極楽寺で僕の人生の大半を過ごしていたのだ。年数を勘定してみたらそうだった。こんなこと考えたこともなかったので、改めて思うと感慨深い、というよりはあっという間だという印象だ。
来た日のことはよく覚えている。それまでは長谷の駅の近くに住んでいたので極楽寺は隣だったのだが行ったことは無かった。極楽寺坂の向こうは、小学生の僕には別の世界だった。
江の電の旧500系(新500系ではない、丸いカーブが綺麗な車両。江の電のオリジナルの車両だったらしい)の電車に乗って極楽寺駅についた。あの車両は当時には珍しい両開きのドアだった。
ドアが両方に開くと真ん前に駅の看板が立っていた。そこに「極楽寺駅」と書いてあった。
僕はなんだかヤーな気分になったのを覚えている。他にも名前はあるだろう、よりによって「ごくらく」なんて。地獄よりは良いのだろうが。
駅の前は電車と平行に道が通っていた。舗装はしてなかった。
車の轍が残ってデコボコで、しばらく雨が降らなかったので、街中に砂埃が舞っているような気がした。
道の両脇に民家が立っているのだが、茅葺きの家がまだ残っていた。長谷では道路は舗装してあったし、茅葺きの家もなかった。どこか違うところへ来たような気がした。
とぼとぼと母と弟と歩いていると、母は元気だった。
「極楽なんだから、きっと良いところだよ」
と先頭を一人どんどん歩いていた。
僕は確か小学校の五年生だった。
これが僕のはじめての極楽寺だった。
にほんブログ村
来た日のことはよく覚えている。それまでは長谷の駅の近くに住んでいたので極楽寺は隣だったのだが行ったことは無かった。極楽寺坂の向こうは、小学生の僕には別の世界だった。
江の電の旧500系(新500系ではない、丸いカーブが綺麗な車両。江の電のオリジナルの車両だったらしい)の電車に乗って極楽寺駅についた。あの車両は当時には珍しい両開きのドアだった。
ドアが両方に開くと真ん前に駅の看板が立っていた。そこに「極楽寺駅」と書いてあった。
僕はなんだかヤーな気分になったのを覚えている。他にも名前はあるだろう、よりによって「ごくらく」なんて。地獄よりは良いのだろうが。
駅の前は電車と平行に道が通っていた。舗装はしてなかった。
車の轍が残ってデコボコで、しばらく雨が降らなかったので、街中に砂埃が舞っているような気がした。
道の両脇に民家が立っているのだが、茅葺きの家がまだ残っていた。長谷では道路は舗装してあったし、茅葺きの家もなかった。どこか違うところへ来たような気がした。
とぼとぼと母と弟と歩いていると、母は元気だった。
「極楽なんだから、きっと良いところだよ」
と先頭を一人どんどん歩いていた。
僕は確か小学校の五年生だった。
これが僕のはじめての極楽寺だった。
にほんブログ村