一つ翻訳が終わったので、改めて自分の記事を投稿します。
今日、「ハートの贈り物―2012アセンション」さんでも、「いよいよ近づくNESARAとディスクロージャー」として伝えられていますが、メリーヌ・ラフォンさんのブログでも、今見たら、同じ内容が取り上げられていました。「I know my Galactic Family is HERE! Do you?」
I Know My Galactic Family Is Here, Do You? (UFO Disclosure)
※ 字幕ボタンから日本語を選択すれば、日本語字幕付きで見れます。
僕自身も、これまでブログを通じて、あるいはツイッターを通じて、スペース・ファミリーや高次元存在、あるいは、同じ地球上のアガルタの住人や、ドルフィン・コレクティブなどからのメッセージを翻訳して伝えています。また、個人的にも、そうした存在とのコネクションを感じ、直観し、親愛の情を覚えています。
以前の記事の中で、僕は旧七月の頃に、そうした存在とのコネクションが先鞭を切るというようなことを書きました。
多くの人にとっては、まだ「ええ~?」という感じかもしれませんが、特にこの9月に入って目撃情報が頻度を増し、世界のキナ臭さの背景事情を感じ取る(知る)人達を初めとして、個々にコンタクトがなされてきているのは間違いないと思います。
また、そうした「銀河ファミリー」だけでなく、自らの神性に目覚めたり、個我が真我やハイヤーセルフに接触するという体験をしている人も増えてきているようです。高次元存在と、高次の自己(ハイヤーセルフ)に繋がることは密接に関係していることなので、これは実は同じことなのだと言っても差し支えないだろうと思います。
さて、日本時間では今日(16日)の昼に新月が起きました。旧暦では八月の始まりです。
予定されていることとして、ケシェ財団による、フリーエネルギーなどの革新的な装置のデモンストレーションや説明会が迫っています。日本政府がこれに参加するのかどうか、現時点では不明ですが、どんなことが発表されるのか、どんな技術が公開のために用意されているのかは、次の動画で長時間に亘って詳しく述べられています。(英語)
Fondazione Keshe-Scienza-Incredibile scoperta che cambierà l'umanità PER SEMPRE!!
原発の存続に命をかけている方達や、石油などの利権に拘泥している方達からすると、自らの土壌が崩れ落ちることになるフリーエネルギー技術は目の敵になるものです。だからこそ、Thrive(スライブ)などで紹介されているように、それは既に何十年も前から実際に作られていたわけですが、常に闇に葬り去られてきた技術なのです。
こうした事柄を眉唾物だとか戯言であると茶々を入れるのは簡単ですが、批判するにしても、まずは一旦、そうした映画を観たり、情報を集めて調べてみて欲しいと思います。こうした技術がSFの夢物語のように感じられるのももっともなことですが、その反面、エネルギー問題にてんてこ舞いになっている現代人にとって、非常に明るい希望と活力をもたらすものでもあります。その芽を頭ごなしに摘み取る必要性は、どこにもないだろうと思います。
新しいシステムにしても、新しい技術にしても、それが革新的で根本的であるほど、受け入れには衝撃を伴ったり、一時的にカオス状態に陥る可能性もありますが、それはちょうど陣痛のようなもので、産みの苦しみと言えます。
僕らは、ちょうどその大事な時期に差しかかって来ているのですから、これから生まれてくる新しい「命」に、生きる道と活躍の場を与えてやらねばなりませんし、もし今その道や場がないのであれば、切り開いて作ってやらなくてはなりません。
その時は、もう始まっています。
今、「なぜだか分からないけど、言いようのない高揚感を感じる」とか「どういうわけか、ワクワクした気持ちが全体に漂っている」と感じることはありませんか? それが、まさに現在の人類の集合意識の中で起きていることです。
そのドキドキ感、ワクワク感といった高揚した気持ちとは、ある種の創造の力なのです。そして、その力が、今度は具体的な「形」を帯びて、この現実の世界に現れてきます。そうです、僕らは、そうして創造の力を現実の形に変えているのです。
過去においては、意思を発端とする「力」→「形」の現象化の流れには、かなり大きな時間差がありました。力が形になる間に、複雑な条件(因縁)が絡み込んでいたためです。言い換えれば、原因と結果の因果関係がはっきりせず、 ストレートに、もしくはダイレクトに創造の力を見ることは、(少なくとも人類の集合意識のレベルでは)ほとんどなかったのです。
ですが、シンクロニシティを初めとした現象を知覚し、その訓練を意識的に行うようになると、次第に「時間」というものが流動的であることに気が付いてきます。時間経過の相対的な感覚(楽しいことをしている時と苦しいことをしている時の時間感覚が異なるのは、誰もが経験していることでしょう)を考えれば分かるように、そもそも「時間」とは僕らの意識に左右されるものです。
だから、先日のUteさんの体験にもあったように、究極的には時間を超越することも可能だということです。
同時にそれは、「刻一刻と変化する空間」という枠外からも出ることも意味します。なぜなら、時間と空間は不分離のものだからです。
そして、それほど「意識」というものは重要であるのですが、これは現実的に、または表面的に自覚している意識によって、ではありません。そのさらに奥深くにある根源意識、または純粋意識、あるいは完全意識や宇宙意識、神意識などと呼ばれる最高度の意識によるものです。
現実には大抵の人は、潜在意識や集合無意識という言葉は知っていますが、それがどんな性質を持っているのか、どういう役割を果たしているのか、どんな風に作用するのか、といったことは、特に気が付くことなく生きています(書物や話に聞いたりして知ることはあるかもしれませんが)。
ともかく、この意識の階梯を昇ることによって、より形成力の強い即効性のある創造能力を獲得していきます。なぜなら、先にも書いたように、創造のプロセスを阻害する要因、様々に干渉する複雑な条件、または、いわゆるカルマ的な事情が徐々に削ぎ落とされていくからです。
だから、創造力を獲得するというのはあまり適切な表現ではなく、不純物が取り除かれることによって純度が高くなり、本来の力を取り戻していく、といったほうが正確でしょう。逆に言えば、それらが一切なくなった極限的な状態では、もはや創造における時間差(抵抗)はゼロとなり、そこには常なる「永遠」のみが存在することになります。
そのためには、意識を「真の自己」にフォーカスしていなければなりません。ここから外れれば、当然ながら、永遠性は失せ、そこでの喜びも次第に消失して、やがては今「自分」と感じている肉体意識や、それよりも広がりのある潜在意識の領域に焦点が合ってしまうようになります。
だから僕らは、意識をより高度な状態に(できれば最高の状態に)保つために、その阻害要因となる頑固な葛藤や個人的な悪癖を手放し、自分や誰かに対する辛辣な行為、命あるものに対する暴力を止めなくてはなりません。またそれだけでなく、より積極的に自分自身も他の生命も、また周りにある全てのもの(生物であれ物質であれ)を慈しむ、ということが大切であり、そうして自分の内側を――精神的な中身を掃除していくことが求められているわけです。それもこれも、「真の自己」に回帰するためにです。
そしてこれが、各宗教において戒律や規律が定められてきた理由です。視点を変えれば、本源(真我や神の意識)的には誰もがそんな戒律などは必要としないわけですが、この現世での色々な誘惑や自らの心の弱さなどから、意識を「真の自己」から背けてしまうために、そうした戒律が制定されてきたのです。例えば、仏教の五戒や十戒、またモーゼの十戒というのも有名ですね。
各地において、先賢が現れて間もない、まだその教えが直接息づき、本物の経験をした人が指導していた初期の時代では、それほど多くの戒律は、おそらく必要なかったのではないかと思われます。しかし、時代を経るにつれて世界には心を惑わす誘惑が増え、人々がマインド(思考)や肉体感覚に固執してしまうようになり始めたことで、次第にそれらを戒めるルールが後から後から付け足されていったのではないでしょうか。
ともかく、個人の意識としては、そうした真なる、または絶対なる状態、というものを感得することが可能なのは、古来より多くの聖賢が実証してきていることです。そして、その状態にある者が、そのまま超越者として彼方へと旅立ったまま返って来ない場合もあるようです。
しかし、いずれにせよ個人の意識において「常」・「永遠」または「不二(一なるもの)」を体現できても、この宇宙に存在するソウル全体がその状態に、すなわち「時間(時空)差ゼロ」の境地に近づかない限り、たとえ聖賢の生きている環境にあっても、その外側では集合的な幻想という同意の元で、どこまでも時間と空間・・・そしてそれに基づく因果が、その活動を止めることはないのです。
もちろん、集合的に同意している大きな時間の枠組みというのも、実際には壮大な幻影であることには違いないのです。しかし、宇宙の全ての存在(唯一の「大いなるもの」から血を分けたもの)が、その「永遠」・「常」・「今、ここ」・「あなたはわたし、わたしはあなた(主客同一)」の状態にならなければ、「私達」全体として、真の意味での時空の超越ということにはなり得ないでしょう。
そして、普段の個我意識を超えて真我に目覚めた人の数が増えれば増えるほど、または、そこまで行けなくても、より高次の自己との接点を持ち、そのパイプを強く太くするように心がけている人が増えるほど、高次元や低次元の存在を含めた宇宙全体として、この時空という壮大な幻影から徐々に脱却してゆくことになるわけです。
思想的には、それは仏教の「大乗」であり、キリスト教などでの「救済」・「救世」の概念です。言葉は異なっても、真の覚醒者が成そうとしていることは実は一緒であり、根を同じくするもののように思えます。(その方法論は、時代性や環境、人々の集団的な特性、個人として培ってきた経験や能力などに応じる形でバラエティが出ますが)。
だから、高次元存在が僕ら地球人を支援するのも、翻っては自分達のためでもあるから(利己的に求めているという意味ではなく、他の存在や全体の成長・発展こそが自分達の望みである、という意味で)、それを喜んでしているのです。
逆に言えば、僕らを侵略しようとしたり、貶めたりするようなことをすれば、それは結局、「天に唾す」の言葉のように、彼らと全体にとっての意識の荒廃に直結することになり、「どうしてそんな馬鹿なことができるだろうか」という話なのです。無論、宇宙の生成発展の仕組みを理解している高次元存在が、そのような愚行をするはずもありません。
“本物の”UFOが、人間の軍隊などから攻撃を受けても、それに一切反撃などの抵抗を示さないのは、それ故なのです。
さて、これが今の僕らに起きていることです。
僕らは現在、とても貴重な時代――長い長いタイムスケールから見れば奇異とも言えるような瞬間に生きています。
ちょうど天文物理学での特異点のようなものかもしれません。この地球とその住人には、今、全宇宙にとっての重要な意義が課せられています。いえ、実際には、そのように自分達で選択して、この地球での環境を作り上げてきた、というのが正しいでしょうか。ともかく、地球や僕らと、宇宙に存在する他の生命とは、根本的な部分で繋がっており、バシャールが話しているように一つの巨大なパズルのようなものとして、その役割を果たしています。
だから、僕らが発する心の声は、全世界に、そして全宇宙へと響き渡り、その影響を与えるのです。
「あなた」というピースの一片が、その納まるべき位置を見出したら(=真我に到達したら)、それによって、隣にはまるピースの人が、「あ、私はここだ!」という風に、その位置を見出す助けになるのです。そして、それが順々に繋がっていきます。
僕らは誰一人として、そして何一つとして無意味な存在はありません。
一人が、その自分としてのピースの意義を見出したのならば、それは必ず、周りの「気付き」や「悟り」や「覚醒」を促します。たとえ何も行動していないように見えても、ただ正しい位置を見出して「そこにいる」だけで、 もう既に十分な貢献を果たしているのです。
しかし、とにもかくにも、そのためには、まず自分自身の「真の在り処」を見出さなくては始まりません。
それを実現するために、今この地球上に僕らは生まれてきているのですから・・・
希望が指しました。
いやー、諦めないで今までしつこく
生きて来てよかったです。。。(・∀・)笑
CIさん、ありがとう!
皆さん、本当に日々を真剣に生きていることが伝わってきて、とても励まされています。
そのお礼として僕も、精一杯、自分にできることで皆さんに尽くしたいと願っています。
ではでは、本当にいつもありがとうございます。