのこと自体は本質ではないはずだからです。そういう理由から、ここでのメッセージと特定の宗教性とを結びつける必要はないでしょう。
重要なポイントは、自分自身の心的態度が何にも増して大切、という一節に集約されているように思います。
信仰の対象として神仏を念じる人、あるいは自然界への畏敬の念などを抱く人、または無神論者であろうと関係なく、ただ自らの生活と周囲の人にとって良い影響をもたらすような心の働かせ方や言動の仕方をしなさい、ということだと受け止めたらいいのではないでしょうか。
でも出来事はただ起こる。意味づけは自分がしている。
起こることはネガティブでもポジティブでもない。
それに対処する時の自分の態度に「光」「愛」を持って行うかどうかで、その出来事に対する意味が後からできてくるのでしょうね。
出来事をポジティブな意味にするためには、私たちがその出来事に向かう態度、行為にかかってくる・・・こういう風にこのメッセージを受け取りました。
自分に起きる出来事をどのように受け止めるか、
そしてそれをどのように解釈(意味づけ)するか、
ニュートラルに受け止めれば・・・なんとかやっていける。
ポジティブに受け止めれば・・・うまくやっていける。
実感としても、確かにそうなんだろうと思います。