With the I Ching

易経や四柱推命、暦、占星術などの運命学の記事がメインです。

更新: 真実は、あらゆる変化の基礎

2013-02-06 17:16:54 | 翻訳

少し前、ずっと耳鳴りというか、何かの電波を受信する時のような、あるいは電話回線が繋がる時のようなハイピッチの音が頭の中でしていましたが、今は収まっています。もしかしたら、スピ系の方達が言っている「光のダウンロード・コード」が入ってきていたのかもしれません。

時々感じる、または聴こえるそうした感覚や音は、僕らの身体の変化の基調となるデータらしく、それがDNAの(良い意味での)変質を促しているんだそうです。そのため、目に見えた肉体的な変化はまだ分からずとも、今までの生活習慣が変わってしまったり、食べ物や飲み物に対する急激な変化が起きたり(これが原因で体調を崩す人も)、物の見方・考え方が以前とは随分と変わってきている人もいると思います。

そうした内面的な変化がまず生じて、それが結晶化することで身体面にも具体的な変化が出てくるんでしょうね。そうした変化の過程自体を楽しめるということが、僕らが認識する「時間感覚」や「空間認識」での利点とか意義なのかもしれません。


=========================================================

http://radiantlyhappy.blogspot.jp/2013/02/update-truth-is-foundation-of-all.html

TUESDAY, FEBRUARY 5, 2013

UPDATE: TRUTH IS THE FOUNDATION OF ALL CHANGES
Ute Posegga-Rudel

2013年2月5日(火曜日)

更新: 真実は、あらゆる変化の基礎
 

定期購読か寄付を通じて私の仕事の支援をお願いします。2012年8月21日付けの記事もご覧下さい。

VIDEO(推奨)

 

愛する皆さんへ、

大きなことが起きていて、約束されたことは一つ一つ現れています。

私達の(外側の)“世界”にはまだ見えておらず、何も変わっていないように思われています。でも、その背景では沢山のことが起きています。静かに、依然として見えないまま。

だから、私達の愛のこもった眼差しをそれらに向けて、エネルギーを与え、私達自身の心に描いた大胆な理想と結びついて下さい。それが一番いいやり方なのです! 表面的な現われを注視したり、したくもないことを演じるのではなくてね。

今の私達にとって重要なのは、実際の変化に集中して、それが起きるようにすることです。変化は現時点では私達の内部で起きていて、私達自身として起きています。そう、疑わないで下さい。私達が変わっているのです、新たに創り出されているのです!

私達のボディ-マインドの構造が変化するとき、私達の意識も変わります。
そして、どの人の経験もここでは異なっています。自分自身に耳を傾け、微細で静謐な兆候を真面目に受け取って下さい! それらに疑いを発さず、自分を信じて下さい! 皆さんがそれをするほどに、さらに明らかに、否定できないものとなっていきます。

個人的には、私は現時点で脳内にて多くの変化を体験しています。クリック音があり、それはまるで幾つかの神経経路が新しい方法で相互連結しているかのようです。それから、別の音も聞こえます。高い音程の滝のような音、クリスタル・ベルのような音、薄い銀の欠片が擦れ合うような音。あたかも音楽家が新しい楽器を試しているかのような音。

それから、体の質量がより小さな密度へと広がる間、新しいエーテルの光のブループリントがダウンロードされるにつれて、頭頂部が大きくなっているように思え、それは文字通り高さが増すような感じなのです。

これら全ては私の物理的な身体に影響を与え、必然的なことですが、その再構築が一時的な不均衡を引き起こしています! 時にそれは痛みを伴います。

あなたが何も感じないとしても、肉体は変わっています。いつも気分のいいものとは限りませんが、それはあなた自身の変容が進行していることを告げているのです。より精細な変化にあなたが気がつかないとしても心配しないで下さい。どっちみち変化は起きているのですから。幾らかの人にとっては、人生の途上での自らの気づきモードと高周波レベルへの目覚めを受け入れるのに時間がかかります。

アセンション・プロセスの役割を担うことに同意した全ての人は、意識的にせよ無意識的にせよ、各自のDNAの中に新しいコードを受信しています。というのも、それらのコードは、日々私達の惑星に送られ、日毎に強まっている、新しい光の周波数に組み込まれた情報だからです!

私達の身体の楽器(機器)がさらに洗練される間、もし私達が不必要な古いパターンを手放すなら、身体の周波数は上がります。

高周波または光の比率は、私達の意識の拡大に基づいています。私達はますます象を見たり感じたりできるようになります(※訳注:ページ下の「ラージという名の象と五人の盲人の物語」を参照のこと)。これまで私達は象の足しか見ていなかったのです。今や私達は足の全体、そしてさらに拡大的に見始めています! そしてこれが起きている間、私達は自分自身や、自らの任務が何だったのか、ここで何を成し遂げたかったのかを思い出します。

最深部のコアでは、それはいつでも愛であり、ユニティ意識への回帰です。ただ、他にも各自にとっての沢山の様相があります。それは私達の個人的な旅における気づきとして現れてくるもので、それら自体が私達に姿を見せ始めます。

以下のようにするなら、私達はもっと変化を容易にできるし、なるべく負担を減らすことで痛みを取り除けます。

――    全てのこと、どんなことも可能だと固く思い込むこと! それは、将来的にあらわになる、どんな種類の制限的な考えも手放すこと、予想外で未知なものに対してオープンであることを意味します!

――    プロセスそのものや、どのようにそれが起きるべきかに関する、どんな種類の考えや仮定も手放すこと。そして、中立かつジャッジしない方法でプロセスを観察するように心を開くこと。たとえそれが何であったとしてもです!

それは冒険です。何か完全に新しくて、多くの驚き(不思議)が私達を待っています! 全ての重大局面が生じる時、その驚きを見損なわないようにして下さい。それらがこの深遠な変化、肉体的な重大局面、メンタル的および感情的な重大局面をもたらすのです!

それらが生じるのは、私達がより大きな密度や間違った観念を手放さなければならない時です。遥か昔に埋めた感情がブクブクと湧き上がります。もちろん、それら全てがこみ上げてきます! そして、たとえ痛みを伴うとしても、これは祝福なのです。なぜなら、私達は今やそれらを受け入れることができ、また「自由、幸福、そして真に不変なる神聖な存在の光と愛であり、あらゆる変化がその中で起きる大いなるもの」の中に解き放つことができるからです。

実際に、私達はどんな時も、どんな形で重大局面が現れようと、今では幸せを選ぶことに意識を向けることができますし、それが今はとても簡単になっています。というのは、もし私達が古い闇の(しかも消えかけている!)幻想に構わず、私達がリアルだと思うことに目を向けるならば、幸福というのは空気中に(どこにでも)あるからです。

私達自身を、リアルかつ常に存在している幸福と愛に気づかせることは、全ての変化における重要で安定した土台です。なぜなら、それが私達にとっての真実であり、一層少なくなっているあらゆる幻影への理解だからです。

私達は誰もが幸福の場を見つけることができます。それは愛です! 純粋な奉仕の空間に存在して、望む結果(見返り)を求めずに他者に貢献する時、私達は愛を見出し始めます。これをすることで、私達は自らを超えて心を開いていきますし、既に私達自身である愛をもっと感じるようになります。

この特定の時期は、私達に次のことを受け入れるように要求しています。それは、私達が条件付けられた存在である限り、私達のアイデンティティの変化は絶え間ないものだ、というものです。もし私達が、浮かび上がる永遠不変の真実とリアリティ ~神聖なる愛と至福と意識~ の真っ只中で受け入れるならば、これを認めることができます。

それを発見するためには、私達はゼロ-ポイント領域、ハリケーンの目の内部にリトリート(=中に入って修養)しなくてはなりません。それが心の中での座なのです。そこから私達は真の感性、無限への感性をもって始めるのです。

私達の縮こまったハートを拡張する際、それは感情全ての土台になります。無限への感性の中では、あらゆる動きと思考は停止します。そこに変化はありません。それは平静さであり、機能(または力)全体のバランスを保ちます。これが聖なるハートの中に入る最初の一歩なのです。

私達の歩み道は全て祝福されているんですよ、愛する皆さん。この偉大なる神聖なプロセスにあっては、誰もが安全であることを信頼して下さい。その中では、私達は分離されていないばかりか、全員が共有している一つの聖なるハートに引き寄せられていることを見出します――もしこれが私達の願いだとすればね。

沢山の愛を!

Ute


http://radiantlyhappy.blogspot.com.au/2013/02/update-truth-is-foundation-of-all.html

_________________________________________________________________________________

Copyright© 2013. All rights reserved: Ute Posegga-Rudel, http://radiantlyhappy.blogspot.com
Sharing of this message is only allowed together with this information and without changes, including the title. If you have questions, please contact me via transformation33@gmail.com. Thank you.
_________________________________________________________________________________

※「ラージという名の象と五人の盲人の物語」(下記参照)

Translation: C.I.
http://blog.goo.ne.jp/creative_imagination/e/0abe0755892ea9d29e9164c226721c08

=========================================================

 

~~~~~~~~~ 著者について ~~~~~~~~~~~

Ute Posegga-Rudel

ドイツ人の女性。ヒーリングやクリスタル瞑想の先生、レイキマスター、アーティストなどの才能を生かして活動されているようです。写真を拝見すると比較的高齢のようですね。プロフィールについては、ここここここ(※1)を参照。

ここで翻訳しているブログ(MESSAGES FROM THE REALMS OF LIGHT)以外にも、幾つかのサイトをお持ちです。

以下に紹介します。

Healer Crystals & Crystal Healing

Visionary Energy Art

The Reconnection & Reconnective Healing(※2)

(※1・2 Google ChromeやFireFoxなどのブラウザによっては「不正(攻撃)サイト」として表示が拒否されますが、IE系のブラウザでは普通に見られます。Googleの報告と僕が試してみた結果、このサイト自体が問題なのでなく、サイトにリンクされている別のサイトを閲覧する際に、何かのソフトのインストールを求める画面が出るのが問題ではないかと思います)

ある時期まで、僕はこの方が男性だと思ってましたが、Youtubeのコメント欄で視聴者が「彼女(she/her)」の語を使っていて、「えっ、そうなんだ」となり、その後、ちゃんとサイトで確認したのでした(^-^;

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

☆ ラージという名の象と五人の盲人の物語


                               【間奏曲】

-----------------------------------------------------------------------------------------
                     ラージという名の象と五人の盲人の物語
-----------------------------------------------------------------------------------------

 昔々のその昔、インドのラージャスターン地方の遠い遠い辺境に一人のマハラジャ(藩王)が住んでいた。この藩王は謙虚で信心深く、公正で堅実な統治をすべく最善を尽くしていた。そして人民も王を敬愛してやまなかったのである。

 王は壮大な地所を有していた。宮殿から見はるかす限り、土地や庭園が四方に広がっている。かまびすしい野生の鳥や動物や虫たちの鳴き声を聞きながら、湖に向かい急流や段々になった滝やあわ立つ小川沿いに歩いてゆけば、一面に花を敷きつめた庭園や、老樹の立ち並ぶ荒野や、うっそうたる密林の下生えや、野生の動物に目を奪われる――そうした光景が王の住む本邸の周りに広がっているのだ。そして王は大いに満ち足りていたのである。

 さて、王の所帯には、多くの召使や数えきれないほどのいとこや兄弟や姻戚たちや有給の延臣たち、さらには数名の役人までもが含まれていた。また邸内には多くの飼いならされた動物や野生のままの動物も住んでいた。王は魅力的なマハラナという王妃と結婚しており、夫婦そろって自分たちの生活に満足していたのである。

 さて動物たちの中に、王のお気に入りでラージという名の年老いた大きな象がいたが、この象は多くの儀式での行列やひんぱんに行なわれる広大な地所での遠出の際に、現王の父である先王の代から王をのせて運ぶ役割を果たしてきた。

 主人に似てこの象も観察力が鋭く、やさしい心の持ち主であり、自分を巡るいつものぎょうぎょうしさや大騒ぎを楽しんでいた。彼は専属の象使いといっしょに宮殿の近くに住み、もっと若い多くの象たちと仲良く暮らしていた。象たちはみな、大きな放牧場にいっしょに住み、象使いたちはその隣に整然と並んだ小さな小屋に別々に住んでいた。そして象や象使いたちも、みな心から満足していたのである。

 さてある日のこと、平地地帯から一団のインド人が王を訪ねてきた。彼らの中には五人の男の盲人が交じっていた。いつでも男たちは議論好きなものだが、今回の訪問者の面々も王と論じ合いたい事柄をたくさん抱えていた。だが彼らにはもっと無邪気な願い事もあり、その一つが、自分たちの盲目の兄弟たちが偉大な象のラージ様に目通りを許されますように、という願いであった。何しろ件の盲人たちは、生まれてから未だ一度も象というものに会ったことがなかったからである。

 もちろん王は自分の客人にこのようなささやかなもてなしができることを喜び、夕方になって涼しくなると自ら盲人たちを象たちの住む放牧場へ案内した。

 象使いがうやうやしくラージを連れ出してきて、五人の盲人に紹介すると、五人は前に進み出て、めいめいが象の別々の部分に遭遇した。

 まず、わき腹にぶつかった男が声をあげる。「ははあ、象というのはデッカくてほとんど平らで、天幕の横の部分みたいなんだ」

 するとラージの牙をつかんだ男も叫ぶように言う。「いやいや、象は長くて硬く、曲がっていて先がとがっているぞ。むしろゆがんだへいの支柱に似ている」

 三人目の男は大きな前足の片方につまずき、断固として宣言する。「象というものは背の高い大きな柱に過ぎないが、不思議なことに自己活性化した運動を行なう能力がある」明らかにこの男は哲学者であり、世の中をよく観察している。さて四人目の男が尾をつかみ、象はヘビのようなものだ、と断じる一方、五人目の男は、いたずら好きのラージに長い鼻でなぶられ、象はヘビよりも生き物のように動く知性を備えたロープに似ている、と確信する。きっと自己組織力のあるロープに違いない……。

 五人の盲人は象の周りに立ったまま、めいめいが正しくはあるが十分ではない独自の認識と体験をふまえ、象の本質をめぐる論争を始めた。一方目が見える者たちは、口を出さずにユーモアを解する愛情のこもった態度で見守っていた。

 五人は物質界の視覚的特徴を見ることができないので、自分たちの目に見えない物の性質について討論することには慣れていた。事実彼らは、人生の多くをこうした議論をして過ごすのである。だから彼らは嬉々として象の本質論争を繰り広げ、一方その間中、ラージはじっと立ったまま尾でハエを払い、胴の近くにいる男を鼻でなぶりながら、時々足にかかる体重を調整したりするのであった。

 こうして非公式の会議が続き、悠長な五人組は若干の新しい洞察を受け入れた。すると突然ラージが耳をバタバタさせながら、片方の前足にしがみついている男の頭のてっぺんを軽くかすめた(筆者としては、この男がとても背の高いことを認めないわけにはいかない)。「ははあ、なるほど」と頭をなでられた哲学者が言う。「象は単に自己活性的な動く柱であるばかりでなく、波を打つような柔軟な特徴も備えているのだ」この発言のおかげで論争が一段と興味深いものとなったことは、読者諸賢にも想像がつくに違いない!

 さて、王と延臣たちは彼らをおもしろそうに見守っていたが、この間、王も延臣も五人以外の来訪者たちも、お茶を一杯飲みながらの観戦であった。しまいに王は、五人に自分たちがどの点でまちがっているかを知らせたほうが親切かもしれない、と考えた。そこで王は側近の一人に、彼らに本当の状態を優しく教えてあげるように、と命じた。

 だが、その結果は、王が予期したようにはならなかった。というのも五人の中の一人か二人が、どうやら自分たちの認識はどれも正しかったが完全なものではなかったらしい、と考え始める一方で、残りの者たちは自分の立場を一段と強固にし、自説とすっかり一体化してしまったあげく、件の気の毒な延臣にくってかかり、いっせいに「いいから、ほっといてください」と言い出す始末だったのである。彼らの言い分はこうなのだ。「結局のところ、あなたは象に触ろうともしていないのですし、絶対にこの問題を私らほど長く考えたわけでもありません。だとしたら、どうしてあなたが象について何かを知ることができるのです?」

 というわけで王と延臣たちは、残りの夕べの時間を自分たちで楽しく過ごすことにして、五人組としんぼう強いラージをその場に残して勝手に論争を続けさせた。もうこの時には論争は、形式化した哲学論争と化し、互いに矛盾するさまざまな仮説が飛び交っていたのである。

 だが王と延臣たちは庭園を散歩してまわり、自然の美しさとお互いの親交を心ゆくまで楽しんだ。そして少なくとも筆者が耳にした限りでは、例の五人の盲人は今日にいたるまで延々と象の本質論争を精力的に続けているという。しかるに目の見える者たちは、議論などせずにすっかり満足しきっているのである。

――以上、「コズミック・パワー フリーエネルギーの誕生」(ジョン・デビッドソン=著、梶野修平=訳、たま出版)P213~217より引用

 



コメントを投稿