私の音楽 & オーディオ遍歴

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ホイットニー・ヒューストンの訃報

2012年02月13日 |  My Favorite Artist
 一瞬、耳を疑いました。
 ホイットニーが死んだ!?

 彼女がデビューした当時のことをよく覚えています。
 歌手デビューは1985年(実はモデルとして既にデビューを果たしていた)、私は青春まっただ中の大学生でした。


デビューアルバム「そよ風の贈り物」

 当時小林克也氏による「ベストヒットUSA」を欠かさずに見てアメリカンチャートを追っていた私は、ホイットニーのデビューに衝撃を受けました。
 ゴスペルをベースとしたソウルフルで伸びのある、かつ透明感のある歌声、そして抜群のルックス。
 早速、街のレコード店でレコードを購入(CDではありません)しました。
 これはブレイクすると確信し、友達に「ねえねえ、この歌手すごいよ!」と宣伝(?)して回った記憶があります。予想通り、あっという間に人気と名声を獲得しました。
 その後、映画「ボディガード」にヒロインとして出演しさらに人気を博しました。

 彼女のお母さんはゴスペル歌手のシシー・ヒューストン。独特の歌い回しは母親譲りだそうです。母娘のデュエット・アルバムも発売されています。
 下記記事で湯川れい子さんは「ダイアナ・ロス~ホイットニー・ヒューストン~ビヨンセ」ラインに言及していますが、私はダイアナとホイットニーの間に知性派ソウルのロバータ・フラックを入れたいですね。

 有名になってから生活が乱れて、近年は大麻所持で逮捕されたり奇行が目立ったようです。
 名声に潰された一人かも知れません。

 実は彼女と私は同じ年で、誕生日も1ヶ月しか違わない。
 歌手で大成して幸せだったのでしょうか・・・違う人生もあったのになあ、などと考えてしまいます。

ホイットニー・ヒューストンさん急死 48歳
(2012.2.13:スポニチ)
 グラミー賞を6度受賞した米歌手ホイットニー・ヒューストンさんがロサンゼルスのホテルで倒れているのを発見され、11日午後3時55分(日本時間12日午前8時55分)死亡が確認された。48歳だった。死因は不明。主演映画「ボディガード」の主題歌など大ヒット作を連発する一方、最近は薬物依存が伝えられていた。第54回グラミー賞の授賞式前日の悲劇。式で追悼コーナーを設けることも急きょ決まった。
 ホイットニーさんが倒れていたのは、ビバリーヒルズにあるビバリー・ヒルトンホテルの客室。発見したのはくしくも、自身のボディーガードだった。地元警察は「事件性はない」と発表した。
 ホイットニーさんは、きょう12日(日本時間13日)にロサンゼルスで行われるグラミー賞授賞式に合わせて現地入り。記念パーティーなどに出席する予定だった。ここ数日はホテルのプールでくつろぐ姿が目撃され、9日にはハリウッドのクラブでステージに飛び入りし歌声を披露していた。
 歌姫の急死に音楽界にも衝撃が走った。友人の歌手マライア・キャリー(41)はツイッターで「素晴らしい歌声は絶対に忘れない」と追悼。グラミー賞主催者は急きょ、授賞式のプログラムを変更し、歌手ジェニファー・ハドソン(30)がヒット曲を歌う追悼コーナーを決定した。
 1985年にデビューすると、透き通る高音ボイスを生かしてヒットを連発。「オールウェイズ・ラブ・ユー」はビルボードシングルチャートで14週連続1位を記録。同曲を収録した映画「ボディガード」(92年)のサントラは、日本でも当時の洋楽史上最高の280万枚を売り上げた。ケビン・コスナー(57)と共演した同映画も全世界で大ヒットした。
 92年に米歌手ボビー・ブラウン(43)と結婚。翌年には長女を出産した。90年代中盤になると、音楽より私生活で話題を集め、ボビーの薬物乱用や家庭内暴力などで度々、離婚危機と報じられた。自身も00年、ハワイの空港で大麻所持が発覚。04年には薬物依存の更生施設に入り、06年に離婚が成立した。
 来日公演は7度。ただ日本人スタッフに気さくに接することはなく、97年には、一緒に来日したボビーが約6000万円の結婚指輪を首都高速から投げ捨て、ホイットニーさんの指示でスタッフが周辺を捜し回ったこともあったという。
 死因について日本の音楽関係者は「睡眠薬など違法でない薬の中毒という可能性が高いのでは」と話している。

◆ホイットニー・ヒューストン
 1963年8月9日、米ニュージャージー州生まれ。10代のころからソウル歌手の母親シシー・ヒューストンと舞台に立った。22歳の時(85年)に「そよ風の贈りもの」で歌手デビュー。公式サイトによると、アルバムやシングル、ビデオを合わせた売り上げは1億7000万枚。

▼音楽評論家湯川れい子さん
 米ポップスの王道をいきながらも、どこかにゴスペルのにおいがした。ダイアナ・ロスが作ったその流れはホイットニーさんが引き継ぎ、ビヨンセへと渡っている。デビューアルバム発売後の来日会見で、母親が「17歳でスカウトされたが成人するまでデビューを待たせた」と話したときに、横で恥ずかしそうにしていた姿が思い出される。喉には人一倍気を使っていて、いつもハチミツ入りの紅茶を飲んでいた。あの伸びやかな声は誰もが出せるものではないだけに、急死は本当に残念です。



<YouTubeで視聴可能なホイットニー>
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