最近はカレンダーにも記載されなくなってきている六曜ですが、今も大安や仏滅、友引などを気にされる方は時々います。
現在は一粒万倍日や十二直の満、二十八宿の鬼宿や天赦日といった、他の暦注要素と合わせて縁起の良い日を探す、という風潮も少しあるようです。
僕は十二直と二十八宿は暦のシステムと絡めて今も研究していますが、一粒万倍日は以前に調べた結果、不成就日と同じく出所が不明であり、根拠も出し方も明確でなく、現実に効用があるとも思っていません。
何もそれを信じている方々を否定する意味で言っているのではなく、単純に占いとして使えるかという点で僕は「No」と判断しているというだけです。遊びの一環や、気分的な指標にすることに対してどうこういうつもりはありません。
天赦日に関しては割と古くからありますが、その日生まれの人がみんな幸せに生きているのか、あるいは、その日に始められた事柄が必ず成功しているのかを調べてみれば、実際にはそんなことはないと、すぐにわかると思います。
結局のところ、こうした単発の要素だけで人の運命や物事の成功・失敗が決まることはまずなく、それらを複合させたとしても、実際に効果があるかどうかはまた別問題です。
江戸時代にも、またそれ以後の明治や大正、昭和においても、こうした要素を迷信と切り捨てる人々はいましたが、その主張はあまり受け入れられなかったようです。
それだけ、お手軽に日々の吉凶を知りたいという要望が庶民の間で強かったのでしょう。それは今の大安・天赦日・一粒万倍日などを頼りたくなるという心理と同じなのかもしれません。
さて、話が逸れてしまいましたが、今日の本題に入ります。
六曜にはそのルーツとされるものがあり、それを六壬時課といいます。
(別名として、李淳風時課、六壬掌訣、起例掌訣、小六壬)
中国の唐の時代の天文学者・数学者であった李淳風という人が考案したものだとされ、江戸中期の百科事典である和漢三才図会にも載っています(国立国会図書館デジタルコレクション:巻第五 暦占類 六壬時課)。
ちなみに、この三才図会の中には一粒万倍日(まんはい)は出ていません。
六壬時課は旧暦を使うという点で六曜と同じですが、時課とあるように時刻占いですので、そこが大きな違いです。
しかし、これは違いというより、六壬時課が変遷する過程で日の占いに作り変えられたということなので、一応はルーツではあると考えられています。
名称は大安に始まり、留連、速喜、赤口、小吉、空亡ですが、ここではあえて解釈はしないことにします。先に紹介した和漢三才図会などの古典には意味が出ていますが、気になる人はお遊びがてら実験し、自分で意味を見つけてみると面白いのではないでしょうか。
古典解釈を読み、それが先入観になってしまうと、そういう視点でしか見られなくなってしまうかもしれないからです。自ら試してデータを取っていけば、一つ一つの現象に何らかの共通項を見出すこともあるだろうと思います。
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