僕が白帯のエラー修正に苦闘している最中、地元、愛知県は豊橋の養鶏場で鳥インフルエンザ・ウイルスが検出、15万羽が殺処分に、というニュースが流れました。
雪でも降ったかのような白い粉に覆われた養鶏場と、殺処分後の骸が詰められた袋の数々。地元紙の一面は、なんとも衝撃的なものでした。
数年前にも豊橋ではウズラの卵で同様の惨事があり、それを教訓として対策も立てられていたはずですが、それでも今回また発生してしまいました。
個人的な気づきですが、昨今この地域では、かつては見かけなかった種類の渡り鳥が越冬に来ていて、実家の庭にも、時々珍しい鳥が地面を啄ばんだりしています。
愛知県には名古屋の藤前干潟や渥美半島の湾岸などへ北方から鳥達が飛来しており、たぶん、ここ豊橋も、そのルートに当たっているんだと思います。この冬の時期、普段は見かけない種類の鳥達を頻繁に見るのも、そうした理由なんでしょう。
そして、それらの鳥達のフン(鳥インフルの発生源は鴨のフンらしいですが)や死骸が他の生態系へと影響を与え、今回のような悲しい事態に繋がっている・・・。もちろん、渡り鳥たちに非はなく、むしろ人間が自然界に与えている悪影響こそが主要因なのではとも思えます。
それなのに、15万羽もの養鶏が命を失う羽目になり(感染拡大を防ぐという意味では仕方ないのかもしれませんが・・・)、また、そこで働く人たちの身の詰まる思いをニュースや新聞で見聞きする度に胸が痛みます。
どうしてこんなことになってしまったのだろう? とても悲しく、居た堪れない気分です。
それは、地元で起こったから、という至近距離で生じる問題意識ということもありますが、それ以上に、こうした異常事態が日本以外の、アジア圏を含めた世界の各地で起こっているという事実を知ってショックを受けたからでもあります。
猛威を振るう鳥インフルエンザの問題だけでなく、口蹄疫の問題、日本ミツバチの激減(ネオニコチロイド系農薬(殺虫剤)が原因と指摘されている)による元来の生態系への甚大な被害など、「いきもの」に関するだけでも多くの問題が横たわっています。
人間中心の生活を改めて見直さなければならない重要な時期にある今、どんなことが自分にできるだろうかと、ふと空を仰いで自問せずにいられませんでした。
僕は最近、よく思います。
「変えること」がもてはやされる風潮の今ですが、むしろ「大切なものに回帰する」ことが必要なんじゃないかって。チェンジもいいけど、リターンも見直してみよう、と。自然界との共生は、人類が最も目指さなければならないテーマではなかったか、と。
それに、普段の生活にしても、本当に重要なものや必要なものって、案外もっとシンプルで、実はそんなに多くはないんじゃないかって思ってます。実際にはなくてもいいものが、そこら中に散乱しているのが現代という時代なのかもしれない。
それはともかく、今回の豊橋での鳥インフルに国や市・県がどのような対処をし、その結果どうなるのか、さらに教訓を今後に生かせるか、またどれだけの補償を行うのか――、ちょうど愛知県知事選が間近なこの時期、色々と考えされられることが多いです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます