大好き!

美しい自然とともに

晴天の朝

2010-12-31 13:07:41 | 日記
 空気がピリッと冷たい、

冬晴れの素晴らしい晴天だ。





 今年はいろんなことがあった、新年から動き回った年だった。

でも、春先の病気で、今まで積み上げたものが、すべて崩れ去ったような気がする。

今はそれはそれで良いか、という気分だ、なんだかさばさばしている。

この晴天が今年から来年へを表している気がする。

家族や周りの人は怒るかもしれないが。





 今年最後なので、本当に良く来た林の中を歩いてる。

真夏の暑い時は、ふらふらとしながら、この辺りばかり歩いていた。

あの時から思うと随分良くなった、あと少しだろう。

将来、今年を懐かしく思う時がきっと来るのだろう、

その時は懐かしいこの年をきっと 大好き だろう

その時のために、今日しかない今年を満喫しよう。
 



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紅葉谷

2010-12-28 22:01:06 | 日記
 去年よりずいぶん遅れて来た。

まだ、紅葉が残っているかな、と思いながら登っていた。





 まだ観られるところが、随分と残っていた。簡単に登れるところだったはずなのだけれど、苦労してしまった。

今回は、病気のせいで、ふらふらして段差があるところは大変だ。特に下るのが大変だった。





 でも、こんなに綺麗なところが残っていた。

来てよかった。また、来年も来よう、今度はふらつかずに来れるだろう。

ここも僕の 大好き になった。 


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電話

2010-12-19 11:23:07 | 日記
 最近、携帯電話の鳴る回数がめっきり減った、僕が、半引退の様な状況だからだろう。

少し前は、朝から夜遅くまで電話が鳴っていた、ひどい時は仕事にならない時もあり、電池が一日持たないこともあった。

今は、静かなものだ。少し寂しい気がする事もある。

でも、今は、とても気に入っている。


実は、電話を受けるのは、あまり好きではなかった。

自分が元気で、総てを攻め続けている時はなんでもなかった。

元気がなく、受け身の時は、電話の音が怖い時もしばしばあった。

不思議なもので、電話が無くなると、新聞や本やその他、目に入る活字をゆっくり読んで、ゆっくり考える事が出来るようだ。


僕はリハビリ病院のテストでは、記憶のキャパシティがとっても少ないらしい、但し、印象に残る記憶は別の様だ。

今は、昔の様に次から次へと新しい情報が頭の中を通り過ぎては行かない。

でも頭の中に少しずつ、少しずつ記憶の端切れが溜まって行く。

それがだんだんと形になり、僕の心に静かに空気を送り、ふっくらとさせているようだ。


僕は頭や体のリハビリをしていたようだが、どうも心のリハビリをしていたらしい。

そんな、とき解れた心は僕の 大好き になるだろう。
 


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みんな元気でした!

2010-12-15 21:56:59 | 日記
 きょうは皆でリハビリをした病院へ行ってきた。最寄りの駅で待ち合わせだ。

僕は朝からウキウキして予定の時間より早く家を出てしまった。


 今日の事はMさんが、骨を折ってくれて皆に知らせてくれた、感謝でいっぱいである。

先日、お会いした時より良くなったのだろうか。

他の皆さんも、歩けなかった人、手が巧く動かなかった人など良くなってきたのだろうか。

皆さんの事を思い浮かべると次々と気になっていた。


 電車を降り、ホームにある階段を上がると改札があるらしい。

まだ約束の11時15分より20分近く早い。

入院はしていたのだが電車で来るのは初めてだった。

治療していた病院からは、介護タクシーで来た、外泊や退院の時は息子の車で送ってもらったので、

なんだか新鮮な気持ちで階段を上がっていた。

上がりきると広いホールがあり、その向こうに改札が見えた。


 あれっ!よく見ると、笑顔でこちらを見ている人がいる。

Mさん夫婦だった。

もう来ている、と、前を歩いている人の影から手を振ると、こちらを見て初めて気がついたような顔した。

変だな、と思ったら前に歩いていた人は、Iさんだった。

すると、Mさんの横にはKさん夫婦が、改札の向こうには帽子にサングラスのHさん、その隣にはOさん夫婦がいた。

なんの事は無い、早いどころか僕が一番最後だった。

みんなも楽しみだったのだろう、早くから来ていた。

きれいだがこの時間は人もまばらで殺風景な駅だったのだが、僕には急に暖かなキラキラした空間に見えた。


 ワイワイガヤガヤとバスに乗り昼食場所の寿司屋さんへ、病院のすぐ下にある。

当然、繁華街から外れた山の中にあるのに結構混んでいるのだ。


おいしいお寿司だった、なによりも皆で食べるとおいしい。

考えてみるとこの人たちとはあの病院の食堂で、何度も一緒に食事をした。

でも、決してこんな立派なお寿司は出なかった、出たのは、赤いでんぷ、黄色い卵の、甘いちらし寿司だった。

退院したらお寿司を食べよう、いや、ステーキだとか言っていた。

こんな日が来るとは考えもしなかった。


 訓練で杖をつきながら歩いた坂を上がり、懐かしいA4病棟へ

そこには都合で遅れてくると言っていたTさんがもう待っていた、お元気そうだ。

この人は退院してから介護の等級があがったと言っていたので、具合が悪いのかと心配したが、そんなことはないようなのでほっとした。

体も大きいし歳も皆の中で上なので我々を引率してきた先生の様だった。


 お世話になった看護師さんが笑顔で迎えてくれた。

あんなに献身的に介護してくれた事は忘れることはできない。

夜中に入院患者が具合悪くなり心臓が停止した時があった、その時H看護師は名前を呼びながら人工呼吸をし、その人は蘇生した。

普段は楽しい冗談ばかり言う方だったが、いざというときの迫力は凄いものだった。


 リハビリの先生達をなんとか捕まえて挨拶した。僕達の体をとても理解してくれていた。

僕も久しぶりに作業療法士のS先生に会えた。肩が痛む事を言うと心配してくれてマッサージをしてくれた。

もう退院しているのに、有難いことだ。

こんな看護師さん、療法士さん達が居たからこそみんな、元気になれた。


 私達がもっと、もっと元気になることがこの人たちが喜んでくれる事なのだろう。

今度、この病院に来る時はもっと元気になってこようと思った。


この病院は私達の 大好き なのだ
 

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きっと良くなる!

2010-12-11 11:35:08 | 日記
 リハビリ病院にいたとき僕とは違う部屋にいた男性のことである。

その人はいつも身ぎれいにして、顔かたちもなかなかな美男子であった。

年は僕と同年代であろうと思われ、他の人と同じように車椅子にいつも乗って、ある程度自由に病棟内を動いていた。

ある程度というのは、確か右手足が不自由で、やることにはどうしても制約があったのである。


 その人は僕とは決定的に違うところがあった。

それは、喋ると、違うのである。どのように聞いても幼児なのだ。小学校低学年よりもっと下に思えた。

きっと、倒れたとき,頭のその部分が壊れたのだろう。

考えていることや、聞いていることまで、幼児なのかは分からないが、顔を洗ったり、食事をすることは、普通に行っていた。

でも、その人をみていると痛ましさを感じてしまった。


 ある日、奥さんが車椅子を押していた、きっと、お見舞いに来ていたのだろう。仲良く話をされていた。

そんな奥さんに、見かけた事の無い男の人が話しかけていた。どうもボランティアに来られた人のようだった。

「奥さん!大変ですね。でも、ご主人きっと直りますよ。元のようになりますよ。」

それを聞いて奥さんは、パッと顔が明るくなった。

傍にいた僕は一瞬何がなんだか分からなかった。何時の間にか、この人は治らないのだろうなと、心の中で決めていたのだ。

この時の別人のように明るい顔になった奥さんの顔は今でも鮮明に覚えている。


 「ご主人の症状は僕と同じですね、僕はもっとひどかったのですよ。

僕の時は担当の先生が、エロ本好きか、というので、いいえと言うと、それではこれかと、パソコンを与えてくれたのです。

興味を持てるものが大事なようでした。それから数年で今のようになったのですよ。

3ヶ月では無理かもしれないけれど2~3年のうちには良くなってくると思いますよ。」

この男の人は僕の目には、どう見ても麻痺のないしっかりした普通の人だった。

その後この車椅子の男性は他の施設に移ってでリハビリを続けているらしい。


 最近、あの時痛ましく思ったのは間違いだったように思っている。

僕もあの人も体の一部が悪いだけなのだ。努力すれば必ず良くなる、

痛ましく思うのでなく、励まし合って一緒に少しでも前に進まねばいけなかったのだ。


 こんなことが在ってから、どんな人でも今の様子で先のことを勝手に決めてはいけないなと考えるようになった。

完治したその人と、笑いながらこの頃の話でも出来る時が来たら良いなと思っている。


どんな人にも素晴しい未来が必ず訪れる。それは僕の 大好き なのである。
 


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皆さん久しぶりですね。 お元気ですか!

2010-12-09 22:03:56 | 日記
15日に久しぶりにリハビリ病院の友人たちと一緒に病院に行くことになった。

なんだかとっても嬉しくて今からわくわくしている。


とてもお世話になった看護士さん、体調を見てくれた先生、一生懸命世話をしてくれた

助手の方々、そして、誰よりも僕たちの体の事を理解してくれた療法士の先生方、本当にお世話になりました。

今度、御挨拶に行きますよ~。


僕たちはまだまだ治ってはいないけれど、現実社会の中で頑張っている。

でも、なかなか巧くいかなくてめげそうになる、病気の前の様にはどうしてもいかないのだ。

人と話していると極端に固有名詞が出てこない。

次々と名前や地名が出ないので全く話が通じない事がある。

一日頑張りすぎると(気持だけだが)夕方には眠くなる。動きがどうしても遅い。

その上、マヒのあった人やまだある人は、もっと大変、体が思うように動かないのだ。


病院の時は皆が分かってくれたけれど社会ではなかなか巧くいかない。

皆が一緒にいた病院と違って今はそれぞれひとりなのだ。

それが今度は皆で集まるのだ、ワイワイガヤガヤと話し合おう。いろんな相談もできる。

あの事もこの事も話そうと今からウキウキしている。こんな友人たちがいるから頑張れるのだろう。


この友人たちも僕の 大好き なのだ
 



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真剣な師走

2010-12-04 19:41:06 | 日記
 鎌倉も藤沢も師走の様相、この時期は小さいときから嫌いだった。

あの頃は父も母も店からの帰りが遅く、僕は小学生の低学年、弟は入学したばかり、二人で何時も留守番だった。





 ラジオドラマ「ヤンボー、ニンボー、トンボー」を聞き、貸本屋さんで借りた「冒険ダン吉」や、「リボンの騎士」を読んで待っていた。

街にジングルベルが響く中、父も母も喜んだり悲しんだりと感情の起伏が激しくなり、

僕たちの気持ちも寒さと相まって縮こまっていったのを思い出す。





 大晦日の夜遅くに両親がお肉や蒲鉾や伊達巻などを達成感に満ちた顔で買って帰ってきた。

僕たちもほっとして嬉しい気持ちだったのを覚えている。

その挙句の正月。曇りや雨の日もあっただろうが何故か思い出は何時も素晴らしい晴天だ。





 今、自分が父になり自営業を営んでいる。あの時の様な正月を子どもたちに与えているのだろうか、

不安な師走も味あわせていない代わりに、新年の喜びも与えていないのではないか。



師走を真剣に新しい年へ向かって送ることが、また 大好き な晴天の正月を迎えるのだろう。   


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