With the I Ching

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太極(中宮)

2009-09-23 20:27:16 | 八卦の千変万化
・太極(中宮)

これまで八卦を一通り考えてきましたが、ここでその中心にある太極(中宮)についても見ておこうと思います。
中宮は、先天八卦においては特に「これ」といった説明はなされていませんが、後天八卦では欠かすことはできません。

例えば人が円の中心に立って、それぞれ45度ずつの角度で向きを変えながらシャッターを切る。
そうしてできた360度のパノラマ写真が河図洛書だと考えてみましょう。

先天八卦は、その景色の実相についてのヒントを与えてくれますし、
後天八卦は、自分の立ち位置と周囲の環境との関係について教えてくれます。

中央に立ち、中心を担う。
これは二点間の中点とか中間という平均的な意味とは違い、全体を統制する“力”ある一点です。
陰陽が入り乱れる混沌とした場の真っ只中に立ち、周囲を俯瞰する。

原初の一点は、限りなく創造的かつ主体的です。
明確な意志が存在し、それを臆することなく主張する強さも備えています。
漲るエネルギーが、敢然と物事に立ち向かう勇気を与えることでしょう。

また、統制能力に長けた性質は、権力構造を的確に把握する能力でもありますから、そうした場面には存分に本領を発揮することでしょう。
映画に出てくる正義の主人公のように、企業の不正や虚偽を看破し、対決することも辞さない使命感の強い性格の持ち主だったり、逆に、イニシアチブを取るために相手との抗争を繰り返してばかりいる人もいるかもしれません。

実際、そうした“強さ”や“力”は、諸刃の剣として振り回されることがあります。
強さや権力(優位性)に対する執着は、相手も自分も傷つける結果(共倒れ)になることが多く、なかなか厄介な代物です。
力がある人は、その力を制御することも一緒に学ばなければなりません。
それは相手を無闇に傷つける危険性を防ぐのと同時に、自滅の道を防ぐためでもあります。

権力闘争や支配願望は、他者との争いや腐敗を生み出す主要な原因です。

どんな立場の人々であれ、自分の置かれた状況の中での優位性を得たいと望んでいます。
誰かと話している時、子供同士で遊んでいる時、グループ・ミーティングの時、デートをしている時、家族や仲間とテレビを見ている時・・・
そうした様々な場面で、意識的であれ無意識的であれ、人は自分の主張を通すために主導権を握ろうとします。

そして、もし互いに闘争的なタイプであったならば、期せずして「喧嘩上等」の“のろし”が上がることでしょう。
そうなってしまった場合、どちらかが力負けして諦めるか、相手の配下に下るかして、その場の主導権が決まりますが、別の日に同じことが起これば、また性懲りもなく主導権争いを繰り返す羽目になります。

言葉で対抗できなければ、暴力を振るうことで優位性を誇示しようとしたり、
あるいは、そういう態度を批判することで相手の意気を殺ごうとしたり、
自分には後ろ盾(ボスや組織)がいることをアピールして、相手を威嚇したり、

・・・といったように様々ですが、どんな方法であれ、その結果が良いものになることは到底考えられません。

結局のところ、そうした腐敗した争奪戦のパターンに嵌ってしまう自分を省みることがないために、いつも気まずい雰囲気になってしまったり、言い争いや喧嘩をしてしまうのだと気が付けば、そこから改善の糸口が見えてきます。

強さを押し出して誇示することは、弱さを意図的に隠そうとしている裏側の行為です。弱点や欠点を知られたくないために、必要以上に“強さ”を示す。これでは悪循環は止まりません。
自分の中の弱さを自覚し、それを見つめ、真摯に克服するように努めることが、この人に「真の強さ」を与えるでしょう。

――三脚を構え、その時の撮影環境に適した設定をする人のように、中宮の状態は、自分の思考も感情も体も、もしかしたら時間や空間や世界さえも、コントロールするものだと感じるかもしれません。

しかし、被写体は決して支配するものでも支配されるものでもなく、ただそこに存在しているに過ぎません。
そして撮影者も、この瞬間を逃すまいと、ただ夢中になってシャッターを切るだけです。そこに意図的な作為や思惑は必要ありません。
それと同じように、太極(中宮)においても無心であることが良いのではないかと思います。

占星術的観点では、中宮は太陽もしくは冥王星、エニアグラム的にはType8が対応すると思います。


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