With the I Ching

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やりとり、あれこれ Part2

2011-07-14 21:01:10 | CI について

やりとり、あれこれ Part2 (Part1はこちら

ミクシーでのメッセージのやり取りからの抜粋です。
僕のブログへの転載については、予め相手の方の了承を頂いています。

今回は特別なテーマがあるわけではなく、お互いに思ったことを自由に書き合ってる内容です。

時事問題、死後の世界や転生、占い、瞑想などスピリチュアルなこと、予知・秘伝について等。

これらを読んで、何かを感じ、何かを考えるキッカケにしてもらえたらいいな、と思います。

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※呼称について

やり取りしている方のお名前は、「**さん」としています。

また、文中に出てくる他の方の名前は「~~さん」としました。

なお、相手の文章だけの場合は、(**さん→おのふ)と冒頭に書いてあります。
おのふとは僕のことです。

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2011年05月20日 22時31分

> 気がつけば人に翻弄されてたり、何がしたいのか分からなくなってたり・・・と言う事が多いですよね。
> 軌道が逸れてしまったら早く元の位置に戻らなくちゃ。
> 毎晩、寝る前に瞑想するようになったんですけど、そのお陰で随分と落ち着けるようになりました。
>

瞑想で思い出したんですが、アカシックレコード読みのゲリーボーネル氏が、面白い事を言ってました。ちょっと本から引用します。

「公園のベンチで20年間ワインを引っ掛けている人と、ヨガを毎日やって瞑想もやり素晴らしいアイデアを持っている人と、全くその2人には違いはない。」(「五次元世界はこうなる」)

この一文を初めて読んだ時も、「ああ、そうかも」と思いましたが、この頃はもっと強く「ああ、本当にそうだなぁ」っと道行く人を見ながら感じます。彼ら/彼女らと僕には、これといった違いはない。ちょっと昔抱いていた感覚に近いかもしれないです。

一人ひとりの性格、個性、優劣、能力といったような視点から離れて、ワンネス的な考え方。
懐かしい気持ちになります。

>でも、不安に駆られた途端、人の心ってこうもあっけなく崩れるんですね。

もう体中がゾワゾワする感じ。「何でもポジティブに!」って、調子よく飛ばしている人も多いですが、恐怖や不安に対する耐性が低いと、急激に精神が落下して人が変わったように塞ぎ込んでしまう人もいるので、人間って不思議です。

自分に対する過大評価もダメだし、過小評価もダメ。
素のサイズの自分といかに向き合えるか、これが凄く大事なことだと思います。

>ブライアンワイス博士の本は愛読書なので、死ぬ事は怖くはないんです。
>だって、きっとまた人間になると思ってるから(笑)

新居昭乃さんという歌手の曲で、リインカーネーション(Reincarnation:生まれ変わり)というのがあったなーと思い出しました。今思うと、スピ系の曲の走りだったのかも。

>それから、私も人の寿命についてはそう思います。
>死ぬ時は「合格」の時で、それは自分で選べない。
>だから自殺は「合格」ではないんだ。
>あれは絶対にしてはいけない、神様への反抗だと思います。

小学生の姪っ子が「自殺ヘルパー」というコミックを持ってたので、一ヶ月ほど前だったかに借りて読みました。凄いタイトルですが、内容としては「自殺する人を自殺から助けるヘルパー」です

自殺は人生のコントロールを誤ったから? 絶対にいけないこと? それはどうして?
・・・など、色んな意味での問題提起をしてる漫画でした。

>そうそう、明るい話題ですけど、浮遊惑星ってすごいロマンチックなニュースですね
>木星ほどの大きさの浮遊惑星が10もあるって、
>そんなでかいのがふわふわと自由に漂ってるって事でしょうか。
>ロマンチック~~占星術もまたまたの進化をするのでしょうか。

膨大な数の中の10個なので、確率としては0に近いですよ。
ただそれは今の科学技術で見つけられた数なので、実際の数は分かりませんけど。
いわば「宇宙の流浪人」ですから、はぐれ者が彷徨っているというイメージですね、僕には。
新聞読んでて、「自分を見てるみたいだ」と親近感を覚えたくらいです。

占星術に関しては、ジオセントリックとヘリオセントリックという二つの観点があります。
まあ、地動説と天動説です。

で、これまでの占星術は、本当は地球が動いていると分かっていながらも、天動説の理屈でホロスコープを作ってきました。地球中心の考え方です。もちろん、それはそれで理論も確立されて正しく読めるわけですが、一方で、今は太陽を中心にした読み方をする先生もいます。松村潔さんとか。

また、視点の違いではなく、恒星の影響を持ち込んで読み解くという手法もあります。これは古代からあったので、今に始まったわけではないですが。たとえばシリウスはどういう意味があって、アンタレスにはどういう意味があって・・・というようなことです。

占星術は基本的に三次元に属する技術ではないので、本来的には俗世間を都合よく生きるために使うというのは本筋から外れています。でも、まだ今はそういうレベルで占星術を見ている人は少ないと思います。だから、進化どころか、本道にも乗ってないというのが現状ですね。ま、実際それは占星術に限らず、多くの占いに言えることです。

さっきも書きましたが、今後、何年先か何十年先か分かりませんが、個々を切り分けて占いをするということから次第に離れていくことになるでしょう。つまり、個人レベルでの占いに関心がなくなってくる。そういう時代になると思っています。

もしかしたら、多くの占いは必要なくなるか、残るにしても使い方に関しての発想の転換が必要になるだろうと思います。根本的に。

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2011年05月22日 14時11分

(**さん→おのふ)

> たくさんお返事をありがとうございます
> 次々と、色んな事が浮かんでは質問するので大変でしたね、お手数かけてしまって(笑)
>
> それにしても驚いた内容として、「公園でワイン飲んで酔っ払ってる人と、ヨガも瞑想も出来てる人に違いはない」って言葉です(笑)
> これは衝撃!
> それで考えてみたんですけど、
> 「一人ひとりの、人間界での目的が違う。それぞれが自分の目的を果たせるなら、その過程はみんな自由だよ」って事かなあ・・・。
>
> でも、のんべえで20年過ごすのと、ヨガと瞑想と規律の中で過ごすのとが同じだよ~って言われたらヨガの人は怒ってしまうかも(笑)
>
> それと、個人レベルの占いから、だんだん「人類みな兄弟」的な考え方になっていく、と言う事ですか?
> 思ったんですけど、そうなる為には人間がすごい痛みを感じなくちゃならないと思う。
> 今回の震災みたいなもの・・・こういうのがたくさん起こって、ようやく到達するんじゃないかなって。
> 誰かを助けたり、助けられたり・・・その中で到達するんじゃないかなあって。
>
> 震災だけじゃなくて、例えばエイズなんかも。
>
> それから・・・
> 京都時代、何十万も占いの本に費やしたんですね。
> そこまで夢中になれるものに出会えたのはすごい事ですね。
> 「導かれた」と言うんでしょうか?
> まだまだその道は続いていて、この先もずっと・・・ですよね。
>
> 自分がどんなにもがいても、行くべき道に行くって事なのかなあ?
>
> おのふさんはもがかなかったと思うけど、私などは「ああなりたいな」とか「あの人みたいな人生っていいな」とか、そう思っても出来ない自分がいて、すごく情けないし惨めだし、自分が嫌いだったんですよね。
> 例えばファッションとか美容とかが好きなのだけど、自分は「派手」じゃない。
> やってみても全然似合わない。
> どうしてもそうなれない。
> 美容師さん、ネイルさんみたいな、華やかさや派手さが自分にはない。
>
> 悔しいから色彩検定を受ける。
> でも、資格持っても自分は変わらない。
> そこでまた落ち込むんですよね。
> 「無理してるのかな。ああなれないのかな」とか。
>
> 「等身大の自分」にたどり着くのが早いか遅いか?
>
> 今頃に思うんですけど、ぼ~っと、もがかずに生きてるのが1番なんじゃないかって・・・
> 努力、とか、もがくって言うのは、無駄とは言わないけど、そうやってみても、ぼ~っとしてても、同じ所に行き着くんじゃないかなって。
>
> 今まで自分が嫌いな期間が長ければ長いほど、遠回りだったのかなあって・・・
>
> あ。
> また変な事を書いてしまいました(笑)

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【酒飲みも瞑想家も】

2011年05月22日 16時24分

ワイン引っ掛けている人とヨガ&瞑想家さんの話ですが、確かに、その分野で頑張っている人には受けが悪いかもしれないですね

ただ、**さんも書かれてますが、人って、どういう生き方をしていても、ハッと何かに気が付いちゃったら、もうそこで人生観がガラッと変わることもある。等身大の自分に似つかない、何か無理なことしてるな、と気が付いたりする。

で、それまでの道程や手段に関わらず、素直な自分を見つけた人の到達点は似たような感じになってるように思えるんです。

ただ、そうなるためには、それぞれの立場にも条件があると思います。

ノンベエの理由が、自分自身に対する卑屈や劣等感、あるいは罪悪感や「もう人生どうでもいい感(自虐)」といった心理に基づいているんだとしたら、それはこの話のようにはいきません。

同じように、ヨガや瞑想を毎日やっている人が、それで頑ななプライドを作り上げていたり、誰かより優越感を持っていたりしたら、それもこの話のようにはいかないでしょう。

どちらも、それが自然な形でその人の一部になっているかどうか、それが問題だと思います。
優劣とか比較、勝ち負け、そういう意識のない状態で気ままに自分のしていることを楽しんでいる――それが大事なポイントじゃないかなと思います。

例えば、占い師や占いが多少できる人が、運命が読めるからといって偉そうにしたり、知識や技術を自慢していたとしたら、それはやっぱりどこか間違ってると思うし、不謹慎ながら、人として何か変じゃない?とも思ってしまったりもします。


僕の中では、色々な人が、それぞれの生き方の中で相当の無理を積み重ねているのが今の時代だという実感があります。だからこそ、そうした中で自分にとっての最も自然で、リラックスできることを見つけられたら、しかもそれを続けられたら素晴らしいことだと思います(それが公園でワイン飲むことでもヨガや瞑想でも)

自分に見合った形で何かをしてきたのなら、後で人生を振り返っても後悔はしないだろうなっていう気がします。で、それは「凄い努力をして勝ち取る」とか、「他人を蹴落としてでも手に入れる」という類のものでもないんじゃないかなぁ、と僕は思うわけです。

「ああいう風になりたい」という憧れが推進力になる、ということもあるとは思いますが、実際には、憧れの当の本人は、そのことで悩んだり苦しんだりしていることもあるし、羨ましい生活してるような人が自殺しちゃったりもする。

僕が「もがいてない」なんて、ことはありませんよ。むしろ、溺れそうになって必死に藁をも掴もうとしてきた、というほうが多いです。でも、何のためにそういうことをしてきたのかを考えると、虚しくなることばかりです。そのために失敗をして痛手も負ったり。

結局、それは本当に自分が求めていたことじゃなくて、ただ自分を良く見せたいとか、いい評価を得たいとか、大人として行動できるところを示したいとか、そういうことにとらわれていたからです。
それらが愚かしいことだと思ってるわけじゃなくて、自分には似合わない、ということに気が付いた、というだけのことなんですけどね。

でも、その気づきで人生に対する見方は随分と変わりました。
視野が広がったと言えたらカッコいいですが、まあ、偏屈な考えで染まっていた頃よりは、幾らかマシになっただろうとは思っています。

「もがき」がなくて平坦に生きていたら、同じような境遇で苦しんでいる人の気持ちも察してあげられないので、それは決して無駄ではないと思いますよ。そういう経験があってこその、意識の転換とも言えますし。

ただ、現代はあまりに葛藤の量が多すぎて、不安や恐れや焦燥感なんかが溢れ過ぎて、もはや「もがき」が一時的なもので終わらずに、もう十年も二十年も苦しんでいるという人が少なくない。これは、さすがに何とかしなければならないと思います。

よくよく考えてみれば、それらの心配や葛藤の原因になってるものの大半は、実際には不要なものだったり、逆に害なだけというものが多いと思うわけですが、いかんせん、社会構造のなかに組み込まれてしまっていて取り除くのが難しい。で、それがまた多くの人を苦悩の淵に貶めている。

本来はもっと素の自分を見つめる時間を確保する必要があるんだろうけど、皆それは分かっていても、現実がそれをすることを許してくれない。不条理な社会だと思います。

ただ、そこを責めたとしても急激な改革でも起きない限り変化は緩慢なので、外側を無理に変えようとするよりは、自分の手の届く範囲での意識を変えていくほうが賢明じゃないかと。特に自分自身の内的な変化は必須だと思います。

なので、一人ひとりの「もがき」や葛藤を徐々にでもプラスに転化していけたら、それに連れて社会や世界も、どんどん良くなっていくだろうと僕は考えています。

今は、個々が自分のことで手一杯かもしれませんが、「自分はもう大丈夫」(問題は残っててもへこたれない)と思うようになれた人から順次、周りの人の手助けをするようになっていくと思います。ちょうどフクシマでのボランティアを志願する人達のように。それが世界規模で起きてくる。

これから生きていれば、そうした明るいニュースも各地で見聞きされるようになって、人々の希望になるだろうと思います。


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【「 酒飲みも瞑想家も」のメール、大事にします】2011年05月24日 18時55分

(**さん→おのふ)

> それから、このタイトルのメールはちょっと前に頂きましたが、私はこの内容好きです
>
> なるほどなあ~~
> 酒飲みを一括りにしては間違うし、ヨガやってる人も一括りじゃないと思いました。そうだよなあ~
>
> 心が平穏に満たされていて、きれいな緑を楽しいながら公園でワインを楽しんでる20年と、「このバカたれが!」って思いながらまずいワインを飲んでる20年じゃあ全く違いますよね(笑)
>
> 思えば全てそうですよね。
>
> ①挫折感とか、不安などの負の感情。
> ②魂が天と繋がってる人の、聖なる感情。
>
> 同じ行動をするにしても、感情が違えば全く別物ですよね。
> ①の人が、ある時を境に、②に目覚める。
> その時っておのふさんが言うように、誰もが同じ様な瞬間だと思う。
>
> ②のノンベエと②の瞑想の人は、確かに同じレベル(?)ですよね。
> でもそれは、見た目じゃ分からない。
> 固定観念?かな、偏見かな。
> なぜかヨガの人の方が「高承だ」って思ってる。
>
> そういう無意識の偏見って、捨てた方がいいですね。
> うん、捨てよう(笑)
>
> それから、この大震災は確かに皆が痛みを共有できるきっかけになったと思います。
> でもこれを利用して儲けよう、人の弱みに付け込もうって人はいるはず。
> 大部分の人は、この震災の映像を見たり聞いたりして、少しでも人生観が変わったんじゃないかなと思います。
> そう言う事が繋がっていって、「助け合おう」って言う人達がどんどん広がって行ったら、鬱などの病気は無くなるんじゃないかなあ。
>
> そういう高いレベルの地球がもうすぐそこに来てるような気もしますね。
> そういえば、マイケルジャクソンが死んだ時もそんな気持ちになってました。
> 自分の中で、ずっと潜在的に繋がっていってる気がします。

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Part3に続きます。

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