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【Ute Posegga-Rudel】私達の神なる自己(神我)との対話: グルの役目

2013-04-30 23:07:40 | 翻訳

この記事は、前回の「【Ute Posegga-Rudel】弟子状態にある人類」と内容的に繋がっていますので、そのことを踏まえて読むようにしたほうがいいと思います。 
 

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http://radiantlyhappy.blogspot.jp/2013/04/conversation-with-our-god-self-function.html


MONDAY, APRIL 29, 2013

CONVERSATION WITH OUR GOD-SELF: THE FUNCTION OF A GURU
by Ute Posegga-Rudel

2013年4月29日(月曜日)

私達の神なる自己(神我)との対話: グルの役目
by ウーテ・ポゼッガ・ルーデル

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最愛なる皆さん!

特にニューエイジ・コミュニティで、グル(Guru: 導師、教師、霊的・精神的指導者)の役目に関する誤った理解が広く行き渡っています。この神なる自己との対話は、そうした中に大いに明解さをもたらすことを狙いとしています。

でも、実際の対話を始める前に、なぜ私が“私達の神なる自己”と呼び、“私の”神なる自己と呼ばないのかを先にはっきりさせる必要がありそうです。皆さんの中には、それについて疑問に思っている方々がいるかもしれませんね。それに私は、このことについて一度も話し合ったことはないですし。

それは単純に定義の問題なのです。私のメッセージでの神なる自己とは、万物・全存在・全事象の「一なる自己」、「一なる源」・「全創造物の神聖なる意識」です。逆説的に言えば、それはまた個人的な形態や意識としても現われます。だから、もしあなたが、それは“私の神なる自己”であるはずと信じるのなら、あなたは自分自身の“ハイヤーセルフ”<肉体を持ったアイデンティティの高次マインド>の視点に端を発しています。従って、それはまだ個人的な存在なのです。たとえ精妙な形態で現れるにしても。
その一方で、源は“本質”であり、錬金術師の“最初の原料”であり、“母(万物の生みの親)”です。そこから、高次マインドやハイヤーセルフも生じてきます。

“私達の”神なる自己は私達全体におけるワンネスなので、それは必然的に全てのハートに訴えかけます。というのも、それはあらゆる存在のハートの中核に住んでいるからです。
この説明が皆さんのより良き理解に役立つことを望みます。

以下の対話の中で、私は「私達の神なる自己」にスピリチュアル・マスター(霊的・精神的導師)の役割と重要性について尋ねています。私達が知っているように、ニューエイジ・ムーブメントではスピリチュアル・マスター達は、もはや“その中”にはいません。なぜなら、自分自身が自分の教師(マスター)であることを誰もが既に“知って”いるからであり、教わることを“外側”に求めていないからです。これはもちろん確かな真実で、その場合、人は本当に自らの内的な教師や真の源に接触しています。

けれど、時にはマインドやフィーリング、意識に生じているメンタルな実在と、フィーリングや感覚的注意の領域に他ならない純粋な意識そのものについての混乱があります。
この混乱は、ある人の自己が既に「純粋な意識」に接触していると単純に考えてしまう観念に導きかねません。しかしこの場合に生じることは、人が作り出した自己(Self)に関する観念であり、自己(Self)そのものではありません。

多数のニューエイジ哲学のメンバーは、この間違いを犯しています。それには自己超越の訓練(小文字の“s”で書かれた“self”)、深い洞察、自己理解、及び自己(Self)との真の接触を生じるためには、ある程度、ハイヤーセルフの生みの親である実際の“自己(Self)への問いかけ”が必要なのです。マインドが静穏になった時のみ、自己(Self)が現れます――私達が、私達と世界(高次世界であれ低次世界であれ)に関する全概念を手放す時に。また、私達が探し求めるのを止める時に。

では、これから私達の神なる自己との対話を始めます。


質問: 多くの人達がグルは必要ないと信じていますし、彼/彼女が弟子に自らの力を揮って従属させたり弱くさせたりする人物であると信じています。だから、弱い人々だけがグルを探し求めているのだろう、と。
一方で、伝統的には「神こそがグルである」と云われています。これはどういう意味で、どのように作用し、どうやって一個人が制限を超越し、源になり、大いなる全て(All-That-Is)になれるのでしょうか?

答え: まず最初に、「真のグル」とはショートカットであることを理解して下さい。グルとの関係は、ある人がスピリチュアルなプロセスを進めたり、自己実現にかかる時間を著しく短縮します。

真のグルの‘観点’と理解からすると、彼自身(または彼女自身)は“他者”ではありません。他者とみなすのは初級者の認識に過ぎないのです。というのは、真のグルとは一つしか存在しないからです。「一なる自己」または「一なる神聖な意識の光」です。グルとは一つの原理原則や作用であり、そして外部の観察者的なものとして現れることはあっても、ボディ-マインド(身心)ではありません。

「グルは鏡である」とは、まだ内側に彼/彼女自身の神聖なる真理を見出していない探求者に対して、(一見外側に)直接的に現れる神の力を表しています。しかし、実際には“内側と外側”というのは弟子による幻想です。

グルと弟子の関係とは深く神秘的であり、マインドによっては理解されません。それは人間の恋人の間で交わされる愛よりも偉大な愛に根ざしています。また、意識が第一義でボディ-マインドは第二義だという真理に基づいています。どちらのボディ-マインドも、つまり、グルのボディ-マインドも弟子のボディ-マインドも意識の中で生じています。従って、双方共に意識が共有されています。もっとも、弟子はまだそれを自覚していないので、グルの意識の達成<彼/彼女のボディ-マインドが完全に意識の光/エネルギーに明け渡され、意識の光/エネルギーを弟子に直接伝送すること>によって、ですが。

ですから、聖なる霊的・精神的な伝送とは、探求者が彼/彼女自身の内側で真理に目覚めることのできるこの関係の中で起きていることです。とはいえ、この真理はボディ-マインドの「中」には見つけられません。ボディ-マインドは高次の現実への入り口を提供するポータルを有しているに過ぎません。この高次の現実において、意識と光/エネルギーや、神の男女の側面が一つになります。古代のインディアンの霊的・精神的な伝統では、それは「シヴァとシャクティの合一」と呼ばれています。

質問: グルと弟子が物理的に離れていても、あるいはグルが身体を置き去りにして源に立ち返ってしまったとしても、グルの達成が弟子に影響を与え続ける傾向があるのは、どうして可能なのでしょうか?

答え: それは恩寵と祝福に基づくグルの意図によって起こるのです。グルは弟子の中での自己(Self)への気づきを拡大し、それゆえに彼は観想において彼自身の自己(Self)をグルの中に認識するのです。もし気づきが本物なら、それはグルの精神力を弟子に対して呼び起こすため、とてもパワフルです。その弟子はボディ-マインドに深遠かつ実感される変化の指南(イニシエート)を受ける一方で、DNAと分子構造も変化します。グルのボディ-マインドは、グルに関する弟子の深い自己忘却の観想中に消失し、ただ一つの自己(Self)だけが残ります。弟子がグルの中で最初に認識することは、彼が究極的には彼自身(Him-Self)の中で彼自身として発見する、ということです。

グルの恩寵により、弟子が彼自身の自己(Self)とは何者かを、ただ「一つの自己」、「光り輝く一つの意識」しかなく“二者”ではないのだと直に知って、ついに理解に達した時、彼/彼女は「それ」を彼/彼女自身として認識します。この気づきは、自分自身のボディ-マインドとそれを超えるための永続的な能力についての理解を必要とします。この時、グルは彼/彼女の目的を果たします。
それでも、グルと弟子の間の愛は永遠に続くのです。

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親愛なる皆さん、これで対話を終わりますが、むしろ対話というよりは深い畏敬の念と大いなる静寂、そして永遠の愛の経験でした。

皆さんも同じように感じてくれたらいいなと思います!
溢れるほどの愛を、
ウーテ


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翻訳: C.I.

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## 訳者あとがき ##

グル、マスター、スピリチュアル・ティーチャーなど呼び方は様々ですが、日本ではオウム真理教(現:アレフ)の事件以降、カルト教団のイメージが付きまとうことから、正直、あまりいい印象を持たれなくなっています。

ただ、日本であれどこの国であれ、必ず知識や智慧の継承、あるいは伝統や技術の継承というものが行われており、そこには必ず師弟関係や霊的・精神的な系譜が存在します。それは大工の棟梁とその弟子、職人の親方と子分、料理や作法、工芸、美術、文学、音楽、舞踏、学問、武術、操縦、物づくりなど、分野は多岐にわたります。

こうした知や技の伝統を継承するに当たっては、行動や文書で示し、それを真似るだけでなく、口伝や心伝といった方法で、その道の奥に至らなければ分かり得ない内容を伝える技法が存在しています。それは、ここで話題にされている精神的・霊的な教えに関しても同様です。

導師もしくは教師は、先達者として後に続く者をあれやこれやの方法や方便(たとえ)を使って導こうとしますが、前回の話でもあったように、学び吸収する側は、まずこれまでの人生の間に構築してきた観念や執着、エゴ、慢心を取り除く必要があり、また師は師で、いつでも無色透明でピュアな意識とエネルギーを放ち、与える必要があります。これは今回の記事にも出てくる、弟子を導く師としての成就、達成を表しているように思います。

実のところ、ここでのグルとは、完全にエゴ・マインドを超克して「一なる者」に帰服した者でなくてはならず、そうでなければ、導く者も導かれる者もやがては道に迷うか、道を失いかねません。だからこそ、真のグルとは類稀なる存在だと古くからいわれているのです。

そして、この両者の純粋な意識状態において、屈折や歪曲のない素直な意識やエネルギー/光(データ)のやり取りが成立します。チベットの伝統技法においては、そうした心意的な教えの伝達方法(互いの心と心でダイレクトに智慧を転写する手法)が残されているそうです。

僕らにとっての神なる自己とは、大いなる全て、つまり、森羅万象の創造主でありワンネスである、「一なる“私達の”自己」です。
このユニティ、ワンネスが根源的なグル、導き手ですが、そこに例えば地球の魂であるガイアや、僕らよりも意識的に遥かに進歩した多次元的な存在達も加わって同じようにマスターの道を歩み、先達としての役割を果たしながら地球人類を導いています。

その一方で、そうした高度な存在というのは、今はフォーカスしていない時代的・空間的・多次元的にパラレルな自分自身であったり、ハイヤーセルフ(高次の自己)、あるいはツイン・フレーム(ツイン・ソウル: 魂の片割れ)であったりもします。だから広い意味では、僕らは自分達を救おう、助けようとしていると見ることもできます。

こういうのって、なんだかとても不思議なことのようにも思えますが、現在は色々な概念や観念や型崩れしている時なので、ふとした瞬間にそのことに気がついたり、目の当たりにすることもあるんじゃないでしょうか。特に夢見をチェックすることで、今までにない感慨や発見を得ることが増えてくるだろうと思います。

 



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