大好き!

美しい自然とともに

歩いて帰る Ⅲ

2012-01-29 16:05:02 | 日記
タッタ、タッタ、タッタ、妻のペースは全く変わらない。

辺りは暗くなり、街灯が明るくなってくると、今までの街とは違うところを歩いているように見える。
それぞれのお店が明かりを放ち温かさを感じる。

少し歩くと「桃太郎」という和菓子屋さんがあった。
間口二間ほどの小さいお店。奥にあるガラスケースには和菓子が並んでいるようだ。

このお店の前に来ると、いつもお腹が痛くなるような気がする。
僕が小学校にあがる前、中学生の兄に連れられてよく来た。

僕と兄は夕食のあと、ここであんみつを食べながらテレビを見に来たのだ。
この頃はまだ各家庭にはテレビなど、置いてなかった。商売をしているお店か、お金持ちにしかテレビなどなかった。そこで、力道山の出るプロレスを見ていた。

夏休みの暑い夜だったのだが、それでも僕はあんみつなど食べるとお腹が冷えてすぐ痛くなった。
トイレを借りてもなかなか収まらず、仕方なく家に帰ることもあった。そんな時兄は、残念そうだったが一緒に帰ってくれた。

今でも、「桃太郎」の前に来ると、なんだかお腹がおかしい気がするのだ。
今は、和菓子をうるだけで飲食はできない。

その先へ進んで行くと踏切が見えてきた。江の電の踏切だ。丁度、遮断機が降りて、電車が来た。
随分速いスピードで、がたがたと揺れながら走り抜けた。

この踏切の少し手前に先日「焼きたての食パン」で紹介した「マルキ」があった。
踏切の先の左側にある教会が僕の入っていた幼稚園。

その先に「下馬」という交差点がある。ここは海岸と八幡宮を結ぶ大通り「若宮大路」と交差しているところだ。
下馬と言うのだから昔は八幡宮の参道だから、ここで、馬から降りたのだろう。

ここまでくれば鎌倉駅はすぐそばだ。



(次回へ)


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歩いて帰る Ⅱ

2012-01-27 23:16:26 | 日記
タッタ、タッタ、タッタ、妻を追いかけて走った。

少し息が切れて、立ち止まった。左へ曲がる路地の前だった。
「ここは!?懐かしい」
 思わず声に出してしまった。

この辺は以前によく通ったところなのに、この路地のことはずっと気がつかなかった。
病気になる前は何時も車で通っていた。最近は病気で、歩くことが少なくなって、滅多に通ることが無かった。

この路地を入っていくと、確か長谷の大通りに突き抜ける。小学校の頃、この路地でよく遊んだ。
どうしてここで遊んだのだろう。

確か、この路地のどこかに友達の家があったような気がする。
その家の前で今頃はよくコマを回したな。コマの芯に釘を入れたり、周りにビニールテープを巻いたりして、丈夫で破壊力のあるコマに改造したんだ。

弟がいてトオルちゃんがいて、夏には従妹がいた事もあった。
まだ誰かがいたんだけれど思い出さない。誰だったんだろう。

もう少し先へ行くと江の電の線路があって、その先の家にはシイの木があった。
石の塀から大きなシイの木が外へあふれるように出ていた。秋にはシイの実がいっぱいなったんだ。

塀の外にいっぱい落ちたシイの実を拾ったんだ。ポケットがザクザクして、その実を食べながらワーワーと騒ぎながら遊んだのだった。
落ちている実が少ないと、塀に登って木を揺すってとったんだ。その家の人から怒られたことなんか一回もなかったな。

シイの実なんか何年食べてないのだろう。
それにしても、この路地は狭いな、昔はもっと広かったような気がしたのだけれど。


遅れないように、サッサ、サッサ、と歩いて行くと、「かいひん荘」の前に出た。
小さい割烹旅館なのだが値段は高めのところだ。

何年か前に、叔父さんの法事で入ったことがあった。
和室だったのだけれど、時代劇の、抜荷をしている廻船問屋の部屋みたいに、畳の上に椅子とテーブルを置いて座った。

劇ではギヤマンの壺を見ながら、廻船問屋の主人が悪い代官とワインを飲んでいるのだが、そんなことは無かった。
最近はよくあるスタイルだ。食事は和食。出てきたものは全く覚えていないのだが、美味しかったことだけ覚えている。


そのまま、どんどん進もう、置いていかれてしまう。
由比ガ浜通りに出た。

笹目だ。バブルの頃にこの辺は鎌倉でとっても高かった住宅地だった。
どうして、そんなに高かったのだろう。信じられない。

今はマンションになっているのだけれど、昔は映画館だった。
小学校の時、3本立て60円ぐらいだったと思う。

鎌倉駅の周辺だけで映画館は5件あった。
映画全盛の頃。

この映画館は中にストーブが置いてあった。
石炭を入れるやつだった。

でも、それだけでは、冬は寒くて、ストーブの周りに立ってあたりながら映画を見ている人がたくさんいた。
伴淳アチャコの「二等兵物語」や小坂一也の映画なんかやっていた。松竹系の小屋だった。

年中、フィルムが途中で切れて、つなぐ間待っていることがあった。
でも、それは、良いほうでフィルムが届かなくて、上映が遅れることがしばしばあったのだ。

霧が濃くて遂には届かなかったことがあった。
その時は、メモに映画館のハンコを押したものを配って次回はこれで入れます、と言っていたのを覚えている。しかも、そのメモは、古いポスターを切った紙だった。

この映画館は火を出して燃えてなくなってしまった。寒くて、働いている人が、古いフィルムを燃して暖をとっていたのだが、その火が移ったようだった。

東映系は小町通りにあった、「名画座」。近藤勇の片岡千恵蔵、水戸黄門の東千代之介、白馬童子の山城新伍、新吾十番勝負の大川橋蔵、丹下左膳の大友柳太朗、次から次へと出てくる。
よく考えると、みんな今は生きていない。

「市民座」は洋画が多かった。菩提樹、五つの硬貨、ドラキュラやフランケンシュタインも見た。
本当の題は違ったと思うのだけれど、ケセラセラも見た。

鎌倉の裏駅、銀座通り(今は御成通り)には「鎌倉劇場」があった。ここは日活系。石原裕次郎や宍戸錠はここでやっていた。
その後、日活ポルノになってもここだった。

ずっと、後になって裏駅の駅前に「テアトル鎌倉」ができた。
ここは、大映系や洋画をやっていた。森繁久彌の駅前シリーズ、加山雄三の若大将シリーズ、梅宮辰夫の不良番長シリーズもここだった。

この頃の映画は面白かった。映画に格式も芸術も何も無かった気がする。ただ、面白いかどうかだった。
こんなに賑わっていた映画館も今は1件もなくなってしまった。

暮れてきて、こんな寒い日にはその頃を思い出す。

妻に置いていかれないように、しっかり歩こう!



(また、次回)



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歩いて帰る。

2012-01-25 22:16:54 | 日記
極楽寺にある事務所を夕方帰ろうと出たら、妻にばったり会った。妻の務めるところはすぐ近くにある。偶然に帰るところだったらしい。
「鎌倉まで歩きだけれど、いい?」
妻は口で言いながら歩き出している。
「いいよ、行こうか」
 返事をして、歩き出すと、妻はもう、5~6m先を歩いている。慌てて僕も歩き出す。
 妻は小さい。そんなに慌てなくても、僕がしっかり歩けば大丈夫。そんなことを思いながら、歩き出した。
 
 タッタ、タッタ、タッタ、速い!妻は速い! 僕も 少しスピードアップ!
ゆるい上り坂だ。あまり焦って歩かなくても、すぐに追い越してしまうだろう。

 周りは5時過ぎると、今頃は、どんどん暗らくなってくる。
江ノ電の極楽寺の駅前を通る。
小さな駅、朝早いとまだ駅員は来てない。電車は走っているのに。
夕方、もうすぐ駅員さんは帰ってしまうのだろう。あとは無人駅になる。電車は12時ごろまで走っているのだけれど。
駅の前にある小さな駅の土地。可愛い広場とでも言うのか。そこには桜の古木がある。随分昔には枯れかけた木なのだが、なんとか持ちこたえた。去年は満開の桜が綺麗だった。

 タッタ、タッタ、タッタ、前を見ると、妻の姿は10mぐらい先だ。あんまり離れてはいけない。一緒に帰っているのだから。少し、走って近くまで、追いついた。
 僕も体力がついた。走ってもなんでもない。

 坂道を登りきると、極楽寺坂。ここからは急な下り坂になる。坂の下まで結構距離がある。下りは大丈夫、余裕で妻についていけるはずだ。
 冬は、暮れ始めるとどんどん暗くなってくる。ここは深い切通しだ。昼間でも陽のあたらない、鬱蒼としたところ。
 左右の崖は岩の地肌が見えるところもあるが、緑で覆われている。一部はよう壁とネットが。昔、崩れたことがあった。そのときからだったかな。
 途中の左にはお地蔵さんの祠が。その向かい側にはお墓がある。夜は一人で通るのは少し怖いところだ。
 しかも、お地蔵さんの祠の上の方には、お堂があって、信者の方々が供養したのだろう、お経が書いてある旗がたくさん建っている。
昔はそこに火の見櫓が立っていた。友人と夜中に通った時、その友人には霊が見えるらしい。
「おーい、何やっているんだよ、危ないから降りて来なよ」と叫んでいた。火の見櫓の梯子を白い着物を着た人が登っている、と言っていた。僕には梯子には人影は見えなかった。
 今は一人ではない。妻と一緒だ。怖くはない。そう思って前を見る。

 タッタ、タッタ、タッタ、妻はどんどん先へ行く。
 また、10mぐらい先に行ってしまっている。もう少し離れたら、一人で歩いているのと同じだ。
 僕はまた走った。まだ体力は大丈夫だ。

 そのまま、真直ぐに進むと海岸沿いの道にでた。 
 坂の下海岸。由比ガ浜に繋がっている遠浅の海岸である。
 波が静かだった。天気が良ければ、空がもう少し明るいのだろう。今日の曇り空では濃いグレー、暮れる寸前。
 小さな喫茶店が営業している。中に2~3人のお客さんが入っていた。この人たちはこんな時間に何をしているのだろう。まだ、夕方だ。会社の帰りにしては早すぎる。この辺には良くわからない人たちがいる。
 その先のマンションのところを左折して、裏道へと入る。
 そのマンションのところには以前「大海老」というレストランがあった。閉店してから20年だろうか30年になるのだろうか、よく覚えていないほど昔だ。
 その向かいには、ドイツ料理のお店がある。ここも随分昔からやっている店である。昔ここでソーセージの定食を食べた。今度はジャガイモと肉を煮た定食が食べたい。ここの鹿の肉が美味しいと言っていた友人がいた。そんなものを食べてみると良いかな。
 
 タッタ、タッタ、タッタ、妻はスピードを落とすことはない。 
 いけない、前を見ると、妻は20mぐらい先を歩いている。キョロキョロしながら歩いていてはいけない。
 
 また、走った。少し、足に疲れを感じた。


続きは後日。


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歩いてみよう!Ⅱ

2012-01-18 20:44:46 | 日記
歩き始めて、今日で9日。

行きは元気だが帰りは、疲れがどっと出てくる。
歩くスピードが明らかに遅くなってきてしまう。

帰り、といってもすぐに帰るわけでなく、当然仕事をして、食事もして、夕方帰る。
仕事中はさほど疲労は感じていない。

でも、帰りに歩き始めると、体が重い。はじめの頃は終わり頃には腰が痛くなってしまった。
ヨロヨロと家にたどり着いた。

その頃から思うと、疲れるといっても今はなんでもない。
しかし、まだ体重は減らない。疲れるぶん食べてしまうのがいけないのだろう。

これでは歩き始めたのに帰って太ってしまうのでは。





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焼きたての食パン

2012-01-14 20:46:29 | 日記
焼きたてのフランスパンを買ってきた。美味しくて食べすぎてしまう。
食事時ならともかく間食なのだ。
正月に食べすぎて、少し太ってしまった。
これではいけないので、食べるのはこの辺でやめよう。
そんな時、昔食べた美味しいパンのことを思い出した。



 その頃、僕は5,6歳。まだ小学校に上がる前だったので、そんなものだったろう。
 鎌倉駅から歩いて10分ぐらいのところに住んでいた。そこから7,8分ぐらいのところにパン屋さんがあった。「マルキ」というパン屋さんだった。我が家では父親の胃が悪かったので、朝はパン食にしていた。それで、そこのパンばかりを買っていた。
 
 その食パンは、今のようにビニールの袋には入っていない。白い紙で包んでくれる。
 僕は朝早く、パン屋さんのガラスケースからようやく顔を出して
「食パン一斤ください。8枚に切ってください」と言っていた。
 パン屋さんの小母さんは、スライサーで8枚に切ると、白い紙で包んで
「ハイ、できたよ」と、ぼくにくれた。僕は持ってきた買い物かごに入れて、「有難う」と急いで家に帰ったのだ。
「初めてのお使い」のように一人で買い物に行ってきた。
 親から任されて買い物に行くのは、少し大人になったようで嬉しかった。
 たびたび僕はパンを買いに行ったのだ。

 そのパンは、見た目は普通の食パン。イギリスパンのように頭が盛り上がっているわけではなく、デニッシュパンのようにバターたっぷりの層ができているパンでもない。
 ごく普通の食パン。
 パンの耳は他のパンより、若干固め。でも、噛むと、カリッ,サクッとして、少し甘味を感じる。耳を取って食べることなどしない。
 むしろ、耳が食べたい。
 中の部分は、真っ白で、しっとりとしている。焼きたては特にそうだが、少し時間がたっても決してパサパサとはしないのだ。
 僕はこのパンにはジャムでなく、バターをたっぷりつけて食べた。
 このころのマーガリンは今ほど美味しくはなかった。バターに似せてはあったが脂臭いような気がした。
 だから、やっぱりバターが良かった。
 食べていると、小麦の香りだろうか、とても、芳しい香りがしていたのだった。
 
 また、食べたい。しかし、今はもうこのパン屋さんはなくなってしまった。
 朝、暗いうちから起きてパンを焼いていた、小父さんも小母さんも今はもういないのだ。





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歩いてみよう!

2012-01-11 09:54:08 | 日記
正月の休みで体重が三キロも増えた。なんとかしなければならない。
原因は分かっている。運動不足に、餅の食べすぎ。

昨日から、朝事務所に行くときにバスや電車に乗らずに歩いている。
一時間十分ほどで到着する。

幸い、冬は寒いのだが雨はあまり降らない。

歩き始めて、二十分ぐらいで寒さは感じなくなる。
しかし、手袋をしているのだが指先が冷たくて千切れそうである。

手足など、からだの末端が冷たくて、しもやけになってしまった。
これは、血の巡りが良くないのだろう。

久しくならなかった霜焼けになるとは、病気のせいか、車に乗れないせいなのか分からない。
それでも、五十分ほど歩いていると指先まで、ジンジンと血液が流れていくのが感じるようになった。

全身に血液がめぐるのはこんなに時間がかかるのか。
同時に疲労を感じ始めた。

でも、爽快な気分である。
しばらくは続けるつもりだ。




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湯乃市

2012-01-08 20:23:07 | 日記
子供が車で私と妻を連れて行ってくれた。

こういうお風呂は、以前にも他の処だが、行ったことがある。
その風呂は風呂屋さんの脱衣場というより、更衣室という雰囲気だった。

ここは荷物は鍵の付いたロッカーへ入れるのだが、風呂屋の脱衣場の雰囲気でなかなか良かった。
風呂も天然温泉ではないようだが、炭酸泉だとか薬草湯とかあってとてもよかった。

近頃は外が寒いので車で行くとは言え湯ざめするのでないかと心配したのだが、
そんな心配は無用だった

一時間ほどの入浴だったが、体の心からあったまった感じで、
いつまでもぽかぽかとしてとっても良かった。

今でも、体の奥は暖まっている。
昼食もそこで食べたのだが、値段も安くボリュームもあった。

これならば流行るわけだなと思った。

最近は昔の銭湯が無くなってしまった。
たぶん費用が掛って営業が成り立たなくなったのだろう。

こういうところは大丈夫なのかとひとごとなのであるが、
なんとなく暗算してしまうのである。

なかなかくつろげない貧乏症である。

退院してからの疲れが取れたような気がして子供に感謝だ。



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新年になりました。

2012-01-04 06:56:01 | 日記
                謹賀新年

                今年もよろしくお願いします。

                


                 大好き! 美しい自然とともに まめ男


                 今年はしっかりと書いていきます。
                 よろしくお願いします。






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