With the I Ching

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Fate and Destiny : 宿命と運命

2012-08-06 20:32:06 | 翻訳

今回はいつもとは違う方のブログ記事を訳しました。

William LePar - The Council

その理由は、運命学者としては避けて通れない「自由意志」「宿命・運命」について書かれていたからです。
他の記事も少し読みましたが、なかなか興味深いものがあるので、また折を見て訳そうと思っています。

今日訳したのは、 「Fate and Destiny : 宿命と運命」です。

実際のところ、FateもDestinyも日本語では似たような意味合いが当てられていて、どちらが宿命で、どちらが運命と区別するのは難しいのですが、「運命と運命」ではわけが分からないので(笑)、とりあえず「宿命(Fate)と運命(Destiny)」としました。

<参考:「「fate」「destiny」「fortune」はどれも運命と訳されますが、これらには違いがあるのでしょうか?」>


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http://www.williamlepar.blogspot.jp/2012/08/fate-and-destiny.html


THURSDAY, AUGUST 2, 2012

Fate and Destiny

2012年8月2日(木曜日)

宿命と運命

以下は、William LeParの普遍的存在の講義の一つによるものです。私からの追加のコメントを要しません。

あなたがどんな境遇(conditions:条件)の中に生まれたのか、私は気にしません。あなたが悲惨な貧困の中に生まれていようが、豊かな富に恵まれて生まれていようが問題にしません。あなたが家族の中で酷く悲しまれて生まれてきたのか、素晴らしい喜びの中に生まれてきたのかも気にかけません。煎じ詰めれば、それは重要ではないのです。なぜなら、生まれた時点で、それはあなたに取り扱えるものとして手渡されたからです。

人生の美しさは、私達が自由意志を持っているということであり、その自由意志によって、私達はどんなものでも変えることができるということです。宿命とは、あなたが参加した事柄であり、一方であなたは、あなたの運命を作り出しています。あなたは、あなたが生まれ落ちた境遇を責められません。あなたは自由意志での選択権を持っていますし、その選択、道理に適った考え、そして肯定的な行動によって、あなたが望むいかなる運命をも創造できるのです。

覚えておいてください、詰まる話、あなたは小単位の神であり、あなたが行った選択によって、立派にあなた自身の運命をコントロールして取り扱えるのだということを。もしあなたが幸福を望むのならば - 一時的な幸福でなく真の幸福を - 、そしてもしあなたがスピリチュアリティ(霊性・精神性)を求めるならば、今すぐ選択を行うことです。あなたの運命が、あなたの望むものになるように。

評議会から、二行の文を引用してこれを終えたいと思います。これら二つの文の本質は、よく整えられた小さなパッケージの中にあらゆるものが込められている、ということです。以下の如くに:

“スピリチュアリティと幸福を探求するあなた方は、何が本当のスピリチュアリティであり幸福であるのかを理解しなければならない。それは親切な行いでも、愛情を示すことでも、思いやることでもなく、行動に煽り立てる思考なのだ。”

もし思考が偽りなきもの(誠実)であるならば、もしそれらが本当にあなたの心から出てきたものであるならば、それは行動を生むでしょう。それらは行為となり、現実となるでしょう。

詳細は、William LePar and The Councilを訪れてください。
www.WilliamLePar.com

- Translation: CI


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後半の引用句に関しては、ちょっと誤解を招きそうな感じもなくはないので、原文を引用します。

“Those of you who quest for spirituality and happiness must understand what real spirituality and happiness is. It is not the act of kindness or loving or caring but it is the thought that instigated the act.”

思うに、「それは親切な行いでも、愛情を示すことでも、思いやることでもなく」の部分は、一般的な道徳的行為かなぁ、と。
そうした行為自体が素晴らしいことなのは間違いありませんが、わざわざ精神世界の教えを学ばなくても誰でもすることなので、ことさら強調することでもない、ということなのかもしれません。

最後の「行動に駆り立てる思考」の部分は、“思想”とすると何となく過激な感じが出そうなので、“考え”という意味で思考にしています。で、内容としては、真のスピリチュアリストならば、口先だけじゃなく、その行為にも優れた精神性が現れ出ていなくてはならない、ということなんだろうと解釈しました。それは思考を含め、感情や身体的表現(仕草、表情、態度など)においても、一貫されなくてはならないことだろうからです。

また、全ての行為に対する自覚と責任も、そこに付いて回る、やりっ放し、無責任ではいけない、ということを暗に示しているようにも感じます。

 



2 コメント

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Unknown (まるまるまるた)
2012-08-07 08:44:26
「わかる」(腑に落ちる)と行動が変わると言われています。

頭で理解したのでなく、もっと奥深くで理解した時。

なるほど、と思いました。
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腑に落ちる (CI)
2012-08-07 12:07:14
>まるまるまるたさん

そうか、仰るように「腑に落ちる」とか、得心するというようなことなのかもしれませんね。

ありがとうございます。
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