今年のツール5日目も記念すべき日となりました。マーク・カヴェンディッシュがエディ・メルクスが持つツール通算34勝という偉大な記録を塗り替えたのです。昨年も引退を表明し背水の陣でチャレンジしていたものの、落車で無念のリタイヤ。誰もがもうカヴェンディッシュは終わったと思ったことでしょう。
それでも、カヴェンディッシュもチームも諦めず、引退を撤回して挑んだ今年も初日から暑さにやられタイムオーバーギリギリでゴールし、やっぱりメルクスの記録更新は無理だろうと私も思っていたのです。しかし、前回勝利から実に3年ぶり、39歳となったカヴェンディッシュが遂に大記録を達成してみせたのです。
それでも、カヴェンディッシュもチームも諦めず、引退を撤回して挑んだ今年も初日から暑さにやられタイムオーバーギリギリでゴールし、やっぱりメルクスの記録更新は無理だろうと私も思っていたのです。しかし、前回勝利から実に3年ぶり、39歳となったカヴェンディッシュが遂に大記録を達成してみせたのです。
前年マイヨヴェールのフィリップセンも並ぶことの出来ない鬼脚を見せ、偉大な35勝という金字塔を打ち立てなのでした。全盛期のColumbia – HTCでエーススプリンターとして活躍していたカヴェンディッシュも晩年は若いスプリンターの台頭でなかなか勝てない時期が続いていました。ツールでも3年前の勝利が最後だったのです。
カヴェンディッシュは元々英国マン島出身のトラック競技選手で2005年のロサンゼルスで開催されたトラックレース世界自転車選手権・マディソンで、ロバート・ヘイルズとペアを組んで優勝しています。2006年にT-モバイル(現在のチーム・HTC=ハイロード)とセミプロ契約を結んで移籍し、翌年にプロ契約をしているのです。参加したレースで勝ちまくり一躍時の人になって行きます。2008年には2度目の参戦となったツールでステージ4勝を挙げるも北京オリンピックのために途中リタイヤし、マイヨヴェールの獲得は翌年に持ち越しかと思われたのですが、ステージ優勝はするもののなかなかマイヨヴェールには手が届かいもどかしい時期が続くのです。
2009年はカヴェンディッシュの黄金期の始まりの年で、ジロでステージ3勝、ツール・ド・スイスでも2勝を挙げ、怒涛のステージ6勝で待望のマイヨヴェールかと思いきや、トル・フースホフトと僅か10ポイント差の2位に終わります。初めてグランツールのポイント賞を獲得したのは2010年のブエルタ・ア・エスパーニャでした。2011年はステージ5勝で初のマイヨヴェール。世界選手権も勝ちこの年を締めくくります。
この成績を引っ提げて母国のチーム・スカイへ移籍するも、この移籍がケチの付き始めか、1年持たずにオメガファーマ・クイックステップへ移籍となります。ピュアスプリンターのカヴェンディッシュにとってはゴール前のアシストが重要なのに、何故スカイを選んだのか?マイヨジョーヌを狙うチームでは彼の能力は発揮できないことは明らかだからです。この後は怪我やチーム移籍を繰り返し、思うような走りが出来ない時期が続くのです。
2021年に古巣のドゥクーニンク・クイックステップに戻ったカヴェンディッシュは第4ステージでツール・ド・フランスにおける5年ぶりの勝利を挙げると、第13ステージの勝利でツール・ド・フランス、ステージ最多優勝の34勝に並ぶことになるのです。
その後もなかなか結果が残せなくなったカヴェンディッシュを最後に受け入れたのがあのヴィノクロフのアスタナでした。2023年に移籍と共に年内での引退も発表して臨んだツールは落車リタイヤ。ツール最多勝の可能性は潰えたと思っていたのですが、本人もチームも諦めていなかったようで、引退を1年延長して、再チャレンジに成功するのです。
ゴール直後“We did it”と叫んでいたカヴェンディッシュ。”I” ではなく” We”なのです。サイクルロードレースはチームスポーツなのだと改めて思い知らせれた瞬間でした。初日にタイムオーバーギリギリでゴールしていたのが嘘の様です。決して神に愛された選手ではなかった印象のカヴェンディッシュですが、最後の最後に神が降臨した感じでした。というのも、前々日の落車の影響があったフィリップセンに加え、この日はゴール前の落車で多くのスプリンターが煽りを受けていたからです。とはいえカヴェンディッシュが勝つとすればここしかないというステージを確実に勝ち切ったのは流石です。
諦めなければ夢は叶うというのは簡単ですが、この諦めない気持ちを持つことが出来るのもある種の才能なのかもしれません。ただ。プロにとっては無くてはならない資質でしょう。
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