私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

「帝国のオーケストラ~第二次大戦下のベルリンフィル」

2010年07月11日 | クラシック
NHK-BSでタイトル名の番組を見ました。

番組紹介より;
「第2次大戦下のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の、あまり知られていない歴史を検証するドキュメンタリー。当時を知る存命中のメンバーへの丹念なインタビュー、封印されていたプロパガンダ映像などによりナチス、ドイツ支配下の1933年から1945年という時代を描く。」

指揮者や演奏者を取り上げた番組は数多くありますが、オーケストラを扱ったものは珍しい。
それも世界最高峰と呼ばれる、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。
興味津々で見始めました。

「ベルリン・フィルはナチス党のオーケストラではなかった」と当時の楽団員は主張します。
それまでは楽団員がお金を出し合って運営し、余剰金が出たら分配するという方式で、経営は決して順調ではありませんでした。
しかし戦時中はナチス党により国営化されたのでした。
楽団員は「オケの存在そのものが他国へのプロパガンダ」と考えられて兵役を免除されるという異例の措置(他のオーケストラは徴兵されました)。
ほとんどの楽団員は純粋な音楽家で政治には興味なし。
その中で数名のナチス党員がいました。腫れ物に触るように扱われていたようです。下手なことを云うと密告されて収容所送りになりかねない時代でした(実例あり)。

一方、迫害対象のユダヤ人は解雇・あるいは自ら退団していきました。半分亡命としてアメリカへ渡った人が多かったようです。新天地で活躍し、戦後ベルリン・フィルと再競演したという感動のエピソードもありました。

残念ながら、芸術も戦争の影響を大きく受けざるを得ない時代でした。

当時の常任指揮者はウィルヘルム・フルトヴェングラー。
トスカニーニ、ワルターと並ぶ、二十世紀前半の巨匠(マエストロ)です。
トスカニーニは「フルトヴェングラーはナチスの犬」とけなしていましたが、実際はどうだったのでしょう?
彼はナチを信望していたわけではなく「ベルリン・フィルを維持したい、無くしたくない」という一念で居残ったようです。実際に楽団員をかばったエピソードも披露されました。
楽団員も居心地の悪さを感じながらも「世界最高峰のオーケストラを存続したい」という気持ちが大きかったことがインタビューから伺われます。

フルトヴェングラーは終戦後亡命し、その後「ナチに協力した犯罪者」として裁判にかけられます。
幸いにも「無罪」として復帰することになりました。
それまでのつなぎを任されたのがセルジュ・チェリビダッケですね。
フルトヴェングラーが再び指揮をするその日は「ベルリンに平和が戻ってきた」と沸いたそうです。
そしてアメリカ公演の話が出ましたが、実現前にフルトヴェングラーは他界してしまいます。
その代役を務め、大成功を収めたのがカラヤンです。その後長きにわたって君臨した時代の幕開けとなりました。

その他にも貴重な映像が目白押し。
フルトヴェングラーは体を揺すり、頭を振って躍動的に指揮します。
チェリビダッケは腕を力強く振ってリズムをとります。
クレメンス・クラウスは最小限の手の動きでオーケストラを操ります。
クナッパーツブッシュは毅然として切れのある指揮棒裁き。

でも、楽団員は「フルトヴェングラーだけが一流で、他の指揮者は二流だった」とポソッとこぼしたのを私は聞き逃しませんでした(笑)。

全編を通して、ベルリン・フィルは不本意ながらヒトラーに利用されましたが、その楽団員の心根は音楽を愛し伝統を絶やしてはいけないという使命感だったことがわかりました。

ユダヤ人として楽団を追われた楽団員の一人に、シモン・ゴールドベルクというヴァイオリニストがいます。
コンサートマスターを務め、若手から憧れの眼差しで称えられた名手です。
退団後、彼はイギリスを中心に海外を渡り歩き、時に日本軍に捕虜として拘束され、波乱の人生を過ごしました。
しかし、二度とドイツに戻って演奏することはありませんでした(日本人と結婚して日本で没)。
HMVで検索したら録音が残ってますね。購入して聴いてみたくなりました。


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