With the I Ching

易経や四柱推命、暦、占星術などの運命学の記事がメインです。

一人ひとりが抱える問題を克服していくことを通じて、全体としてレベルアップしていかなくてはならない

2011-02-25 21:20:18 | 日記/随筆

「新しき流れの中へ 『第十の予言』の教え」という本を今、文字通り座右の書にして過ごしています。

原題は「The Tenth Insight : Holding The Vision : An Experiential Guide」で、僕が最も尊敬する人物の一人であるジェームズ・レッドフィールド(James Redfield)氏が数秘術家のキャロル・アドリエンヌ(Carol Adrienne)女史と共著されている本です。翻訳は、この系列ではお馴染みの山川紘也さんと山川亜希子さん。

これは「聖なる予言」シリーズの内の一冊で、小説に登場してきた内容についての実践課題を提示する書です。数年前に購入して読んではいたのですが、今になって、改めて多くの示唆と知恵に溢れた書だなあと、ページをめくる度に示されるタイムリーな情報を目で追いつつ感嘆しています。

このところ生活リズムがかなり不規則で、睡眠時間が一日平均で3~4時間という日がここ2週間ぐらい続いています。それもまとまって寝られるというよりは、単発で30分とか1時間の総計という感じなので、あまりスッキリしない状態になっています。

以前、妹家族や父親や愛犬のことなどを書いて、ストレスをぶちまけてしまったのですが、今、愛犬の部屋でもある倉庫に寝袋と布団を持っていって、そこで寝起きしています。母屋とは少し離れているため、必然的に家族とは距離ができ、イライラすることも減りました。

もう自分では立ち上がれなくなってしまった高齢犬の介護は大変ですが、常に心とか魂を通じ合わせているような気がして、それはそれで貴重な時間を過ごしているように感じています。で、こうして自分ひとりの時間を(少ないながら)確保できたことで、多少なりとも自省することができ、だいぶ気持ちが落ち着いたようにも思います。

その心の安定に一役も二役も買ったのが、今、手元に持って来ている唯一の本、「新しき流れの中へ 『第十の予言』の教え」です。現在ジェームズ・レッドフィールドさんの著作では、「第十二の予言」まで刊行されているようなのですが、僕はまだ読んでいません。というか、まだその前段階にまで至っていないみたいなので、“まだ読める時期にない”というのが正しい表現っぽいですが。

ここしばらくを振り返ると、1月の後半から2月の始めにかけて四柱推命白帯のExcel2007と2010対応版の見直しを行い、できれば試用版の期限が切れる3月中旬までには栄枯盛衰の動的判定や、相性版の再考察もしたいと思っていました。しかし、なんだかんだで進まず、まだ着手できていません。

また、易の解釈にも勤しむべき時期だとの自覚もあるのですが、それもままならず、情けない限りです。ただ、易に関しては自分自身の未熟さや人生経験の浅さも影響していると思うため、焦る気はありません。僕は自らが実生活の中で体感的に得た理解でなければ、易の解釈には反映させない・させられない性分だからです。

以前に、64卦384爻の内、幾つまでを実際に経験したかを整理したところ、だいたい8割くらいはデータがあって、残り2割ほどが、まだ体感的には理解できていない状態でした。この1年ほど、自分自身の怠慢さや心の乱れや時間的な都合などから、データとして記録したり、分析したり、整理をつけることをほとんどせずに過ごしてきてしまったため、かなり易の勘所が鈍ってしまっているような気がします。易の解釈をするには、あまりにもお粗末な思考回路に成り下がっていると思うので、また意識的に取り戻さなければなりません。

今、世界を見ると、あちこちの国で新たな動きが出てきており、時代が急速に変化してきているのだなーと感じるわけですが、それは個々に対しても同じで、気がつかない内に、どんどん実生活の中で、自分自身の本音や素の性分と向き合わなくてはならなくなっている人が増えているのではないかと思います。

そこには、正負というか、ポジティブな感情もあればネガティブな感情もあります。複雑な状況や困難な事態という渦中で足掻きながら、どうにかこうにか光という希望を求めて毎日を生きているのではないでしょうか。実際、僕自身もそうです。自分も苦しい、でも、実は他の人も同じように苦しんでいること・・・そして、そんな現状にあっても、何か他の人や他の生き物、あるいは社会全体のためになることをしたい、と願う。ただ、ここに様々な葛藤や障害が立ち塞がっていて、なかなか思うようにいかないというジレンマを抱えている・・・

それらは、ある種の試練というか、それぞれに与えられた課題みたいなものなんだろうと思います。内容は個々で異なってはいても、その内側に秘められた意味合いはたぶん共通している。僕らは、一人ひとりが抱える問題を克服していくことを通じて、全体としてレベルアップしていかなくてはならないのだと思います。

で、今の僕の場合、その手段の一つとして、ジェームズ・レッドフィールドさんの「聖なる予言」シリーズの方法論が役立っているというだけで、他の人には、例えば「神との対話」シリーズとかP.R.サーカー氏の著作だったりとか、ヘミシンクでの瞑想だったりとかするかもしれません。別に方法論は無数にあるわけで、何が正しいとかということよりは、その時のその人にとって最も適したものを参照すればよいのだと思います。

あるいは、そうしたスピリチュアル系でない、例えば、環境問題、地政学、歴史学、医療、経済、また各種の学問分野から新たな気づきや発見を引っ提げて、パラダイムを構築する人もいるかもしれません。そうした流れの一端を担うか、実際の提唱者として引っ張っていくかは人それぞれでしょうけど。

とにかく、どういう形で関わるにせよ、その人の出生の本質に共鳴することをしていく、あるいは模索するというのが、これからの生き方のスタイルとして求められてくるのではないでしょうか。

ちなみに、武術(身体操作)研究家の甲野善紀さんは、「人の運命は完全に決まっていて、しかも完全に自由だ」との論を唱えられており、個人的に非常に興味深く思っています。

この考え方に僕個人の補足をするのならば、「その人の魂の本質に沿った行いをしている時に人は自由意志を感じ、その流れから外れている時は、運命として決まった生活を送る」のではないかと思っています。



コメントを投稿