山とバイクと時々お遍路

近畿北部、北陸の山(特に白山が好き)歩き。バイクツーリング、自転車で遊んでいます。

川中島合戦 妻女山

2017年11月11日 | 城郭・城跡
川中島の戦いは、今から約450年ほど前、北信濃の経路を巡って、甲斐の武田信玄と、越後の上杉謙信が、天文22年(1553)、川中島布施(現長野市篠の井駅付近)で、干戈を交えた布施の戦いから、永禄7年(1564)篠ノ井塩崎の退陣まで、足掛け12年、前後5回の交戦を指している。いずれも北信濃、川中島地方が主戦場になった。この間の戦いを総称して川中島の戦いと云う。
 永禄4年(1561)9月10日の八幡原の大激戦は、第4回目に当たった。戦国末期の名将、信玄と、謙信が一騎討ちをしたと言う大激戦であっただけに、川中島の戦いと言えば、永禄4年の八幡山の大激戦を指すようになった。この戦いにより、川中島は武田領になった。



川中島古戦場八幡原を望む






海津城方面








難攻不落の 信州上田城

2017年11月11日 | 城郭・城跡
2017年11月29日(日)雨

真田の郷から約10㎞南西の上田城跡に移動する。
上田城は言わずと知れた真田昌幸築城による真田氏の本拠である。この城において真田氏はその名を天下に示すことになる。



以下「信州上田市観光協会」による。
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。春は上田城千本桜まつり・秋には上田城けやき並木紅葉まつりが行われ、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。



【真田氏】
真田氏は平安時代から長野県東信地方に栄えていた滋野三家の中心的存在であった海野氏の一族で、真田信繁(幸村)の祖父・真田幸隆が武田信玄に仕えていた頃から頭角を現します。
幸隆が上野(群馬県)北部を攻略、砥石城を調略によって手に入れるなど戦績を残し、幸隆の子・真田昌幸ものちに「表裏比興の者」と呼ばれるほどの知将として名をはせます。
天正11年(1583)上田城を築城、第一次・第二次上田合戦では徳川軍の猛攻を二度にわたり退けます。
関ヶ原の合戦時には真田昌幸・真田信繁(幸村)は西軍に、昌幸の長男・信之が東軍につくことになり、西軍は敗戦。真田昌幸・信繁(幸村)は九度山に配流となり、信之が上田城主となります。大坂冬の陣・夏の陣では信繁(幸村)が大活躍しますが徳川家康の首まであと一歩のところで戦死。上田城主だった信之は松代へ移り、松代真田家の礎を築きました。

名称・・・・上田城(うえだじょう)別名・・尼ヶ淵城
所在・・・・長野県上田市二の丸6263番地イ
形態・・・・梯郭式平城
築城年・・・天正11年(1583年)
築城主・・・真田昌幸
主な城主・・真田昌幸、真田信之、仙石忠政三代、松平忠周七代
遺構・・・・櫓、石垣、土塁、堀
指定文化財・国指定史跡、長野県宝(南櫓、北櫓、西櫓)
駐車場・・・有り

東虎口櫓門


真田石


真田神社




真田井戸


西櫓


















真田氏発祥の地 館跡・本城跡

2017年11月11日 | 城郭・城跡
2017年11月29日(日)雨

夜を通して降っていた雨が、朝になっても止む気配はなく傘をさしての見学となった。
この旅もとうとう最後の日になりました。
4泊の車中泊は慣れてきたとはいうものの、軽い疲れが体にの底に沈殿しているように感じます。
安全運転を第一に城跡、史跡巡りを続けます。
今日の予定は真田氏発祥の地、上田城、妻女山、松代城跡、川中島古戦場跡、善光寺、と回り帰路につく予定です。
余裕をもっての見学とはいかないようですが、最後の1日を楽しみたいと思います。


まずは真田氏館跡公園へ


【長野県上田市による現地説明板】
真田氏館跡は、真田氏の上田城築城以前の館跡といわれ、現在でも「お屋敷」と呼んで親しまれている。
また、中世豪族の居館の形態が、ほぼ完全な形で保存されており、真田一族の貴重な遺跡として昭和42年に長野県史跡の指定を受けた。
この館跡は西方に開いた本原扇状地の奥に位置し、また、真田氏城跡群がこの扇状地を取り囲んで築かれたことからも、堅固な立地を考えて居館としていたことがわかる。
館跡の四方を囲んで築かれた土塁は、周囲520メートル余りあり、外周には堀が巡っていたと推定される。
とくに北面は大沢川が天然の堀となって現在も残っている。また、土塁の南面に大手門、北面に搦手門があり、南東の隅にも小規模な門があったといわれている。
土塁の内側は、主に二段の曲輪からなり、東側上段の曲輪には、真田昌幸が上田城に移る際に勧請したと伝えられる皇太神社がまつられている。
西側下段の曲輪には、その北西隅に厩と称される約10メートル四方に区画された土塁が見られる。



東門跡


大手門・枡形跡






皇太神社


館跡から本城へと約1㎞車で移動します。道は狭いですが上まで車で行けます。













残念ながら雨で視界は閉ざされ本城からの眺望はありませんでした。
が、真田氏の原点を巡り想いを形にすることができました。