初めの引退ブログは山口です。9/10.11で女子インにスキッパーとして出場しました。
結果は全7Rで、16-12-17(CUT)-15-16(STP)-13-17
総合14/30位でした。
目標はシングルをとることでしたが、平均7m/sの北風で1年生クルーと出たこともあり沈しないことで精一杯でした。出艇前には沈しないようにしようとクルーの2人と話していましたが、1日目に1度だけ沈してしまいました。(しかし、30秒くらいで起こしてすぐに走り出したので沈には入らないですね。)2日目はレース海面に向かう途中でランニングで沈して、スピンがサイドステイにぐるぐる巻きになってしまい、なんとか解いて沈起こしをしました。10分くらい海中で作業してたのでかなり体力が持っていかれたと思いましたが、沈したことを忘れてるくらい全然元気だったので自分でビックリしてます。
レースでは、誰よりも速くスタートラインを切ったり、爆速ランニングで2艇抜いたり、それなりに満足できる走りでした。
レース中は1年生の経験値アップのために色々なことを喋るようにして、かなり厳しめに指導しました。爆風で声が聞こえないため、傍から見たら常に怒鳴ってる鬼のような先輩でした。クルーの2人は、クローズで波に叩かれて1レグで4回くらい吹っ飛んだ子もいれば、吹っ飛んで私の周りを1周する子もいました。スピンポールのシートがとんでポール無しで爆速ランニングを走ったり、最後のリーチングに行った瞬間ポールが外れて手だけでリーチング走ったり、スピンシートが船の下に入り込んでセンターに引っかかったりもしました。他にも、爪が割れたり、ジャイブでブームパンチくらったり、トイレに行けなくて腹痛を起こしたり、着艇した瞬間泣き出しちゃったり…相当怖くて大変で辛かったと思いますが、クルーの2人は本当によく頑張ってくれました。ちなみに、私が1年生だったら強風もスパルタな先輩も嫌なのでリタイアしてたと思います。
それでも、負けず嫌いな2人は「乗りたい乗りたい」「沈するかもしれないけどスピン張ってリーチングしたい」と怖さに打ち勝ってチャレンジしようとしてくれました。私も2人が頑張ってるから弱音を吐かずに頑張れました。本当にありがとう。
本当は、女子インには出ないつもりでした。教員採用試験の勉強や研究で2月から半年間休んでいて、ぶっちゃけこのまま消えてしまおうかと思っていました。理由は不眠症で夜寝れなくて朝起きられないのが1番でしたが、2年後半くらいからクルーとして船に乗ることに不満があったからじゃないかと思っています。自分が船を動かせないことのもどかしさ、草レースでさえ前を走れない悔しさ、単純に強風のトラッピーズタックが疲れるからやだ!とか。
しかし、そんな中声を掛けてくれたのが主将の寺島でした。「結果なんかいいから、後輩のレース経験のために出てほしい」と。私自身、コロナでの半年間部活停止や大学からの許可が下りずレースに出れないことなどで圧倒的経験不足を抱えていて、ヨットへの自信が持てずにいました。それなので、後輩には同じ思いをして欲しくない、後輩をレースに出させてあげられるのは自分だけなんだと思って出場を決めました。
(しかし、その頃にはもう全女のエントリーは締め切っていて、今回は全女の出場は辞退になりました。)
8/19から練習に行き始め、8日間の練習を経てレースを迎えました。こう思うと我ながら本職じゃないスキッパーで1年生クルーを抱えて爆風の中よくここまで走れたなと思います。スターボもポートも分からないような1年夏に2レース走ったぶりの大会でしたが、昔よりレースがちゃっちく見えて自分の成長をしみじみと感じました。
実を言うと、大会前になると緊張と不安から精神的に不安定になり、合宿前葉山に行きたくなさすぎて毎週泣いていました。特にレースの週の初めはストレスが凄く、頑張って電車に乗ったはいいが吐き気が止まらなくなって錦糸町駅のホームで30分休むこともありました。結構私にとっても挑戦的な出来事だったので、人生の大きな壁を乗り越えられたレースでした。
3年ぶりの合宿では相変わらずストレスでヘルペスが週1でできたりしましたが、みんなと最後に一緒にいれてとても楽しかったです。部活に戻ってきて、引退試合ができて良かったです。
合宿でもレースでも船のことでも、部員のみんな、熊田監督、小岩井さん、OB・OGの先輩方、色々な大学の監督など、色々な人に支えてもらいました、ありがとうございます。
今度はインカレ予選があります。男どもは早慶などのトップクラスの軍団と合同練習を取り付けてくるくらいにやる気に満ち溢れています。相当期待しています。私も来週からは全力でサポートをしたいと思います。
絶対決勝行けよ、お前ら。