2017/9/5 追記
僕には時々、ふと釈迦を思うことがあり、今の少し前もそうでした。その時にこの一連の記事を思い出したんですが、歳差のことであれこれ書いているものの、よく考えてみれば紀元前500-600年ごろだとアヤナムシャは+側になり、現在の黄道位置からすると星座半分ほどの違いです。
すると、下記の記事にあるような1~2か月も前の季節を想定するのはおかしいことになります。仮に、ヴィシャーカー月というのがサイデリアル方式における牡牛座での満月を含む月だとすれば、4月~5月頃の生まれというのは妥当に思えてきます。
で、例えばBC563年(-562年)でヴィシャーカー月の満月を考えた場合、それは5月11日(グレゴリオ暦の5/5)になります。仮に月が鬼宿(プシュヤ)の生まれだとしたら5月1日頃(グレゴリオ暦の4/25~4-26)です。
また、BC562年だった場合、ヴィシャーカー月の満月は5月1日(グレゴリオ暦の4/25)、鬼宿日は4月21日(グレゴリオ暦の4/15)頃で、この場合、トロピカル方式では牡羊座の太陽になります。
旧暦で考えると3月~4月に当たりそうですが、手元のソフトではBC563年のほうは閏月になっています(日本の天保暦式のものなので、その点は注意が必要ですが)。それと、仮に鬼宿に月があったときの生まれだとすれば、新月から6~7日目に当たり、よくある「旧暦4月8日」にも近いです。
ただ、僕が調べた限りでは、漢訳仏典には「月が鬼宿にあったときに生まれた」という表記は見つけられず、ただ「鬼宿の輝き(清澄さ)が増したとき」みたいな表現でした。現代の一般書には鬼宿日生まれとするものは多々ありますが、その大本が何か不明なままです。もしかしたら、鬼宿が地平線から上ってきている時間帯とか、鬼宿に金星があるときとか、そういう可能性もあるのかなって思っています。
さらに言えば、満月(15日)という表記も南伝系には多いですが、ぴったり旧暦15日とか月齢15とか、その辺も怪しい面があるため鵜呑みにはできません。
ちなみに、年代的な考証としてですが、『ヴィジョン(幻想録)』(W・B・イエイツ=著)のp.329に、「私の霊的指導者によると、仏陀は木星-土星の合から流れ出る霊液であった」とあります。その記述を信じるとすると、天文学的にはBC563~562年と、BC543~542年が該当します。また、日本の説だと紀元前463年ですが、その場合も木星と土星は比較的近い位置に来ます。
キリスト教の祖・イエスも、同じく木星と土星が近接した時の生まれだという説があり、こういう宗祖的な人は社会に多大な影響を与えるという意味で、その当時、肉眼で見える最も遠い惑星であった木星と土星(それぞれ占星術で世間とか社会を表す意味を持つ)の「霊液」から生まれてくるという考えも一応、理解できます。
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ここから当時の記事
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☆お釈迦様の生年月日時の再考察
以前にも記事にしましたが、この一ヶ月を使って考え直してみました。今回は、西洋の仏教学者の多くが採用している紀元前563年説になっています。ただし、無思慮に鵜呑みにしたわけではありません。資料や文献にある記述を暦(天体位置)と照らし合わせて幾つか候補を出し、その上で占星術や易、四柱推命などの占術によって絞った結果です。
結論から書くと、今の僕は一般的に言われている、ウィルヘルム・ガイガー氏の研究(「The Mahavamsa or the great chronicle of Ceylon」)に基づく仏滅年代を支持しています。つまり、「紀元前563年に生まれ、それから80年後の紀元前483年に亡くなった」というものです。今回は出生年月日時だけでなく、出家、成道(悟りを開く)、初転法輪、涅槃(入滅)といった主要な時期についても考察しました。日付まで正確に合っているかは確かめようがありませんが、当たらずとも遠からずであってくれたらいいなと思います。
まずは煩雑さを避けるために調査結果を記し、それから、どうしてそういう考えに至ったのかを述べることにします。
☆CIが考えるお釈迦様の生年月日時<再考:563 B.C.(B.C.E.)版>
名前: | ゴータマ・シッダッタ(Siddhatta Gotama:パーリ語)、またはガウタマ・シッダールタ(Siddhartha Gautama:サンスクリット語) |
性別: | 男性 |
出自など: | 釈迦(Sakya)国の王子として出生。当時、母は56歳、父は58歳か。 母親は高齢出産のためか、子を産んで7日後に他界したとされる。 父親は、シッダッタが39歳の年、97歳で病死したという。 |
出生年月日時&曜日: | 紀元前563(-562※1)年3月9日午後12時02分(12時0分±5分) 綏靖天皇19年。ユリウス暦換算では3月15日。金曜日 |
出生地の緯度と経度: | ネパールのルンビニー:27.467155, 83.274908(ST +5:30UTC) 27° 28′ 1.76″ N, 83° 16′ 29.67″ E 現地標準時に対する時差:+3分(184″)、日本標準時とは3:30差 |
均時差: | -11分46秒 → 真太陽時(=時差+均時差):11時53分頃 |
旧暦換算: | 戊戌年二月十八日午刻 → 時間起卦:山水蒙九二 |
四柱干支&気学九星: | 戊戌年乙卯月甲戌日庚午刻 年月日時の順に、六白・四緑・八白・一白か。 |
太陽黄経: | 348.100(魚座の18°06′)、2月節の啓蟄から3日経過 |
月黄経: | 190.474(インド占星術では、LahiriのAyanamshaで202.203。天秤座の22°12′。ヴィシャーカー宿=氐宿 ※2) |
太陽と月の合成度数: | 206±2度(天秤座の26)度周辺 |
エニアグラムのタイプ: | Type7? |
※1 紀元前0年を含む場合の表記法
※2 釈迦出生当時のアヤナムシャは、Astrolog32によると「11度43分45秒」。Vimshottari Dashasの流れを大まかに見ると、14歳頃までが木星期、そこから結婚や出家を含む33歳頃までが土星期、続いて成道や伝道初期に当たる50歳頃までが水星期、57歳頃までがケートゥ期、デーヴァダッタの分裂騒ぎがあった77歳頃までが金星期、そして83歳頃までの太陽期に入滅・・・という感じ。
以下に参考として、個人的に調べてみた重要な出来事の年月日(時)を記しておきます。
ただし、日付を確定させる情報に乏しいため、まだまだ検討の余地はあります。基準にしている出生図を除き、他の出来事に関しては数日から一週間、もしかしたら一ヶ月のズレがあるかもしれません。(条件としている曜日や月名、宿の信憑性が定かではないので、なるべく文献の記述に頼らずに占星術や東洋系占術の技法から独自に考えるようにしています。なお、旧暦の日付については不正確なものがあるかもしれません。)
表1 お釈迦様の人生における重要(有名)なイベントの時期を想定 | |
出来事 | 日付(括弧はグレゴリオ暦で統一)、旧暦、日干支、曜日 |
入胎(受胎) | 紀元前564年6月2日夜、旧5月4日、甲午、金曜、鬼宿か、 紀元前564年6月14日夜、旧5月16日、丙午、水曜、斗宿(※1) |
出胎(出生) | 紀元前563年3月9日真昼、旧2月18日、甲戌、金曜(※2) |
出城(出家) | 紀元前534年の春から初夏における月曜か満月で、夜~朝。 たぶん旧三月か旧四月。(※3) 候補として、4月15日(癸未、月曜)~17日(乙酉、水曜)、 5月7日(旧4月9日)の火曜日の朝か、満月の頃。 <出生から、29年と2~3ヶ月ほど経過> |
苦行放棄& 成道(悟り) | 紀元前528年4月11~12日早朝、旧3月19日、辛亥、金曜 または、4月9日早朝、旧3月17日、己酉、水曜(※4) <出生から、35年と1~2ヶ月ほど経過> |
初転法輪 | 紀元前528年6月6日の夕方、旧5月16日、丁未、金曜(※5) <出生から、35年と3ヶ月ほど経過> |
寿力放棄 | 紀元前484年12月26日、旧11月17日、庚申、水曜(※6) <出生から、79年と9ヶ月半ほど経過> |
入滅(仏滅) | 紀元前483年3月26日未明、旧2月19日、庚寅、火曜(※7) <出生から、80年と0ヶ月半ほど経過> |
※1 一般に、受精からの懐胎期間は9ヶ月(270日)前後ですが、個人差があるため特定は困難。ここでは資料によりました。
※2 カチヤン月(=Visakha:ヴィシャーカ月)が、その当時の暦で、今の何月に相当したのかが確実に判明するといいのだけれど。詳細は記事後半を読んでください。
※3 旧三月の頃に、半ば衝動的に城を抜け出そうとして失敗したのかもしれない。でも結局、次の月に上手く渡りをつけられたような印象。
※4 カチヤン=ヴィシャーカ月(二番目の月)の満月に村娘達から供養を受け、水曜日(あるいは、さらにヴィシャーカ宿)に悟ったと伝えられています。おそらく、この年の旧暦三月に五比丘が離反したと思われます。その後、中道を見出し、ほどなくして成道。一ヶ月ほど瞑想した頃に何者かに説法を要請されたか、自ら決意した。瞑想(三昧)から目覚めたのは、ナヨン月(=Jyestha:三番目の月)の満月の後、第6日とも。
※5 ワチョウ月(=アーサールハ月=アーシャダー月?)の満月の日没時。もしくはプールヴァ・アーシャダー(箕宿)、またはアーシャダー月の第二の二週の十二日、アヌラーダ(房宿)星座が昇る時。幾つかの説があります。
※6 マーガ月(十一番目の月)の満月のマーガ(星)宿。この時に、「あと三ヶ月後に涅槃に入る」と釈迦自ら告げたらしい。
※7 釈迦が率いる一行がチュンダの建立した精舎(がある城内)に入ったのが、カチヤン月の上弦の十四日だった、と。・・・ですが、何を言っているのかよく分からず、苦慮。上弦とは旧暦の8日前後のことなので、旧暦14日ではないだろうし、上弦から十四日”目”ならば、なぜ満月を起算日にしないのかとも思うし。一般には、出生と同じヴィシャーカ月(二月)の15日、またはヴィシャーカ宿(?)の日の火曜日に円寂し、同月、満月の後の第12日目に荼毘に附された、と伝えられています。しかし、この周辺の月で火曜日が満月頃に当たるのは、5月21日(旧4月)くらいで、旧二月の満月(15~16日)は金・土曜、旧三月では土・日になり、適合しません。
僕は、満月ちょうどではなかったのではと考えていますが(臥待月、寝待月、有明月、更待月などと呼ばれる頃)、もしこの点にこだわるならば、一年前か一年後のほうに分があります。あるいは、一ヶ月か二ヶ月ずれている可能性も考えられます。ちなみに、ガイガー氏の著書を見ると、氏は紀元前483年10月8日(旧暦9月8日)の火曜日を入滅の日と仮定し、そこを仏滅年の起算点としています。
<補記>
経過年月、特に年齢に関しては、入胎時から数え始めるのか出胎時から数え始めるのか、また、数え年方式か満年齢方式かで変わってきます。「原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究 」の論文を読むと、入胎時から満年齢で数えるという見解を書かれており、そうなると、表1での経過年月と1年ずれてきます。幾つかの文献やサイトを見ると、例えば没年齢を80歳としたり、79歳としたり、81歳としたりで完全な一致をみていません。多くは80歳ですが、微妙に意見が分かれているようです。
それと、これらの出来事のほとんどが一律に満月周辺のこととされており(中国の文献では旧暦の15日以外に8日という表記も多数ありますが)、本当にそうなのか疑わしく思えます。確かに新月や15日、また8日(あるいは23日もか)は布薩(ウポーサタ)の日として重んじられていたようなので、しきたり的な行事は、そうした日を選んで行われていた可能性はあります。
しかし、釈迦個人の動向に関してまで月の位相の区切り目が逐一シンクロしていたと考えるのは、ちょっと信じがたいものがあります。表1で記したように、曜日や宿の指定から、ある程度の日を絞ることはできますが、一年や一ヶ月単位でズレていると、さすがに調査は厳しい。生年月日および生時が確定できなければ、占星術でのASCやMC、アラビックパーツ、ヴァーテックスなどの移動の早い感受点に信を置けないのも辛いところです。
(続きます)
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