私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

日本の若手クラシック演奏家2人

2012年12月12日 | クラシック
 BS朝日で、二つの番組を視聴しました;

1.奇跡のピアニスト 辻井伸行 夢のカーネギー・デビューまで

(番組内容)ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールゴールド・メダリスト辻井伸行。
2011年、夢のニューヨーク カーネギー・ホールでの演奏までの道のりを追う・・・

 辻井伸行(23)。生まれつき全盲というハンディを乗り越えて10歳でデビューし、14歳に一夜で2曲のコンチェルトを演奏、17歳には史上最年少でショパンコンクールに挑戦。2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初めて優勝し、名実ともに世界のツジイとなった。しかし、世界のツジイとなった今もその実力、人気に驕ることなく常に挑戦し続けている。
 2010年10月にはロシアを代表する作曲家、ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」をサントリーホールのリサイタルで披露。この曲は全16章から構成され演奏時間が30分を超え、ピアノ曲の中でも最難曲のひとつに数えられている。
 優勝後の辻井は、世界中を飛び回って演奏ツアーを続ける合間に、本格的に作曲の勉強も初め、2011年8月には八ヶ岳高原ロッジの音楽ホールで、自ら作曲した曲のみだけのコンサートを開いた。
 2011年9月には、モーツアルトの代表曲、ピアノ協奏曲26番「戴冠式」を東京オペラシティで披露。この曲は、30分におよぶ大曲であり、14歳のとき一夜で2曲のコンチェルトを演奏した1曲だ。
 そして2011年辻井伸行にとって最大の挑戦は、音楽の殿堂ニューヨーク カーネギー・ホールでのリサイタルだ。ルピンシュタインをはじめ、今や伝説となった超一流の演奏家たちと同じステージに立つ。実は彼が12歳のとき、カーネギーの小ホールで演奏しており、当時番組のインタビューでこう語っている。
 「世界的なピアニストになって大ホールで演奏したい・・・」
 あれから11年後、世界のツジイとなって再びカーネギーに戻って来た。
 耳の肥えたニューヨークの聴衆やクラシック評論家はツジイの演奏をどう評価するのだろうか。これまで数々の奇跡を起こしてきた天才ピアニスト辻井伸行。
 2011年の氏の活動と夢のカーネギー・ホールへの挑戦を追う。


 辻井さんの番組はいくつも見てきました。天才です。
 彼の特徴は「純粋(pure)」。
 美しいものを愛し、それを表現する資質は神から与えられたものとしか言い様がありません。

 しかし、今回の番組で取りあげられたカーネギー・ホールでの演奏は、今までの印象とは異なり鬼気迫るものでした。
 音楽にのめり込み、一心不乱に鍵盤を叩き、ピアノと一心同体になって聴衆の心を揺さぶりました。
 評論家の間では20世紀初頭に活躍したホフマンという人が「ピアノと一番仲良くなれたピアニスト」とされてきましたが、もしかしたら辻井さんは彼と同じレベルまで到達できるかもしれません。

 それから、アンコールには自ら作曲した東日本大震災への鎮魂歌が演奏されました。
 涙を流しながら演奏を続ける彼の姿は、ニューヨーカーたちの目にどう映ったのでしょうか。

辻井伸行、カーネギー・デビューにニューヨーカー絶賛(2011年11月14日)
 音楽の殿堂NYカーネギーホールにて、辻井伸行NYデビューリサイタルが11月10日夜8時(日本時間11日)に行われ、大成功をおさめた。
 辻井が演奏に臨んだのは「鍵盤の達人2」と銘打たれたピアノリサイタルのシリーズ。ムソルグスキー「展覧会の絵」をはじめ、ベートーベンのソナタ「テンペスト」やリストを熱演。会場を埋め尽くしたニューヨーカーたちのスタンディングオベーションに答え、アンコールには、世界初演となる自作曲としてフォスターの有名な「金髪のジェニー」をモチーフにした「ジェニーへのオマージュ 作品1」を披露し、会場を埋め尽くす人々と音楽を通じたコミュニケーションを取ることに成功した。さらに東日本大震災への追悼と悲哀への癒しを込めて作曲した『それでも、生きてゆく』で聴衆の涙を誘った。


2.小澤征爾さんと音楽で語った日 ~チェリスト・宮田大・25歳~
(番組内容)世界的指揮者である小澤征爾が、ここ数年、期待をこめて大切に見守っている若いチェリストがいる。
 25歳の宮田大だ。
 これまでエントリーしてきたコンクールの数々で第1位を総なめにし、華々しい受賞歴を持つ宮田。現在、クラシック音楽界で最も注目される若手弦楽奏者のひとりである。
 2011年1月、宮田の本格デビューを期し、小澤は自らがタクトを振る公演のソリストとして彼を起用した。予定していた曲は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン「チェロ協奏曲」。
 ところが、直前になって小澤は体調を崩し、公演は急きょキャンセルに。病床のマエストロはすぐ、宮田に電話をした。
 「来年は必ずやるから、待っていてください」―。
 巨匠と青年の間で、“約束”が交わされた。
 2009年、チェロ部門の国際音楽コンクールの最高峰であるロストロポービチ国際チェロコンクールにおいて、日本人として初めて優勝という快挙を成し遂げた宮田は、以降、活躍の舞台は世界に広がり、2011年には自身初のCDも完成した。
 小澤の本格的な復帰がままならぬ一方で、宮田は名実ともに世界から注目される若手チェリストへ急成長。小澤が闘病していた間は、宮田にとって大いなる飛躍の時となった。
 そして、その月日の積み重ねの先にいつもあったのは、小澤と交わした“約束”だった。
 そんな2人の“約束”のステージが、1年後の2012年1月、ついに実現した。ようやくかなった念願の共演。
 マエストロからクラシック界期待のホープへ、いったいどんな音楽のバトンが渡されたのか。
 若きチェリストの青春の軌跡をたどり、小澤との共演に向かって研さんを積む姿を描き出すとともに、小澤が全身全霊で“音楽のいのち”を伝えたこの公演の模様を送る。


 宮田大さんの優等生的なチェロに小澤氏は不満げな表情を見せます。
 「音楽バカになれ!」「下品一歩手前まで弾け!」と叱咤激励し、けしかけます。
 
 確かに宮田さんの演奏を聴いていると、抜群のテクニックを擁して「上手に弾こう」という意識が先行し、個性が埋没しているような印象が私にもありました。
 前出の辻井さんのように一心不乱に音楽に没頭するような様子がありません。

 おそらく小澤氏は「君のテクニックはもう世界のトップレベル、これからは自分の音楽をもっと自由に表現していいんだよ」と云いたかったのでしょう。

 それにしても、病にやつれた小澤氏の様子が痛々しい。しかしその眼光の鋭さは、文豪・川端康成を思い出させます。
 本当に「身を削って音楽に打ち込む」という言葉がぴったりの所作。
 彼の前では、何人も手を抜いた演奏などできそうもないオーラを纏っています。
 すごい人です。