私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

「トスカニーニとの会話」

2010年07月11日 | クラシック
NHK-BSでタイトル名の番組を見ました。
番組説明より;

「死後50年たった今も、トスカニーニは伝説的指揮者としてその名を残している。このトスカニーニのドキュメンタリーでは、彼の息子ウォルターと数人の客を俳優たちが演じ、トスカニーニの人生を再現する。晩年に孫がひそかに収録していた会話を元にしたやりとりと、1932年から1957年に実際に収録されたホーム・ムービーやニュース・フッテージそしてアーカイブ映像、1948年-52年のNBCコンサートが華を添える。 
 ~2008年 フランス 1deale Audience/Foundry Films制作~」

世紀の大指揮者、アルトゥール・トスカニーニ。
二十世紀前半を代表する指揮者として、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルターと共に常に名前が挙がる巨匠(マエストロ)です。
かんしゃく持ちのガンコ親父としても有名な彼は、マスコミ・取材嫌いでインタビュー記事も残っていないそうです。
この番組は引退後のトスカニーニのオフレコの会話を息子さんが内緒で録音したものを再構成してドラマ化し、残された映像も交えて作品に仕立てたものです。

貴重な映像の堪能できます。背筋に鉄筋が入っているのではないかと思えるほど真っ直ぐの姿勢と縦横無尽に動き回る手の動きが特徴の指揮。本人はいつも汗びっしょりでエネルギッシュ。

歯に衣着せぬ発言が散りばめられ、聞き応えがありました(笑)。
印象に残った文言をメモしておきます。

■ 指揮者になったきっかけ;
 弦楽器奏者として所属していたオーケストラ(ミラノ・スカラ座?)のブラジル公演で指揮者がいなくなる事態が発生し、「団員の中で指揮ができる人間はいないのか!」とのヤジに楽譜を全て暗譜していたトスカニーニ(当時19歳)の顔を皆が一斉に見たものだから、やらざるを得なくなった・・・そして大喝采を浴びることに。
 作曲家を目指したこともあり、楽譜が出版されたこともあったが、ワーグナーの神々しい音楽に接して衝撃を受け、「自分にはこんな音楽を造り出す創造力はない」と諦めた。
 トスカニーニの能力の一端として、その完璧な記憶力があります。ほとんどの曲を暗譜していたそうです。

■ 指揮者としての自己評価;
 フルトヴェングラーやワルターは楽しそうに、幸せを感じながら指揮をしていると思う。でも私は女性が子どもを産むときの「産みの苦しみ」をいつも味わっていた。
 自分の指揮している姿を映像で見るのは恥ずかしい。この道化はどこの誰だ?と笑いたくなる。指揮者は聴衆に尻を向けて行う仕事でよかった(聴衆と顔を合わせながらなんてできない)。

■ 同時代の指揮者批判;

【フルトヴェングラー】
ナチス党に心を売った不甲斐ないヤツ。私は一時ムッソリーニと親交があったが、彼が独裁者の道を歩む前に袂を分かった。ヒトラーから演奏会の依頼も来たが断った。
※ フルトヴェングラーとナチスの関係については次項も参照してください。

【ストコフスキー】
下品な音楽。手紙にそう書いて送ったことがあったが、返事は来なかった(息子が預かったものの出さなかったらしい)。

■ 作曲家について;
・作曲家はなんと云ってもベートーヴェンが素晴らしい。第九交響曲の第三楽章を指揮する度に涙が流れそうになる。レクイエムはモーツァルトよりヴェルディの方が優れているが、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は別格である。
・プッチーニは創造力の欠片(かけら)もない。彼の有名なアリアは自分の過去の作品や他の作曲家の作品からの借り物が多い(でも仲は良かったらしい。彼の作品の初演も多数手がけているほど)。
・一番印象に残っている作曲家はアルフレート・カタラーニ。プッチーニが嫉妬するほど素晴らしい旋律を残した。しかし若くして亡くなったので、歴史に名前は残っていない。
・ワーグナーの「ローエングリン序曲」。この天国的な美しさをたたえた曲を彼はどうやって手に入れたのだろう。広がる空の中の雲に登り、天界から授かってきたとしか思えない。

・・・番組を見終えて、ワーグナーやカタラーニの曲を聴きたくなりました。


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