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全ては完全に完璧です!

2013-01-19 04:21:19 | 翻訳

完璧さ、完全さが話題に上がる時、往々にして 「完璧主義は疲れるよね」とか「完璧なものや完璧な人なんて、そもそもこの世にない」とは、よく見聞きします。

僕自身も日常においては、物事や人に完全さや完璧さを求めることはしません。ただ、それはマインド(思考)で形成された世界での話で、今回のユートさんのメッセージでの意味合いは、そうしたマインドでの観点を超えた統合的・包括的な視点で書かれています。


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THURSDAY, JANUARY 17, 2013

ALL IS PERFECTLY PERFECT!
By Ute Posegga-Rudel

2013年1月17日(木曜日)

全ては完全に完璧です!
By ユート ポゼッガ・ルーデル

2012年8月21日付の更新記事も読んでください。(※訳注:翻訳はここにあります)

VIDEOもご覧下さい(推奨)


敬愛する友人達へ!

よく私達は次のように耳にしますね。「心配しないで、全ては完璧だから!」と。でも、そうなのかな? となるかもしれません。たぶん後になって全てが終わると、私達が苦しんだ何もかもが受容という新しい光の中に現れ、「その通りだ」と皆さんは思うでしょう。それは私達が特定の経験から再び立ち上がったからです。その後、私達はこれまで以上の『私達』になれます。どんな出来事にも、どんな感情的・身体的痛みにも影響されない私達です。

あるいは、ある出来事、例えば過去において困難だった出来事を考える場合、今ではそれはもう皆さんに影響を与えなくなっているか、笑って許せることだったりします! このことは皆さんに、常に自分であることの自由を示しますが、それを私達が忘れてしまうと、経験の中に巻き込まれることになります。

もし私達が、起きたことをまだ根に持って恨んでいるとしたら、そうですね、それはその背景において私達とは誰であるかを永久に忘れてしまっているように思えますし、私達がその瞬間に、いつでも幻想を通り抜けて感じることが自由にできるスピリットではないと信じているからでしょう。

経験を経た後での自由(解放)は、私達であるもの――スピリッツにより近づいていきます。それは私達の原初の状態を一時的に覆っていたもの全てから、本当に真に影響されないものです。

誰もがこの原初の状態を生きている中で経験していますが、私達はしっかり注意を払っていないだけか、ひょっとしたら多くの人は苦しみだとか聞いたことのない興奮への期待から抜けられないだけなのです。エゴ・マインドはいつも大仰なものを探しているからです。それに対して真理はシンプルで、分割されず、崇高です。ただそういう在り方なのです。

しかしそれ以上のものがあります! 一度、皆さんが全ての真の完璧さを、そしてあらゆるものを見たならば、皆さんは人生は永遠に変わります! 痛みや苦闘が終わった後で、どういうわけか、ある程度の直観や直感を得ることがありますが、それは完璧ではありません。完璧さとはそれ以上のものであり、想像できることではないのです! それは別世界です!

真の完璧さを見ることは、ハートに基づいた叡智です。それはハートの秘密のチェンバー(部屋)の中を、聖なるハートの内部を、皆さんに明らかにします。

私達全ては例外なく、この聖なるチェンバーを持っていますが、そこに行かないのです! 私達はそのチェンバーの上を覆う、象牙の塔(訳注:浮世離れした、超俗的な、の意味)のマインドの中に自分自身を閉じ込め続けています。文字通り、人間の意識を携えて私達は脳の中に座っています。脳が考えることに深く同化しながら。

親愛なる友人達、それは大きな幻想なのです! この真の現実の代わりのもの中では、全ての本質(実在)は失われます! そこにある全ては神聖な力を失くしていて、それは薄く、現実離れしていて、風に吹かれている乾燥した枯葉のようなものです。この単なるマインド(頭脳で作られた)世界の中の全ては弱く、存在を持たず、意識の充足もありません。現に、この種の世界のあらゆるものは、脆く壊れやすいのです! それは安らぎから切り離されたもの、病気です!

皆さんの秘密のハート・チェンバーの中で見ることは、全てのものの完全性です。皆さんは、自分の人生の細部、個別の一片までも自分自身でデザインしたことを即座に知ります! どうして、ああどうして、皆さんはやけになって叫ぶのでしょうか! 単純な答えはこうでしょう。皆さんはそれを経験したいから、その全てを経験したいから! 皆さんは、神から分離されたものを、皆さん自身の神性の智恵から分離されたものを経験することを選んだのです。

私の場合、短期集中コースを受けることを決めたのでした。つまり、この憂いの現世の中での最悪を経験することで、なるべく最短の期間で最終的に熟達者に至れるように、できる限り多く、その構成要素であるものを学ぼうと望んだのです。そして「一石二鳥」として、それは暗闇の中でトンネルを掘って人類の無意識の中に光をもたらすという、モグラの働きでもありました。

何がそのような旅に参加するのが良いと提案するのでしょうか?
親愛なる友人の皆さん、それは純粋な愛です! ここに来る前から、私達はこの愛であり、私達自身の本質および真の現実なのです。そして愛だけが、これら全ての言葉にならない苦しみに耐えることができるのです。しかし、あらゆる至福と感情的な自由にも関わらず苦しみはまだ終わっていません。なぜなら、これこそが今も続く古い世界だからであり、その中に私達は身体を持っているからです。

けれども、それが万事完璧であると知っていることで(その一方で、闇に駆け込んで入る際に、それを私達は忘れなければならないのですが)、完全性を最初から最後まで、丸々大事に自らデザインした模様(パターン)として見ることができます。それは私達の人生/生命という織物の中に内在しているのです! 確かに、その全てを見ることは、あの象牙の塔(浮世離れしたマインド世界)の干渉を受けずに、その全てになることです。この織物は完璧な模様と巧妙な装飾が施されていて、純粋に金色です。古代ギリシャでは曲がりくねった模様がよく使われましたが、それらは私達の人生/生命の巧妙な模様だったのではないかと信じています。

実際、この完全さを表現できる言葉はありません。それは全て、完璧で汚れのない静寂さとして存在しているからですし、思考不在の中では、それは私達の魂の痕跡を持つ、単純に存在としての力なのです!

それは純粋な神秘なんですよ、愛する皆さん! 全てのものは、そこが本質であって、それ自体の中にあり、それ自体に属しています! また、『外部』世界で起こる一つ一つの出来事、物事、音、人々は、どれもその完全性の一部なのです。なぜなら私達が秘密のチェンバーの内側で見ることは、外側に見るものと同じだからです。それで、私達はその完璧さを実証するために、記憶している全ての事柄をチェックして、「ああ、その通りだ」と気づくのです。たとえ最悪な経験や人々や事柄であっても例外なく! それらは全て、私達の人生/生命の構造の中で金色に輝く完璧な装飾であり、存在する意識の力と真の現実と共に生きています。

ほとんどの人達は、自分自身の完全さを知らないだけです。それらの人々は自らの真の現実についての考えがないのです。というのは、彼らは依然として(象牙の塔として)浮世離れした分離の世界に生きているからです。支えてくれるもののない、むしろ大部分は悲惨な幻想の土地の間を、やせこけた薄い思考で飛びながら。彼らはただ知覚の裏側で生きているのです!
でも、マインドに監禁されなければ、すべては完璧なのです。しかも、一旦私達があの秘密の空間に入ったならば完璧さを見られるのです。

私達の真の現実からの分離は、全くもって恐ろしいことなんですよ、親愛なる皆さん。本当の天国にいると考えている人が何十億人いるとしても、です。それが、誤解を与えるマインドの在り方なのです。

真の現実からの分離は病気です。それはエラーなのです! それに別の次元に向かっているという考えは、まるで高次元が私達から分離した対象であるかのようです! 高次元は意識の状態であって、私達の他(外)にある『場所』ではありません。私達は高次元から区別されていると思ってしまっています!

もし私達がこのことを信じるなら、私達はメンタルな幻想を生きます。その中で私達は、今ある観点からイメージできる僅かな変化があるだけの現行の人生を、何らかの形で続けていくでしょう。それはまるで他の意識状態が、多少なりとも現状の続きであるとしているかのようです。私達は想像しているのです。異なった意識状態が、どのようにあるのかを『知る』ことができる、と。

でも、最愛なる兄弟姉妹の皆さん、私達は知ることも想像することもできません! むしろ私達は想像で作られた土地を離れること、そして対象について知っていると想像したことから離れて、そのものになる必要があるのです。本物になる、ということです。

言い換えれば、蒙昧なマインドの認識による観点からでは無次元というのは理解されないのです。それは意識における転換です。私達は未知を受け容れなくてはなりません。

しかし、私達は誰もが既に真理を知っていると知ったかぶっています。この人生それ自体にしても同じです。私達はただ思い出して、属する所へ行く必要があるんだ、と。つまり、私達のブループリントの全てと、私達自身に関する全ての知を含んだ、最も神聖なる秘密のチェンバーの中にです!

私達がそれをしなければ、その時は競争の中に居続け、麻酔状態で走り続けながら無意味なゴールを追い求め、幻想の領域で空しい完璧さを探すのです。その中では、マインドは私達の人生コースに役立ってはくれないばかりか、逆に私達を支配します。でも、これらは全て、大きな空虚さの中で終わりを迎えます(虚空<ボイド>ではなくて。虚空とは満ち足りた状態でもあります。なぜなら、それは全てを包含しているからです)。真の意味での空っぽとは、意図と存在がないことです。

ただ、パラドックスがあります。それは、この競争や慌しさは同時に、私達自身が以前に書いた台本の一部でもあるということです。なぜかって? それは、私達が分離の経験をしたいと望んだからです。まだ全部というわけではないですが、その全体の模様は黄金で、それは神聖な意識によって支援されています。一旦そのことに私達が気がついたら、世界は逆さまになり、そして私達は理解すると共に、その整合性を自得します!

私達全体が分離の夢から目覚めて真の完全性を発見すれば、今にもその時が来るように思われます。今年は私達がそこへ回帰する年であり、ベールは取り除かれている最中です。というのも、それもまた台本の一部だからです!

この他人の夢や意識における幻想の闇は、終焉に近づいています。それは長い幻想の時の中で、その役割を十分に良く果たしました。私達はその全てから学んできましたし、誰もが私達とは何者であるかを知っています! 私達に必要なことは、長らく閑散としていたあの神聖なチェンバーを思い出して、そこに戻ることを固く決意することだけです。

マインドは、そのたった一つの力に抵抗したり戦うかもしれませんが、徐々にその支配力を緩めます。勇気を持って手枷足枷を断ち切り、自分自身へと帰って下さい。

私は、その途上に二つだけ障害物があるのを見ています。
― やれると信じていないこと
― 幻想の土地での現状に満足していること

一つ目は本質ではありません。なぜなら、秘密の空間は皆さんのものだからです。常にずっと。皆さんはただ、そのことを忘れていただけです。ですから、皆さんはそこを訪れることができますし、誰もができるのです。そこはいつでも自由に入れます。ただ、皆さんは行く手を塞いでいるものを認識して、それを愛によって手放す必要があるのです。

二つ目もまた大丈夫です。それは金色の完全性について、皆さんが自分で書いた台本だからです。たくさんの祝福が皆さんの旅路に注がれていますので、どうか経験を楽しんで下さい!

でも、経験に飽きてしまった人々は、すっかり『知って』しまって退屈しているわけですから、そういう人は、自分の象牙の塔(マインドが創り出した幻想)から外れてハートに向かい、あなたの世界全体を後にして、静寂さの中に入って下さい。そうです、それらは捧げられなくてはならないのです。つまり、皆さんは完全に自分の注意を引き付けなければならず、(しばらくの間)マインドの世界を忘れなくてはならないということであり、また、最初に無/空の中にあえて飛び込まなくてはならない、ということです。それは明け渡す行為であり、神聖な真実を信頼する行為です!

もっと皆さん自身を知って下さい! 皆さんがそうすればするほど、さらに自らの尽きることのない幸福を発見できます!

敬愛する友人達へ、沢山の愛と祝福を送ります!
ユート


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- Translation: C.I.

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~~訳者、あとがき~~

僕らが「真の自分自身」に立ち返る際に、最も障壁となるのは、あれこれと考えたり口出ししてくるマインド(頭の働き)です。

もちろん、それは人間がここまで科学を発展させたり、生活の中に思慮分別をもたらすという意味では、何百年・何千年もかけて磨き上げてきた稀なる能力です。ところがその反面で、相対的な概念ではない、絶対的・融合的・統合的な概念を理解したり、それを存在として実感する力を失くしてきてしまいました。

例えばピダハンという部族が「行く」と「来る」を区別せずに一つの単語で表現しているそうですが、それを即座に納得できなくなっているのが、現代人の悲しい性だとも言えると思います。

人間が考える能力を得て、それを伸ばしてきたことは有意義な面も多々あったわけですが、それによって反動的に萎んでしまった、または見失ってしまった「何か大切なもの」を感じ、それを取り戻そうとした人達が歴史の中に点在してきました。

そして、今、その点が集合しつつあります。一つの繋がりとして、大きな結束と統一性を生み出そうとしています。
この過程の中で、 僕らはそれまで忘れていた「何か大切なもの」を喉元まで思い出しかけています。

一応、一般的にそれは神性であると言われています。また、人によっては純粋意識であるとか内なる静寂・平和、あるいは、ただ神であるとも。
でも、呼び方は何でも構わないと思います。
大切なのは、自らの真実に到達すること、「それ」を会得して、その状態になるということだと思うからです。

そしてそのために必要とされるのが、本文中にも促されているように、マインドを超越することです。
思考・分析・おしゃべりを、波立たない湖面のように静めて、あるいは止めたり、必要な時にだけ自由に使えるようにすることです。
いつも絶え間なく何かを考えているという状態を、あたかも刀を鞘に納めるように、そっと静めてあげて下さい。

呼吸に意識を集中することが最も役に立つ、とも言われています。実際、僕もそのように思います。やってみて下さい。
これについてはエックハルト・トールさんの動画を紹介します。 

「今に繋がる呼吸」呼吸を意識することが「今」へのアクセスポイント!


また、どんどん出てくる思考に一々取り合わず、脇に流しておくだけでも、次第に余計なことを考えずに済むようになります。 

それと、本文の後半に出てくる「障害物」の話ですが、パパジ師の弟子であるガンガジさんが、次のようにも言っています。
実際に動画を観て頂いたほうが良いと思うので、ここで紹介しておきます。 

ガンガジ~『たった一つの邪魔もの』

思考を止めるには?


私とは何者かと、あれこれ考えることは、どんなに思考を巡らせても、また、誰に何を聞こうが、その答えを得ることはできません。
知能を働かせて論理を追ってみても、行き着く所は同じ――「よく分からない」です。なぜなら、それは論理を超えたものだからです。 
思惟や言語を超えたものだからです。 存在を「考える」ことによって全てを理解することは不可能です。

それは僕らが写真や絵を見て、あるいは、どこかの情景を見ながら、それを誰かに細部にまで忠実に伝えようとしても、言葉では限界があるのに似ています。また、心や魂の在りようを言葉で表現できるかと聞かれれば、それは無理と答えるのではないでしょうか。 

ピダハンの「来る」「行く」が同じ言葉で表されるというのも、二極化した思考回路ではクラッシュしてしまいます。
このことは、内側と外側、上や下、光と闇、男性と女性のような二律性の概念全てに関しても言えることです。
内にあるものは外にもある、上にあるものは下にもある、光の中にあるものは闇の中にもある・・・

そこに分離や区別を作り出し、そのような世界として定義や設定をしてしまうのが、一人ひとりの中に備わったマインドの働きです。
このマインドの集積が、地球に生きる人間としての一つの集合意識を生み出しています。

僕らが一人また一人と、このマインドの領域から脱して、神の領域、無限なるスピリット、ハートの意識と自由に行き来できるようになること。
(バシャール風に言えば、神も本源<純粋/完全>意識も All That Is なので、やはり呼び方は何でもいいとは思います)

その往来を可能にするパスポート、フリー切符を端的に「神性」と呼ぶとすれば、2013年は2+0+1+3=6として、この神性との調和(6の数字は調和や結束の責任などを意味します)を取り戻す年とみなせます。以前に僕自身も2013年は「調律の年」と書きましたが、それをアライメント(同調・方向合わせ・整列)と言っても本質は同じだと今気がつきました。

お釈迦様は、楽器の弦の調律から中庸の大切さを悟ったそうですが(ブッダの生涯(BBC))、まずは僕らも、呼吸・食事・運動・睡眠などを通じた心身の調整を進める中で、思いやりや感謝を育みつつ、次第に内面の在り方を見つめるようにするといいと思います。

そして、徐々にマインドの働きを離れ、最終的には断ち切ることで(剣を持った仏なり菩薩が描かれるのは、煩悩だけでなくマインドが作り出す幻想・幻影を断ち切るという意味もあるのかもしれない)、静寂の状態、または神性を会得する人がバンバン出てきたら素晴らしいですね!

 

 



2 コメント

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神様はヒントをくれる (まるまるまるた)
2013-01-21 14:26:25
>― やれると信じていないこと

本質に向き合い始めると、シンクロが増えてきたり、色々と気付きが、起こってくるように思います。

神様がくれるヒントが増えてきて、人生に対しての信頼が強くなる・・・益々、シンクロ・気付きが増える。

そういう循環になってくるのでしょうね。
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ユニティ (C.I.)
2013-01-24 18:13:43
シンクロが収束して常態化すること――それがユニティ(一体感、調和)ということなのかな、と思います。

「弟子の成長に従って、必要な師が現れる」みたいなことが言われるように、気づきやヒントも同様なんでしょうね。

そうしたタイムリーなインフォメーションは、実は神様(大いなる全て)と共に“より大きな自己”が用意しているものなのかもしれません。

そしてそれは、まるまるまるたさんが書かれたように、自分自身に対する信頼でもあるということだと思います。
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