大好き!

美しい自然とともに

極楽寺

2012-02-26 11:26:21 | 日記
極楽寺で僕の人生の大半を過ごしていたのだ。年数を勘定してみたらそうだった。こんなこと考えたこともなかったので、改めて思うと感慨深い、というよりはあっという間だという印象だ。
 
来た日のことはよく覚えている。それまでは長谷の駅の近くに住んでいたので極楽寺は隣だったのだが行ったことは無かった。極楽寺坂の向こうは、小学生の僕には別の世界だった。
 
江の電の旧500系(新500系ではない、丸いカーブが綺麗な車両。江の電のオリジナルの車両だったらしい)の電車に乗って極楽寺駅についた。あの車両は当時には珍しい両開きのドアだった。
 
ドアが両方に開くと真ん前に駅の看板が立っていた。そこに「極楽寺駅」と書いてあった。
僕はなんだかヤーな気分になったのを覚えている。他にも名前はあるだろう、よりによって「ごくらく」なんて。地獄よりは良いのだろうが。
 
駅の前は電車と平行に道が通っていた。舗装はしてなかった。
車の轍が残ってデコボコで、しばらく雨が降らなかったので、街中に砂埃が舞っているような気がした。
道の両脇に民家が立っているのだが、茅葺きの家がまだ残っていた。長谷では道路は舗装してあったし、茅葺きの家もなかった。どこか違うところへ来たような気がした。
 
とぼとぼと母と弟と歩いていると、母は元気だった。
「極楽なんだから、きっと良いところだよ」
と先頭を一人どんどん歩いていた。

僕は確か小学校の五年生だった。
これが僕のはじめての極楽寺だった。

 


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歩いて帰る Ⅴ

2012-02-13 22:52:40 | 日記
 妻は四年前に大腸がんを手術した。その後は大丈夫のようだ。最近は体も戻ったのだろうか、元気良く歩いている。僕は二年前に脳出血。随分良くなったのだがまだ、車の運転はできない。
六十歳も過ぎていよいよ人生の総仕上げという時に二人とも病気をするなんて。考えてもいなっかったことだ。
おかげで、自営の仕事はなかなか上手くいかなくて大変な思いをしている。悔やんでばかりいても仕方がない、前をむいて進まなければ。

 こんな事を考えながら歩いていたら、いつの間にか「分かれ道」についた。
信号を左へ折れていくと、鎌倉宮(大塔宮)がある。ここは護良親王を祭っていて、鶴ヶ丘八幡宮より位がうえの官幣大社だそうだ。その手前には荏原天神。頼朝は荏原天神を鬼門の守り神とし、社殿の造営をしたそうである。
 
 曲がらずに、まっすぐに進んでいくと、杉本観音の前に来た。鎌倉というところは、神社仏閣ばかりで一歩進むと神社仏閣がある。
ここは、杉本寺というのだが観音が祀ってあるので、通称杉本観音という。杉本寺というのだから本仏は「仏」なのだろう。観音というのは「神」なのだから位は仏よりも下なのになぜか観音というのだ。鎌倉幕府が出来るより以前からある、鎌倉最古の寺なのだそうだ。
分かったようなことを書いたが、これは以前、鎌倉に来た外人さんに、道を教えて上げた時、逆に教えてもらったことなのだ。

夕暮れどきになると、ぐっと気温が下がってくる。せっせと歩こう。
雪の下、西御門、二階堂、と綺麗な名前の町名が続く。
鎌倉幕府の政所が八幡宮のすぐ隣にあったそうだ。その建物の西門を西御門と言ったらしい。それからその周辺の土地も西御門と呼んだようである。
もう少し行くと、浄妙寺、十二所という地名になってくる。鎌倉らしい歴史をかんじる
地名が続く。
 「十二所」とは十二件の村だったとか、熊野神社の十二社があったからだとかいわれている。
 
 さらに進むと朝比奈峠を越えて金沢へと道は続いている。この「朝比奈」とは和田義盛の三男の朝比奈三郎義秀からとったようだ。豪傑だった朝比奈三郎義秀が一夜でこの切通しを切り開いたという俗説から、朝比奈峠と呼んでいるそうだ。
 
 朝比奈峠の旧道には綺麗な清水が流れている。そこにある小さな滝には「三郎の滝」と命名されている。湧き出る清水で梶原景時がこの近くに屋敷のあった、上総介広常を謀反の疑いで、誅殺した時その刀を洗ったそうである。
 
 この時代は武家社会をつくり存続させるために、仲間どうしが殺し合いを続けた時代だった。広常は横柄な態度だったようだが謀反なんか起こしてはいなかったようだ。頼朝は謀反という口実で邪魔なものは殺したようだ。あんなに働いた、弟の義経をも葬ったのだ。鎌倉のためにあんなに働いた梶原景時でさえ鎌倉から追われ、頼朝死後には殺されている。頼朝や北条時政が邪魔者を殺し抜いて作った鎌倉幕府なのだ。

 現代の鎌倉で生活しているぼくたちもこの血を受け継いでいるのかもしれない。
 こんな事を考えながらのんびりと、歩いていたらもう我が家の直ぐそばまできてしまった。



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歩いて帰るⅣ

2012-02-08 18:41:19 | 日記

今年になってから、鎌倉駅から極楽寺まで毎日歩いている。僕の足で三十五分ぐらいだ。思ったほど苦にはならない。特に朝は寒いのだが気持ちが良い。体も元気だ。どんどん行ける気がする。

たまには妻と歩くのも良い。いつもとコースが少し違うと、いつもと違う思い出が湧き上がってくる。
妻は駅前で買い物をして帰ると言っているので、ここからは僕一人でのんびりと歩いて家に帰ろう。

小町通りをブラブラと歩きながら行こうかとしたが、まだ、だいぶ人が歩いている。最近は土日祭日だけでなく平日でも天気が良いと人がいっぱいいる。歩くのに苦労するほど人が多いこともあるのだ。昔はこんなことは無かった。夏はみんな海へ行ってしまうので、小町通りはガラガラだったのだが、今は夏でもいっぱいだ。

小町通りを諦めて八幡宮の段葛を歩くことにした。春になると満開の花で僕たちを楽しませてくれる桜の木も今は裸の状態だ。足元にあるツツジも咲いていない。それでも夕暮れの中を何組もの人たちが歩いている。

この段葛とは八幡宮に向かって道路の中央に一段高く道を作ってある。だんだんと幅を狭めて作ってあるらしい。遠近法で実際の長さより長く見えるのだそうだ。七百年以上も昔に色々なことを考えて作ったものだ。

段葛の両脇には昔から、レストラン、蕎麦屋さん、ケーキ屋さん、鎌倉彫屋さんと沢山のお店が並んでいる。八幡宮を通り過ぎて行ったところにも最近は色々とお店ができている。蕎麦屋さんや和菓子屋さんがある中にタイ料理のお店なんかもできた。

お腹も減ってきて、どんなものを作っているのかと、覗きながら歩いているともう、国大前に来た。国大といっても今は付属の小学校しかない。昔は横浜国大の教育学部がここにあった。汚い寮もあって学生の人たちが住んでいた。そんなことを思い出しながらブラブラとあるいている。妻は居ないのでのんびりとしたものなのである。



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