リハビリの病院で同室の友人から、教えてもらった本。
アニメでとっても読みやすい。いつもの通り椿書房で購入した。
僕は、ここに出てくるコウジくん程、重くはないけれど、少し同じような事もある。
コウジくんはとっても記憶が悪くなっていた。
それほどではなかったけれど、僕もおかしい。
リハビリで入院していた時、「心理」の先生が短い文章を読む。
そのあとすぐに内容の要旨を答えるが、半分言えれば良い方だった。
読み終って一分もしてからだとほとんど答えられない。一言一句間違えずに答えてもおかしくない量なのにだ。
先生は「記憶のキャパシティが少ないのですねぇ」と言っていた。
「でも、先生、すっごく面白い話、昨日も聞いたけれど一回で覚えて忘れませんよ。」と言うと。
「それは、記憶するところが違うのよ。」すかさず僕は、
「先生、直すための訓練は、ありますよね。」と、聞くと。
「うーん。」
「昨日食べたご飯は何かとか、本を読んで、しおりを挟まずに、続きを開くとかやると良いかもしれない。」
でも、「治るのは難しいのでメモをとる習慣を付けなさい。」だそうだ。
「言語」という授業には計算がある。簡単な計算が出来なかった。
たとえば。「25+9」こんなのが出来ない。
三回やると三回答えが違う。総て間違っていた。
自分でも不思議だった。先生はとても気を使って
「気にしなくても大丈夫ですよ。」と言っていたが。
計算も記憶も不思議なほど気にならなかった。
分からない自分が面白くて仕方なかったという気分だった。
今は計算は出来るようになった。(時々間違えるけれど)
記憶は心のこもっていない事は覚えられない。でも、ここに書いたように三ヶ月以上前の事なのに覚えている事もある。
結局、楽しい事、悲しい事、腹が立った事、など心にしっかり刻んだ事は忘れていない。
この本を読みながらこんなことを思い出していた。
脳出血なんてない方が良かったのだけれど、こうなったらなったで、今を楽しみながら行こうと思っている.
毎日が心にしっかりと刻まれるように。
僕もまだ「日々コウジ中」だから。
こんな風に思える自分が大好きなのかもしれない。
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アニメでとっても読みやすい。いつもの通り椿書房で購入した。
僕は、ここに出てくるコウジくん程、重くはないけれど、少し同じような事もある。
コウジくんはとっても記憶が悪くなっていた。
それほどではなかったけれど、僕もおかしい。
リハビリで入院していた時、「心理」の先生が短い文章を読む。
そのあとすぐに内容の要旨を答えるが、半分言えれば良い方だった。
読み終って一分もしてからだとほとんど答えられない。一言一句間違えずに答えてもおかしくない量なのにだ。
先生は「記憶のキャパシティが少ないのですねぇ」と言っていた。
「でも、先生、すっごく面白い話、昨日も聞いたけれど一回で覚えて忘れませんよ。」と言うと。
「それは、記憶するところが違うのよ。」すかさず僕は、
「先生、直すための訓練は、ありますよね。」と、聞くと。
「うーん。」
「昨日食べたご飯は何かとか、本を読んで、しおりを挟まずに、続きを開くとかやると良いかもしれない。」
でも、「治るのは難しいのでメモをとる習慣を付けなさい。」だそうだ。
「言語」という授業には計算がある。簡単な計算が出来なかった。
たとえば。「25+9」こんなのが出来ない。
三回やると三回答えが違う。総て間違っていた。
自分でも不思議だった。先生はとても気を使って
「気にしなくても大丈夫ですよ。」と言っていたが。
計算も記憶も不思議なほど気にならなかった。
分からない自分が面白くて仕方なかったという気分だった。
今は計算は出来るようになった。(時々間違えるけれど)
記憶は心のこもっていない事は覚えられない。でも、ここに書いたように三ヶ月以上前の事なのに覚えている事もある。
結局、楽しい事、悲しい事、腹が立った事、など心にしっかり刻んだ事は忘れていない。
この本を読みながらこんなことを思い出していた。
脳出血なんてない方が良かったのだけれど、こうなったらなったで、今を楽しみながら行こうと思っている.
毎日が心にしっかりと刻まれるように。
僕もまだ「日々コウジ中」だから。
こんな風に思える自分が大好きなのかもしれない。
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