今日は体調が良くなくて全身にあまり力が入らない。
けだるい感じだったため、散歩も胸の空気を入れ替える程度にしたのだけど、そんな中で、なぜか「世界を変える力」について、ぼんやりと思い巡らしてた。
何か具体的な働きで世界に貢献できる人はいいな、と羨む自分がいる。
技術力、経済力、行動力、人と人とを結びつける力、知名度――そういうものがなければ何もできないわけじゃない。それは分かっているけど、「じゃあ、お前に何ができる?」と問われると、ちょっと答えに窮してしまう。
でも、だからこそと言うべきか、”そんな自分にもできることは何だろう”と、全身の倦怠感に包まれつつ、僕は考え出した。
対岸に渡る橋の上で、すぐ横を走り過ぎて行く車を見てて、ふと思った。
「自分の知らないところで、色んな仕事に就く多くの人が働いているから、僕は生きていられるんだ。感謝しなきゃ。」と。
もちろん、そういう風に考えることなんてよくあるのだけど、今日はトボトボとゆっくり歩いていたから余計に強く感じたんだと思う。
“ありがとう”の気持ち一つで、その人の周りには温かい空気が流れるようになる。
世界をステキに変える秘訣は、たったこれだけでいいのかもしれない。
何も特別な才能や力が必要というわけでもない、そんな気がした。
橋を渡りきって堤防沿いを歩き始めた時、土手にたくさん咲いている黄色い花を摘み取っているおばあちゃんに気がついた。左手には既に束が握られていたから、お供えの花にでもするのかもしれない。
供養として献花するするイメージが浮かび、僕は東日本大震災で亡くなった人々を思った。
亡くなった人達は、あの時に亡くなる運命だったのだろうか?
幾らでも遣り残したことがあったんじゃないだろうか?
こんな考えは、占いを学んできた人間にとってはタブーだろうと思う。
でも、今ばかりは考えないわけにはいかなかった。
もう少し時が経てば、なぜ3・11という日があったのか、朧げにでも分かってくるのかもしれない。
・・・だけど、まだ今は整理がつけられるような時じゃないし、「まとめ」ようとすること自体に無理がある。
僕らはまだ、これからの日本を、そして世界を作り直していく、そのスタート地点に立ったばかりなんだから。
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