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金銭的報酬というやり方で本当にいいのだろうか

2011-05-16 20:43:10 | 日記/随筆

自衛隊派遣手当引き上げ…原発は1日4万2千円」という記事を先程読みました。

これを読んで思い出したのは、震災から一ヶ月ほど経った4月16日にNHKで放送された「マイケル・サンデル 究極の選択」という特番の内容です。

その中で、原発の作業員や、ボランティアを含めた復旧・復興に当たる人々への資質や報酬についての議論が交わされていました。各国(日本・中国・アメリカ)から色々な意見が出ましたが、サンデル教授はあえて一つの答えにまとめることはせず、より深く考えさせるような導き方をされていました。

高額の報酬は当然だとする意見もあれば、有志者にとってそうしたものはあまり重要ではないとする意見もありました。個人的には、本人が希望すれば仕事に見合った報酬を受け取ることは妥当なこととは思います。ただ、原発の恩恵にあやかっている全ての人が作業に従事しなければならない、と話していた人には、「それは幾らなんでも無理だろう」と思ってしまいましたが。



話題は変わりますが、この現代において、いかに生きるか(いかに死ぬか)、ということを意識する人が増えてきたのは、たぶんごく最近のことじゃないかと思います。医療の発達で長寿社会になりはしましたが、ただ漫然と生きていても虚しさは募るばかり。

日本においては、自殺者が毎年三万人(東日本大震災での死者・行方不明者に匹敵する数!)という理不尽な社会構造を鑑みても、どうしたって生き方の転換を問わざるを得なくなっています。

“この一瞬、今を生きるために”というような、特定の時期に己の全てを賭けるみたいな生き方は奨励されなくなって、「生きていること、それだけで素晴らしい」とさえ言われる時代。けれど、本当にそうなのかな、それで生きた心地がするのかな、と考えたりもします。

この頃になって福島の原発事故は、多くの専門家の想像を超えた事態になっていたことが判明してきています。報道されていた情報も不確かで曖昧、的を得ないものが多かったのではないかと思えます。あるいは、嘘や誤魔化しもあったのかもしれません。

その頃、原発関連の仕事とは何の関係もないにも関わらず、決死の覚悟で「注水に行きたい」と語る人が各地にいたようです。もうそのために命を落としても構わないから、そこで自分の全てを賭けて人々のために力を尽くしたい、という思いが強く働いたのだと思います。

また、放射能の影響で無人街と化した中、強制退去を命じられるまで放し飼いにされた動物達を救おうと、一個人や動物保護の団体が活動していました。防護服も時間制限もなしにです。

でも、そうした思いが幾ら強くても、その覚悟を受け入れてはもらえない。または、国や行政として容認できないとして排されてしまう。今はそういう時代なんだと、心に何かが突き刺さるような感覚を覚えました。

簡単に命を捨てるものではないのはその通りだと思いますが、そこに燃えるような使命感を見出す人もいるのは確かです。実際、フクシマでの原発事故を収束させようという決意の下、家族に別れを告げるように家を出てきた従業員もいらっしゃったとか。

いつ、どこで、何に、自分の全人生を賭けるだけの意義を見出すかは、その時になってみないと分かりません。だからこそ、昔から「覚悟」ということが言われてきたのかもしれません。


黙々と川沿いを歩く中で、色々なことを考えます。



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